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2022年8月

2022年8月31日 (水)

今日の躓き石 NHK BS1 野球中継の度しがたい「リベンジ汚染」

                          2022/08/31

 今回の題材は、NHKBS1のプロ野球中継であるが、アナウンサーや解説者が「禁句」を口走ったわけではない。

 ゲームセット後の「ヒーローインタビュー」は、外国人選手となると、当然通訳付きであったが、インタビューアーがしきりに、「リベンジ」を押しつけていたのが、困ったものであった。ヘンテコな「カタカナ語」には、通訳も困ったと思う。何しろ、聞く限り、スペイン語会話で「revenge」が通じるわけでなく、多分プロの技で言い換えていたのだろうが、インタビューアーは、お構いなしで問い詰めるのであった。どんな回答があっても、聞くと決めた事を言わせたのだろうか。

 英語で「revenge」と決め付けられたら、敬虔なクリスチャンは、最悪、激怒したはずである。スペイン語で良かったと言うことか。以後、「厳重注意」いただきたいものである。

 因みに、回答には、随分たくさんの単語が含まれていたように聞こえたが、途中で通訳が省略したのか不思議である。インタビューアーが黙認して、視聴者は、選手の言葉を聞く権利を奪われたのだろうか。それで、報道の使命を果たしているのであろうか。まさしく、"Lost in Translation"なのだろうか。

 それにしても、公共放送で受信料を取り立てているNHKともあろうものが、罰当たりなカタカナ語を内部で野放しにしているのは、スタッフの日頃の不勉強丸出し「情けない」。視聴者は、日本語の部分しか聞き取れないから、選手が、忌まわしい「ダイスケリベンジ」に感染していると思うのではないだろうか。重ね重ね、「情けない」。放送されてしまった暴言は、取り消せないから、三度目の「情けない」である。

 NHKには、確たる信念があるはずだから、それが、末端まで浸透するよう、努力していただきたいものである。

以上

 

2022年8月29日 (月)

今日の躓き石 毎日新聞の全国高校軟式野球 無用の血祭り「リベンジ」礼賛

                       2022/08/29

 今回の題材は、毎日新聞大阪朝刊14版スポーツ面の「全国高校軟式野球」「きょう決勝」記事である。

 何しろ、いきなり「待ちに待ったリベンジ」と踊り出しているが、「昨年の決勝で敗れた」とあるが、別に同じ相手と再戦でもないから、「人違い」の仇討ちは、相手にとって迷惑だろう。まして、同校は、昨年4連覇を逸しているから、その間、決勝の相手の恨みを買ってきたことになる。決勝で勝てば、その度に相手の恨みを買うという見方で行くと、まことに、「反社会的」な怨念話である。

 思うに、当世のリベンジには二種あって、復讐の血祭りは、「おっさんリベンジ」の筈で、高校生には無縁の筈だが、今回は、準決勝で勝つことで、「その舞台に立つ権利を得た」と勿体ぶって書き始めているから、やはり、おっさんの書いた記事なのだろう。

 現代の若者は、「ダイスケリベンジ」の筈である。要するに、もう一丁、「リターン」の心意気であって、相手が違うとか、権利を得たとか言わないのである。

 そうした意味の違いは、新聞記者すら知らないのだから、世間に理解されるわけはない。まして、英訳すれば、日本の高校生は、テロリストなみの復讐心が普通だという事になってしまう。あるいは、英語でインタビューされて素直に答えたら、そういう意味で伝わってしまう。毎日新聞は、高校生に負の遺産を伝えて、どうしようというのだろうか。

 思うに、冒頭段落の「血の復讐宣言」は、毎日新聞記者の贈り物ではないだろうか。まことに、高校生にとっては、迷惑な話と思うのである。

 因みに、記者は「全国制覇」などと、これまた血なまぐさい宣言を述べているが、優勝したとしても、それは、たまたま対戦相手に勝ったと言うことにすぎない。全国には、対戦したことのない高校が山ほどあるはずである。十一回優勝したからと言って、「全国制覇」などではない。いや、これは、当ブログ筆者一人の意見である。
 加えて、「優勝旗を取り返す」など、十一回優勝しても、優勝常連校の私物でないから、随分思い上がったものと思う。

以上

 

新・私の本棚 河村 哲夫 講座【西日本古代通史】「邪馬台国論争のいま」Ⅱ 道里 1/3

 アイ&カルチャ天神   資料 平成26年8月5日
私の見立て ★★★★☆ 沈着な道里論評         2020/09/24  補記 2022/08/29

〇はじめに
 今般、若干の事情があって、河村氏の講演資料を(有償にて)提供戴きましたので、学恩に報いるために、以下、部分批判を試みたものです。

 要するに、最近、倭人伝道里議論で、帯方郡から投馬国への道里が水行二十日と書かれているという迷解釈が浮上して、提唱者不明、提唱媒体不明の、いわば典型的な「フェイクニュース」が、某古代史ブログで論評され、趣旨理解に苦しんで、事の発端を確かめようとしたもので、未解明です。

 因みに、講演資料は、河村氏が、道里行程論諸説にメスを入れ、短評を賦したもので、全て論議に価する一説と評価してはいないと見られます。
 氏の論評は概して妥当であり、世に知られることなく埋もれている論考を当ブログで紹介する目的で(適法な)抜粋引用にコメントを付したものです。

