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2022年6月20日 (月)

新・私の本棚 番外 サイト記事検討 刮目天一 【驚愕!】卑弥呼の奴婢は埋葬されたのか?(@_@) 1/1

【驚愕!】卑弥呼の奴婢は埋葬されたのか?(@_@) 2022-06-16     2022/06/20

◯はじめに
 本件は、兄事する刮目天氏のブログを題材にしているが、氏のご高説に異を唱えているわけではなのは見て頂いての通りである。
 氏が応接の際に見過ごした躓き石を掘り返しただけである。ここは、第三者の発言内容の批判であり、「倭人伝」解釈で俗説がのさばっている一例を摘発するだけである。こうした勘違いの積み重ねが、混沌たる状況に繋がっている。

◯発言引用御免
卑彌呼以死 大作冢 徑百餘歩 徇葬者奴婢百餘人
卑弥呼が死に、多数の冢が作られた、径100歩に殉葬者の奴婢100余人。
とかの意味じゃないかな。
大作は漢文の用法としては大きく作るじゃなくて多数作るの意味みたい
墳ではなく冢だから小規模な墓が多数作られたんだ。

◯部外者の番外コメント
 発言者は、「改竄」記事にコメントし、刮目天氏は寛恕で黙過している。
*「徇葬」正解 
 原文は、「徇葬者」であり「殉葬者」と書いていない。改竄記事を論じるは、無意味であり、古代史分野に蔓延る「悪習」である。
 「徇葬」は、「魏志」東夷傳「扶余伝」が初出のようである。正史は、先例の無い言葉の無断使用は許されないが、「倭人伝」は、「扶余伝」で認知された用語の承継と見える。いや、実は、ほぼこれっきりの二例しか見当たらない。
 「殉葬」は、先例が非礼・無法である。とてつもなく「悪い」言葉を、陳寿が大事な「倭人伝」で、深意に反し、採用することはあり得ない。
 対して「徇葬」は、葬礼に伴い進むか、夜を徹して殯するか、あるいは、守墓人に任じられたか。「行人偏」の持つ意味は、そのような活動的なものである。いずれにしろ「徇葬者」は生き続ける。女王は讃えられる。
 「殉」一字に、「命がけで信条を奉じる」=「殉じる」との意義もあるが、「殉葬」者は、恐らく意に沿わずとも、間違いなく命を落とす。女王は、正史に恥を曝す。大違いである。意見は人さまざまで、百人の奴婢が、生きながら埋葬されたと言う見方も悲惨であるが、所定の儀式を歴てとは言え、いずれかの場所で、百人が命を奪われ、遺骸が、土坑まで運ばれたという暗黙の了解強制も悲惨である。

 これほど意味・意義の違う文字と取り違えるのは、目が点で節穴である。但し、この改竄は発言者独創とは思わない。倭人伝名物の改竄解読手法受け売りで、褒められないが非難はできない。誤解が蔓延しているのである。

 因みに、笵曄は、後漢書「東夷列伝」扶余伝で、陳寿の記事と軌を一にしつつ、「徇葬」と宿痾の誤字/誤解症例を残している。もって瞑すべし。(要するに、後漢書「東夷列伝」は、後漢代公文書を着実に参照しているので無く、范曄創作/誤解を、多々含んでいるのである。いや、他にもあるが、圏外なのでここでは論じない)

*「冢」の正解模索
 刮目天氏は、丁寧に辞書に頼るが、まずは、原史料で最前用例を探索すべきと愚考する。
 読者は、自身の語彙で解明できなければ、「魏志」第三十巻の巻子/冊子の最前を遡り、わからないときは座右の「魏志」の山を手繰る。四書五経は元より、「漢書」、「史記」など山々の大著を倉庫から荷車で引き出させるのは、陳寿の手落ちとなり不合理である。そうならないように、陳寿は、その場で確認できる用例を書き込んで、伏線を敷いている。ここで、藤堂明保氏名著「漢字源」はまだ存在しないと戯言する。

 倭人伝の「冢」は、大家の葬礼紹介で、「遺骸を地中に収めた後、冢として封土する」との趣旨で書いてあり、いかにも、身内による埋葬と思われて、近隣を動員した土木工事とは書いていない。発言者は、根拠不明の「漢文用例」を参照して、徑百歩の範囲に、「お一人様」用の「冢」を百基造成したようにも読める、あいまいな言い方で笑い飛ばしているが、土饅頭といえども百基は、途方も無い工事であるが、そのような遺跡は先例があったのだろうか。無責任な放言は、それ以上取り合わずに、ゴミ箱に棄てることにする。

 本論の女王封土の場合は大がかりであるが、奴婢百人では、到底直径百五十㍍の「円墳」は造成できない。円墳は盛り土で済まず、石積みが不可欠で「冢」にならない。もちろん、倭人伝は「墳」と云っていない。径百歩は、「普通の解釈」と合わないが、ここでは論じない。

*まとめ~用語審議の原則提言
 末筆ながら、用語解釈の基本として、原文起点とし、「最前用例 最尊重」の黄金律を提起したい。文脈の斟酌も、粗忽を避けるのに、とてつもなく重要である。倭人伝論では、失敗例が山積しているので、そう思うのである。

                  余言無礼御免 頓首頓首  以上

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コメント

ご無沙汰しています。いつも勉強させていただいて、有難うございます。折角取り上げて頂いた拙ブログも、今思い出すと無知を絵に描いたような内容でしたが、知らぬは一生の恥ですので、ご指摘に感謝いたします。なお、卑弥呼の円墳については、やはり急造りのために単に土を盛り上げただけですので、ご心配のとおりかなり流れています。でも千八百年近く経過しても形を留めていました。その東側にある卑弥呼の父の円墳「奥城古墳」は時間をかけてしっかりと造られていたようで、現在でも展望台として使われていますから驚きます。また、色々とご指摘いただけると有り難いです。どうぞよろしくお願い致します。

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