 当部分は、氏の講演全二十四回のごく一部に過ぎず、倭人伝に基づく行程道里談義に限定です。引用の抜粋、要約文責は、当ブログ筆者に帰します。

〇第9回『魏志倭人伝』を読む  倭の国々
2、倭人
⑴倭人がはじめて登場する中国の正史『漢書』地理志、⑵この文章が書かれた文脈、⑶『漢書』の注目すべき個所、⑷『山海経』海内北経、⑸その他
3.狗邪韓国と倭との関係
4.狗邪韓国から倭国へ
⑴対馬 ⑵壱岐 ⑶末慮国 ⑷伊都国 ⑸奴国
結論:以上の国々については、ほとんどの学者、研究者が一致している。

コメント  「風評」記事の誹りを避けるためには、「ほとんどの学者、研究者が一致している」と主観的な発言を避け、検証可能な項目を明記すべきです。素人の限られた見聞でも、百花斉放となっているように見受けます。それとも、氏の書卓には、氏自身の論考が積み上げられているだけなのでしょうか。

⑹不弥国
⑺投馬国
①(続いて)南、水行二十日で投馬国に至る。
・水行起点に不弥国と伊都国の両論がある。帯方郡起点説もあるようである。
結論:『魏志倭人伝』だけではその位置を特定することはできない。

コメント この点で、本来、最優先であげられるべき「韓地陸上移動」説に言及していないのは、まことに不用意であり、残念です。
 出所不明で追試できない帯方郡起点説に、この点で言及したのは、余りに不用意に思います。感心しません。
 後記するように、論外の思い付きは、氏の見識で決然と棄却すべきです。

⑻邪馬台国

①(続いて)南、邪馬台国に至る。女王の都するところである。水行十日、陸行一月。

コメント 別の記事で論じているので、重複になりますが、道里記事の根底を定めるものなので、手短に述べます。
 倭人伝は、公式史書魏志の一章である東夷伝の小伝であり、魏志に於いて魏朝皇帝の「首都」は「雒陽」と定義されていて、東夷の蕃王である女王の居処に「都」を冠することはあり得ないのです。つまり、「所都」と句読点付けして、「都する所」と解するのは、間違いだという事です。
 従って、「都」は、順当に、「都(都合)水行十日、陸行一月」と、総所要日数を記し、道里記事の結末としたと解するべきです。
 この意見は、ごく一部の論者に知られているだけであり、「総選挙」すると大敗するでしょうが、学術論で言うと、「エレガント」な解の端緒としています。

②不弥国までは何里、何里と距離できたものが、投馬国と邪馬台国では突然日数表示になる。これが一つの謎である。

㈠〈伝聞説〉 諸説㈠~㈩は当ブログの追加。「問題点」は、河村氏の表現、短評。
問題点・・『魏志倭人伝』によれば、魏使は長期滞在し邪馬台国の政変に関与した形跡もあり、邪馬台国に行ってないとするのは否定的に解する。

コメント 「否定的」との意見が、出所不明の誤解に巻き込まれていて、感心しません。そもそも、「否定的」とは、このような文脈で使用すべき現代語ではないのです。

㈡〈千三百里=水行二十日+水行十日+陸行一月とする説〉
・のちに帯方郡から邪馬台国まで一万二千(里)との記述がある。郡から不弥国まで七千、千、千、千、五百、百、百と里数を足すと一万七百(里)であり、残りは千三百(里)となる。これが、投馬国水行二十日と邪馬台国水行十日、陸行一月を足した日数に相当する距離になる。
問題点・・日数がかかりすぎる。

コメント 本説は、単なる思い付きに過ぎず、そのような提言は、「提案者」に立証義務が課せられているのであって、氏が、代弁すべきではないと考えます。
 こじつけを正当化する論義は、時間の無駄です。
 倭人伝は、三世紀の史官陳寿が、皇帝初め洛陽の読書人に上程し高評を仰ぐべく、心血を注いだものなので、解くに解けない判じ物でなく、少考して解に至る手頃な「問題」であり、明快な解の得られない「難問」ではないはずです。

                                未完

新・私の本棚 河村 哲夫 講座【西日本古代通史】「邪馬台国論争のいま」Ⅱ 道里 2/3

 アイ&カルチャ天神   資料 平成26年8月5日
私の見立て ★★★★☆ 沈着な道里論評         2020/09/24 補記 2022/08/29

⑻邪馬台国  承前
㈢〈六百里=水行二十日+水行十日+陸行一月とする説〉
・不弥国までの七百里に対馬と壱岐の一辺四百里と三百里の七百里を加え、残る不弥、投馬、邪馬台の六百里を、水行と陸行2ヵ月かけることになる。
問題点・・さらに日数がかかりすぎる。

コメント 趣旨不明、意味不明です。門前払いすべきです。

㈣〈投馬国水行二十日と邪馬台国水行十日陸行一月は別々とする説〉

問題点・・苦肉の策問

コメント また一つの「趣旨不明、意味不明。門前払い 」です。

㈤〈放射状説〉
・伊都国から先は伊都国を起点にして、奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国へ別々の道をたどる「放射式読み方」説。
問題点・・恣意的解釈

コメント 当説は、ほぼ榎一雄氏創唱のようです。なお、蛮夷伝の道里行程記事で、蕃王王治などの地域中心を扇の要とする「放射状」記述とするのは、班固「漢書」西域伝で前例のある「正史」書法です。知識、見識に富む識者の意義深い提言を、考証することなく等閑に付しているのは不審です。

㈥〈選択的道程説〉
・水行なら二十日で、陸行なら一月、所要日数は二十日あるいは一月との説。
問題点・・文法的に問題あり。

コメント また一つの「趣旨不明、意味不明。門前払い 」です。根拠の不確かな文法論議でなく、厳密な時代考証で評価されるべきです。

〈一日誤記説〉
・九州説では、陸行一月はかかりすぎだから、一日の間違いだとする。

〈方角修正説〉
・畿内説では、日数はあっているが、方角の南は東の間違いだとする。
㈦、㈧ 問題点・・恣意的読み替え

コメント ㈦、㈧ 共に、「単なる勝手な言い逃れであり、棄却すべきである」という点は、同感です。

㈨〈公休説〉
問題点・・公務員的発想

コメント 論外の児戯。「公休日」、「お役所仕事」、「接待漬け」など、論者の妄想、願望、公務員への私怨、偏見が拡大投影されています。
 研究機関の研究者は、基本的に公務員であり、つまり、研究者の大半を蔑視する見解は、意味もなく、敵を作っているものと見えます。

 当然ながら、論議は論理的に行うべきであり、現代人の見当違いの感情論を持ち出すべきではありません。いうまでもなく、魏使は、監査役付きです。曹操規準を見くびってはなりません。できの悪い、すべり放しの漫談ネタでしょうか。

㈩〈虚数説〉
・一万二千里というのは、まったくでたらめな虚数である。
・松本清張は『古代史疑』において、一万二千里は、漠然と遠い地域を指す場合にしばしば用いられた数字で実測ではないとする。その例として、『漢書西域伝』の大宛、烏弋、安息、月氏、康居道里が、「揃って長安から万二千里前後とは、明らかにいいかげんである」と断じている。
問題点・・陳寿は歴史を書こうとしている。

コメント 「まったくでたらめな」「虚数」は、数学における重大な原義を見損なった、まことに粗忽な罵倒です。清張氏は、学者ではないので、論議の段取りが無理になっているようです。単に、帳尻合わせの「虚構」と云えば良かったのです。

 西域諸国道里は、万二千里の「規準」に纏わり、例示されている諸国は、千里と離れてない塩梅の隣国であり、書かれている道里は、西域都護が得た百里単位の里数に即しているのであり、決してデタラメではありません。(筍悦「前漢紀」安息道里は、万二千六百里)
 清張氏の正鵠を得た着眼には、ここでも脱帽しますが、以下の詰めが甘いのは、人気作家として多忙を極めたからでしょうか。補佐役に恵まれず独走したと見られます。陳寿は、計算の合わない「しくじり」は、何としても避けたはずです。

 問題点として、物々しくあげられている「陳寿は歴史を書こうとしている 」と言うのは、誠に至言ですが。何が「問題」なのか、理解に苦しみます。陳寿に対して、自己流の同時代歴史の著作を創作しようといしたたと見ているのでしょうか。随分言葉足らずで、特に、「歴史」の意味付けが、軽薄な現代言葉に染まっているのかと疑われます。
 河村氏の意見を推定すると、陳寿は「規準」を熟知の上で、筋の通る数字を書いたのです。現代人の(欲ボケ)感性で批判してはなりません。皇帝以下の読者が納得しないと、解雇で済まないときは、家族ともども「馘首」、刑死なので、全ての記事が真剣勝負です。

 因みに、当ブログ筆者の意見としては、陳寿は、班固「漢書」西域伝に心服していて、これに付け加えるべき業績がなかったという理由から、魏志西域伝を割愛したと見るのです。何しろ、魏代、蜀漢の北伐で、関中平原以西は、魏の支配下になかったので、魏代「西域」は、はなから虚構だったのです。

 この意見は、陳寿が、後世の笵曄「後漢書」の底本となった、同時代の各家「後漢書」を参照していたとの見解を否定するものではありません。むしろ、後漢代後半の桓帝、霊帝以降の東夷事績が、後漢公文書にほとんど記録されていなかったことを前提に、魏志東夷傳を書いたと見るものです。

                               未完

新・私の本棚 河村 哲夫 講座【西日本古代通史】「邪馬台国論争のいま」Ⅱ 道里 3/3

 アイ&カルチャ天神   資料 平成26年8月5日
私の見立て ★★★★☆ 沈着な道里論評         2020/09/24 補記 2022/08/29

「魏志倭人伝」における一里
・漢代の一里はだいたい400㍍。これを帯方郡から邪馬台国までの一万二千里にあてはめると4800㌔㍍。これでは日本列島をはるかに飛び越してしまう。
・「誇張説」・・旅費の過大請求のため。
・「短里説」・・・・中国本土確認できない。
・「地域的短里説」・・『魏志倭人伝』における一里は、おおむね90㍍であり、理由は分からないが、それなりの一貫性を保っている。
結論::『魏志倭人伝』には、正確な部分もそうでない箇所もある。従って、、是々非々で検討するしか道はない。逆に言えば『魏倭人伝』のみで結論は出せない。日本文献や考古学成果など、総合的・多角的なアプローチが必要。

コメント 「誇張説」は(正確な)実測値が存在したとの妄想(推定、憶測、願望)に基づいています。過去の遺物と言うべきです。
 「短里説」は、魏晋朝で国家制度として実施された証拠が全く存在しないので、無法な強弁です。(里制は、国政の根幹に関わるので、改訂があれば、全国に告知する必要があり、記録に残らないことはあり得ないのです)
 「地域的短里説」は、さらに、文献上何の証拠もありません。単なる逃げ口上に過ぎないのです。(当ブログ筆者も、隠れ家にしていましたから、その点に関しては、逃げられないのです)
 「倭人伝」道里行程記事の解釈で確実なのは、『「倭人伝」道里行程記事が、首尾一貫して短里らしき里長で書かれている事を否定できない』だけであり、文献としては「倭人伝」が孤証です。

 なお、「倭人伝」が、同時代の同地域の道里の「唯一の文献記録」ですから、他に信頼できる史料が提示できるはずがありません。現実逃避、先送りは、徒労の繰り返しであり、後世に申し送りするのは「非科学的」で賛同できません。

 倭人伝」のことは「倭人伝」に聞くしかないのです。つまり、「倭人伝」に、「郡から狗邪韓国まで七千里」とする「道里」で書くと宣言されている以上、それ以降は、そのように解すべきなのです。

5、邪馬台国は何カ国の連合か
コメント 当ブログの圏外。別に30国でも31国でも、道里行程論議には、何の問題もありません。

6、邪馬台国の周辺諸国について
⑴『魏志倭人伝』には、「女王国より以北はその戸数と道里を略載できるが、その余の傍国は遠絶していて詳らかにはできない」として、二十一か国の国名だけを挙げている。

コメント 「余の傍国」の代表は、投馬国です。五万戸の大国としながら、正確な道里行程も戸数も報告していません。本来、女王、つまり、魏朝に対して無礼ですから、「遠絶」「不詳」「余傍」と「逃げ口上」を貼り付けて、譴責を避けたのです。
 思うに、倭人に東夷としての登録時に、調べの付かないままに「全国七万戸」と登録してしまったため、倭人伝をまとめる際に、「余の傍国」として、奴国二万戸、投馬国五万戸を付け足しただけであり、両国に関する実質は不詳というか、不明なのです。
 この点、全道里万二千里の辻褄合わせと同様、「前世」、つまり、後漢献帝期から曹魏明帝期までの「倭人事情混乱時代」に「誤って登録されてしまった」報告内容が、時の王朝の「公式記録」になって、「禅譲」という儀式の一環として、「公式記録」は削除も改竄もできないのです。
 そのため、倭人伝の記事で、別の観点からの記事を書くことによって、誤解の拡散を鎮めようとしたものと見えます。当時の読者は、陳寿の苦肉の策を見過ごすことにしたようですが、後世読者は、そうした「大人の」事情に気づかず「誤解」を募らせたようです。(言うまでもなく、単なる私見です)
 因みに、「遠絶」とは、地理的な距離の問題でなく、女王に対する臣下としての報告がなく、そのため、指示も届いていないという意味であり、服属していても、臣下でなく、もちろん、同盟なども存在しないという趣旨です。つまり、女王の臣下は、対海国から伊都国までの「女王国以北の」少数精鋭であり、これら列国については、戸数の明細を得ていて、 女王国での朝議に参列しているかどうかは別として、それぞれ官を配置し、「刺史」の巡回監察や日常の「文書」交信によって、密接な連絡を取っていて、組織的、かつ、綿密な経営が存在したという意味でもあります。(言うまでもなく、単なる私見です)

⑵これらの国々については、名前以外の情報が一切ないので、この記事だけで最終の結論を得ることは不可能に近いが、筑後川右岸の佐賀県地方にかなり近い郡名が見受けられる。

コメント 東夷の「名前だけの国々」は、形式として国名列記しているだけで、それぞの実態が不明なのは、韓伝で例示されているように、むしろ当然であり、改めて言うまでもないのです。それを殊更「言い訳」したのは、奴国、不弥国、投馬国について、一見重要視しているように見せつつ、詳しく書かないからです。「言い訳」には、存在意義があるのです。

 「不可能に近い」と言い切りつつ余人の憶測を認めるのは、あるいは、氏の保身なのでしょうか。感心しませんが、この当たりは当ブログの圏外です。

7、狗奴国はどこにあったか
コメント 当ブログの圏外です。

 以下の講演内容は、総じて秀逸ですが、当ブログの守備範囲を外れるので論評しません。

〇まとめ
 世上言われているように、倭人伝の道里解釈は、百人百様の誤解、迷走であって、コメントに値しない「ジャンク」、「フェイク」の山です。河村氏に求められるのは、こうした無面目の混乱の中から、屑情報を早々に論破して、検討に値する「説」だけを称揚することだと思うのです。
 それにしても、氏の「放射状行程仮説」嫌いはどういう由来なのでしょうか。まことに残念です。

                                以上

新・私の本棚 河村 哲夫 講座【西日本古代通史】「邪馬台国論争のいま」Ⅰ 壹臺 1/2

 アイ&カルチャ天神 講座 【西日本古代通史】資料平成26年8月5日
私の見立て ★★★★☆ 沈着な論評         2020/09/22  補記 2022/08/29

〇はじめに
 今般、若干の事情があって、河村氏の講演資料を(有償にて)提供戴いたので、学恩に報いるために、以下、冒頭部分の批判を試みたものです。
 案ずるに、氏の本領は国内古代史分野にあり、以下引用する中国史料文献考証は、第三者著作から採り入れたものと思われますが、素人目にも、検証不十分な原資料を、十分批判せずに採り入れていると見えるので、氏の令名を穢すことがないよう、敢えて、苦言を呈するものです。
 なお、当部分は、氏の講演全二十四回のごく一部に過ぎない瑕瑾なので、軽く見ていただいて結構です。
 また、「邪馬臺国」が、実は、「邪馬壹国」を後漢書が誤解したものが引き継がれたものであったとしても、氏の講演、著作の全貌を毀傷するものではないことは、ご理解いただけるものと考えます。あくまで、学術的な論証手法の瑕瑾を指摘しているだけです。

〇「邪馬台国か邪馬壱国か」
第9回『魏志倭人伝』を読む①倭の国々 1、『魏志倭人伝』
⑴邪馬台国か邪馬壱国か

①「邪馬台国」ではなく「邪馬壱国」が正しいとする説がある(古田武彦氏)
コメント これは古田氏の説でなく、三国志現存史料は、全て「邪馬壹国」(壱)との客観的事実を述べている。この「客観的事実」を否定して、「邪馬台国」とする強固な論証は皆無である。原点の取り違えと見える。

・現存する最古の南宋(一一二七~一二七九)時代の『三国志』のテキストには、「邪馬壱国」と記されている。
※陳寿が3世紀末頃に著した『魏志倭人伝』の原本そのものは失われている。

コメント 古代史書の残存原本は皆無である。取り立てて言う事ではない。

②その他の文献
『魏略』の逸文、『梁書』『北史』『翰苑』『太平御覧』などには、「邪馬台国」と記されている。

コメント 「魏略の佚文」は、氏の指摘の通り、原本でも正統な写本でもない。「翰苑」は、史書でなく、誤記山積の断簡であり、信じることができない。
 どちらも考慮に値しないごみ(ジャンク)である。
 「太平御覧」は、類書と呼ばれる「全書」であり、史書としての厳密な編纂がされていない。従って、低質の「史料」と言わざるを得ない。
 「梁書」、「北史」は、公式史書と見なされているが、不確かな後世多重孫引きによる編纂であり、信ずるに足りない。
 考慮に足る後世史書は、笵曄「後漢書」である。

※これらはいずれも現存する南宋時代の『三国志』よりも成立が古い。

コメント 「三国志」は、「南宋時代」の新規著作ではなく、三世紀に編纂された史書であり、どの参考資料よりも「成立が古い」。

 各資料/史料の現存刊本は、いずれも、南宋以降のものである。概して、南宋紹興年間に開始された、古典書復刻大事業で、順次全面的な校訂、版刻を行ったのであり、言わば、「同期生」である。その時点で、絶滅していた「翰苑」は、例外で、唯一「断簡」が生存しただけである。

 この当たり、苦し紛れの理屈づけが混乱して、誰かが、何か、素人臭い勘違いをしたようである。そして、言いだした以上、頑強に固執しているように見受けられる。
 そのような他愛ない勘違いを、無批判に継承していては、見識を疑われるだけである。

③したがって南宋時代の『三国志』が、台を壱と誤植してしまった可能性が高い
コメント 南宋時代の『三国志』 、つまり、「三国志」の南宋刊本は、ページごとに木版を彫っていて活字植字ではないので、「誤植」つまり、印刷工房工人の活字拾い間違いは、原理的/物理的にあり得ない。もちろん、「三国志」に人格はなく、自分で自分を植字することもない。「頭上注意」である。
 二種刊本のうち、「紹興本」は、南宋紹興年間に、天下最高の衆知を集めて、北宋末の大動乱で全滅した北宋刊本を、刊本から起こされた数種の」良質の写本をもとに復元して、言わば、決定版と言える「本」を確定し、南宋の印刷工房を駆使して刊行したものである。
 南宋刊本の木版を彫った刻工は、少なからぬ数の実名が残されていることでわかるように、南宋代の天下最高の専門職人であり、誤刻が露見すれば厳罰に処されるから、万全を期して厳重に校正したのである。
 以上に示した南宋刊本の際は、大勢の専門家が作成した決定稿をもとに、刻工が正確無比に木版を彫ったのであり、無謀な誤写は、北宋刊本以前と見るしかない。

 巷説は、【三世紀に「三国志」の上程後、誤写が発生した、つまり、百五十年後の范曄「後漢書」で見る「邪馬臺国」が、後に改竄された】というようである。
 笵曄と同時代の裴松之は、皇帝の命で、当時帝室で所蔵していた「三国志」の校訂と付注に取り組んだのである。
 東晋南遷時の混乱で三国志原本に不安があったのかも知れないが、まずは、帝室所蔵以外の上質写本を呼集して、原本を基準として、校正したと見える。「上質」写本に、無残な改竄があれば、摘発され、是正されたはずであるが、裴松之は、そのような異常事態を一切述べてない。つまり、南朝劉宋代、「三国志」原本は、ほぼ、完全無欠であったと見るべきである。

※そもそも「臺」と「壹」は字形が似ている。『魯魚の誤り』という言葉があるが、両者は誤植の起きやすい字といえる。

コメント あくまで、タラレバの憶測でしかない。因みに、可能性が二千分の一であっても「高い」と見れば、それは高いのであろうか。意見は人によって異なるものである。繰り返すが、事は、印刷工房の植字工の手違いという「誤植」問題ではない。

 因みに、正史の写本、刻本は、厳格に実施される国家事業であるから、「誤認されやすい」字は、関係者が、一段と厳重に確認するので、むしろ、誤認は発生しがたい。

 但し、「正史」以外の緩やかな写本は、氏が指摘するように、誤写は絶無ではないから、むしろ、列挙された史料の編纂に使用されたものが、「魏志」の正確な写本であったという証拠はない」から、その段階までに、誤写が発生した可能性は、極めて高い。
 そのように憶測を根拠とした「証拠」に基づいて、現に存在する南宋刊本二種の現に書かれている文字を否定するのは、非科学的な恣意に過ぎない。

                                未完

新・私の本棚 河村 哲夫 講座【西日本古代通史】「邪馬台国論争のいま」Ⅰ 壹臺 2/2

 アイ&カルチャ天神 講座【西日本古代通史】資料平成26年8月5日
私の見立て ★★★★☆ 沈着な論評         2020/09/22  補記 2022/08/29

⑴邪馬台国か邪馬壱国か  承前
④「邪馬壱国」と記しているのは、いずれも十二世紀以降の文献ばかり

コメント 刊本、つまり、木版出版は宋代であり、それ以前は写本継承であるから、「十二世紀以降の文献」と決め付けるのは、見当違いの誤解である。このような子供じみた主張に追従していると、氏の見識が疑われるのである。

⑤「臺(台)」は神聖至高の文字ではない
陳寿の『三国志』にも、牢獄とか、死体置き場といった意味で「臺」の字が使われている。魏から見て敵国に当たる呉の国の君主孫権の父親である孫堅のあざなは「文臺」である。神聖な文字を、死体置き場や敵国の人間の表記に使ってもよいが、未開の友好国に使ってはいけないというルールは見当たらない。

コメント 当時の「ルール」は、史書などに一切書き残されていないから、氏の見聞範囲に見当たらなくても不思議はない。
 「三国志」と大雑把に指摘しているが、東呉創業者孫堅を記録しているのは、東呉の史官が書き、陳寿が用語に干渉しなかった「呉書」による「呉志」で「魏志」ではない。「三国志」では、孫権は、呉主、つまりれ、地方首長であり、また、地方首長が字を名乗るとき、古典書典籍も含めて、その時点での自身の見識で選んだのであり、存在しない魏朝が後世定めたと思われる貴字を回避する理由はない。何かの勘違いであろう。論拠にならない。
 それ以外の指摘は、文献考証の鉄則に従い、個々の当該文字用例の出現場所と文脈(前後関係)で判断すべきである。(時間と労力を要する作業である)

*「臺」の意義
 「春秋左傳」なる(陳寿を含めた)史官必読の権威典拠によれば、「臺」は、天子の下にぶら下がる十階級の身分の最低格である。「倭人」を未開であるが周礼を知っている格別の蕃夷と密かに敬した陳寿が、その女王の居処に、「邪馬臺」と蔑称の中でも最低の蔑称を呈するはずが無い。少なくとも、周代以来の史官伝統を継承していた魏晋代教養を有する陳寿は、そのような愚を犯さなかったとほぼ断言できるのである。もっとも、「未開の友好国」は、時代錯誤の錯覚に過ぎず、当時そのような蕃夷はあり得ない。

 魏は、天下唯一の正統政権であって、呉は後漢の臣下でありながら、背いた「叛賊」に過ぎず、もちろん「国」などではなく、魏と対等の「敵」ではない。「敵国」と称するのは、古代史学に相応しくないし、「友好国」共々、氏の時代錯誤の世界観の弊害と見える。と言っても、中国古代史史料は、氏の本領ではないので、素人めいた言葉遣いに陥っていると見える。(講演を行うなら、聴衆への責任があるので、誰かにダメ出しして貰うべきではないだろうかと愚考する)

 本項で言うと、確かに、「神聖至高」は、誰が言い出した知らないが、素人目にも言いすぎであり、また、「三国志」全体で通用するとは言えないし、古田氏も、そのような主張はしていないはずである。

 お互いに、枝葉末節を力んで論議するのは、学問の本筋を外れているように見える。

⑤結論:以上より「邪馬臺国」が正しい。
コメント 各種の主張を列記したが、それぞれ、未検証にとどまり、確たる論証になっていない。飛躍して「以上より」で結論に結びつけるのは、余りに性急で、氏の見識に疑いを投げかけるものであり、勿体ない。

それを現在は簡略文字で「邪馬台国」と表記している。

コメント 「現在」とは、「古代史界」(実態不明)の大勢(実態不明)を言うのだろうが、論証なしで表記していること自体は「自明」である。氏は、それが、妥当かどうか検証したかったと思われるが、以下述べるように、それは不要と思う。

 因みに、「台」は、本来「臺」と別の由来の文字であり、安直に代用してはならないが、太古以来、しばしば代用されているだけである。

〇まとめ
 と言う事で、当ブログ筆者は、素人なりの見識と知識を駆使して、河村氏の論証を追尾し、反論して時間と労力を費やしたのです。

〇論争停戦の勧め
 古代史分野は、倭人伝二千文字の中の壱文字の話題で随分盛り上がるのですが、ここにあげられているような、無意味な根拠で力説するのは、氏の古代史に関する見識に疑念を投げかけるものであり、随分勿体ないと思います。(俗な言い方をすると、「余計なことを言うと信用をなくす」、と言う事であり、下手すると、論争相手の失笑を買うことになりかねません)
 氏ほどの学識であれば、この話題は飛ばして【本講演は、「邪馬台国」(略字)で進める】と「宣言」するのが好ましいように思います。
 「ここだけ宣言」すれば、混沌、無面目の国名論議がなくなるので、聴衆も随分気が楽になります。

                                以上

2022年8月23日 (火)

今日の躓き石 毎日新聞社報道倫理崩壊を歎く 「わが町にも歴史あり」 1/2

 ~「知られざる大阪 /580 東高野街道/71 藤井寺市~羽曳野市 古墳覆う秘密のベール /大阪」 2022/07/30   投稿 2022/08/23 

◯始めに
 書評に値しない無法な毎日新聞記事の墳墓論に、深刻な報道倫理崩壊を感じる。因みに、大阪地方面の連載記事であるが、他地方の読者も、購読者以外の一般読者も、同社サイトから読めるので、地方限定でないとして扱っている。

 同報道は、本来、記者が、管内の各街道を歩く、むしろ気軽な歴史紀行記事であるが、突如、史料の乏しい古代分野に迷い込み、考古学的な記事となって、今回の古代論記事に至ったのである。何しろ、日本が実生の太古である古墳時代の街道を、現代の地上から偲ぶことは不可能なので、風評、憶測の世界に迷い込んだのである。

 その結果、確定した情報の無い時代に対して、言わば、風評報道に留めるなら、何とか許容範囲だが、根拠の無い独善に落ち込み、国家機関としての責務を果たしている「宮内庁」に対して、全国紙としての権威を笠に着て、無責任で個人的な誹謗、中傷を投げつけるのは不法と感じる。

 以前の回で、研究機関所長の談話が紹介されたが、それは同所サイトで公開の所長見解と照合でき、記者の勘違いに惑わされず、批判できる。
 これに対して、今回突出した、不勉強ものの落書きと見て取れる誹謗、中傷は、別格の不法行為である。落書きされては、どんな第三者史料を根拠にしているのか、追及しようがない不当な書き方になっている。

*報道倫理崩壊の形跡
 今回示されたのは、報道の「偏向」などではない。毎日新聞社の「宮内庁」批判、弾劾には、強固かつ客観的な論拠が必要である。
 念のため言うと、当方は、「宮内庁」の見解に無批判で追従しているわけではない。又、「宮内庁」の反論、抗議を代弁しているのでもない。記者の心得違いを諭そうとしているだけであリ、その後に、天下第一の毎日新聞の煌々たる後光が差しているので身構えているのである。

 今回の記事が、市中の個人研究家の私的なサイト記事であれば、この世界でまま見られる度過ぎた暴言として無視すれば済むが、今回は、一般読者に向けられた全国紙記事であるから、読者は全国紙の権威に裏打ちされた非難・弾劾と見るから大問題なのである。 

*毎日新聞社の報道倫理
 毎日新聞社の編集部門には、「ファクトチェック」機能すらなく、記者の書いたままの「フェイクニュース」で誌面を汚すのだろうか。

*記事引用/批判
 以下、知財権に抵触しない範囲で部分引用し、批判を加える。疑問の向きは、毎日新聞社ウェブ記事で確認いただきたい。

 「仁徳天皇陵」とは宮内庁がそう言っているに過ぎず、誰も確かめたことがない。治定(じじょう)といって、要は政治的に天皇陵を定めているのだが、立ち入り調査を認めていないから、ほんとに仁徳天皇が葬られているかどうかわからない。

 コメント:
 仁徳天皇陵治定は、宮内庁が、国家機関として責任を持って公表しているのであり、別に、同庁の口から発声して「言っている」のではない。
 そのようにして公表された内容を「過ぎず」と断定する独善の根拠は、不明、そして、「誰も確かめたことがない」とは、どんな事項かも不明である。誠に無責任である。
 政府機関が、主権国家の公式見解を公表するのは、高度に「政治的」な判断に基づくのであって、無責任な野人が「安直に」批判すべきではない。
 「ほんと」は「わからない」から「仁徳天皇墳墓でない」との確証はない。
 記者は、何か、「カルト」に深く帰属して、特定の言葉遣いに「取り憑かれて」いるのだろうか。これでは、信用を無くしかねないので、職業柄、早急に克服された方が良いように思う。

 そもそも、宮内庁の治定は実態と合わないものが多い。要は間違いだらけなのだ。古墳の築造年代と、治定されている天皇の年代が合わないとか。
 古市古墳群でいえば、雄略天皇陵だ。宮内庁が治定しているのは島泉丸山古墳(羽曳野市)だが、研究者の多くは岡ミサンザイ古墳(藤井寺市)と考えている。雄略は5世紀後半の大きな変化の時代を担った大王だ。

コメント:
 公開情報宮内庁「治定」と対比すべき「実態」は一切明示されず、委細不明なのに、「要は」と乱暴に括って、「間違い」「だらけ」と蹴散らかすのは、猛々しいところを誇示したつもりだろうが、容易に見透かされる内情は、ひたすら「不明瞭」、「不合理」で、中学生並の乱文と言われそうである。
 宮内庁の専門家集団と対決して、勝てると思う根性は、素晴らしいのかも知れないが、一読者としては、ご勘弁頂きたいと思うのである。

 新聞は社会の公器である。特定の社員が、好き勝手に汚(けが)して良いものではない。
 半人前の言いがかりは、何度言い立てても、門前払いがせいぜいであり、それだから、毎日新聞の紙面を不法に乗っ取って、勝手な意見を言い立てているのだろうが、この紙面分、新聞代を返せと言いたいところである。一ヵ月分「ただ」にしろとまでは、言いたくても、言わないことにしておく。

                                未完

今日の躓き石 毎日新聞社報道倫理崩壊を歎く 「わが町にも歴史あり」 2/2

 知られざる大阪 /580 東高野街道/71 藤井寺市~羽曳野市 古墳覆う秘密のベール /大阪 2022/07/30 投稿2022/08/23  

*記事引用/批判 承前
 中国の史書に出てくる5世紀の「倭の五王」の最後の「武」が雄略とされ、自らを「治天下大王」と称し、中国・宋への上表文で、勇ましく国を平らげたと誇った。専制的で暴虐とされる一方で、万葉集の冒頭に恋の歌が掲載されているのは、雄略が画期の大王で後世にも特別視されていたからだろう。

コメント:
 出典不明、自身で情報検証したのか不明瞭な風評記事である。
 それはさておき、当記事が「言っている」のは、別の不確かな墳墓に付け替える不確かな憶測に過ぎないので、宮内庁を断罪する根拠となり得ないのである。

*妥当な批判
 在野の意見を反映していると見られるWikipediaは、当遺跡の核心を冷静、かつ丁寧に説いている。
 実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により島泉平塚古墳と合わせて「丹比高鷲原陵(たじひのたかわしのはらのみささぎ)」として第21代雄略天皇の陵に治定されている。

コメント:
 当墳墓を「前方後円墳」である「雄略天皇墓」と解するのは、学術的に謬りと思われるが、それで、宮内庁に「謬りが多い」とは断罪できない。

*隠された日本書紀崇拝
 以上引用を含め、記者は、神がかりで宮内庁を「間違いだらけ」と断じ、すらすらと天皇名を述べるが、雄略天皇が五世紀に実際に存在した「天皇」であって、その遺体が「岡ミサンザイ古墳」なる古墳に埋葬されたとは、記者が「言っている」に「過ぎ」ない。論外と見える。

 それにしても、全体を裏書きしていると見える第三者研究成果の無断引用は不法行為ではないか。毎日新聞社に報道倫理は適用されないのだろうか。

*カルトか、お「カルト」か
 暴言に取り合うのも馬鹿馬鹿しいが、「研究者の多く」の「研究者」は、何者で何人いて、そのうち何人がどのように記者と気脈を通じて、古代史論を交わす「研究者」カルトか、あるいは、敬称付きで「お「カルト」」か、を形成しているのか。
 いくら「うちわ」受けしても、学術的な正確さは問えないのは、自明ではないか。

 このあたり、カウンセリングで強迫観念を治療した方が良いのではないか。

*宮内庁書陵部賛
 宮内庁書陵部は、国家公務員の倫理に従う献身的な研究者を擁し、国費によって陵墓を研究、管理する専門部であって、日本国民のために、陵墓管理に身命を賭している。古来の文献を継承しているのと合わせて、新たな知見により、豊富な研究を重ねている。在野の「研究者」の浅知恵の及ぶところではないのに気づかず、あるいは、確認せず、「間違いだらけ」と一刀両断するのは、無責任である。

*等閑(なおざり)にされている報道の本分
 付記すると、宮内庁の治定のおかげで、当陵墓周辺の道路整備、住宅地開発などの公共事業に重大な制約が出ているのは周知である。
 地方版記者は、現地事情を熟知しているはずであるから、毎日新聞は、公共事業に、重大な制約が出ている事を報道し、本件の是正を端緒に、全般的な再考を求めるのが、新聞社のなし得る国民への最大の貢献ではないだろうか。

 場違いな紙面で、おおぼらを吹くのは、論外ではないか。

*公僕の本分
 国家機関に勉める者にとって、国民の福祉増成が最優先の筈である。各人の給与は、個人口座に自動的に振り込まれるかも知れないが、それは、神がかりのもの(タナボタ)でなく、全国各地で生業に勤しんでいる納税者の浄財の一端である。国家公務員各位は、誰に貢献すべきか、再考いただきたいだけである。

                                以上

2022年8月19日 (金)

今日の躓き石 NHK BS-1の「のんき」な誤解加担 紛らわしい「ゴールドグラバー」

                         2022/08/19
 今朝のNHK BS-1のMLB中継で、解説者から「ゴールドグラバー」が出てきたが、大半の視聴者は、Gold Glove Award(ゴールドグラブ賞)の受賞者『GOLD GLOVER』(デタラメ カタカナ語)と思ったのではないか。いや、この単語自体は、時に現地放送で出て来るから、一種「通称」と思うのだが、大半の日本人には、詳しい説明無しで、正確に理解できないはずである。
 つまり、生煮えのカタカナ語「ゴールドグラバー」は、”Gold Grabber”であって、”Gold Glover”ではない。大体、日本では、Gloveを「グローブ」と呼んで、棲み分けているので、「ゴールドグラブ」も、生かじりのカタカナ語なのである。複合汚染であるが、NHKは、事態を認識しているはずである。
 つまり、英語では、頭の「G」だけ共通で、全体にまるで違う発音でも、カタカナにすると同じ、日本語の発音も同じなので、日本人には、自然な誤解かも知れない。それにしても、NHKほどの権威の持ち主、公共放送が、安易に誤解を広げては、怠慢と見える。
 現に、日本での誤解のせいか、ほぼあり得ないGold Gloverで、検索ヒットしそうである。無理が通れば道理が引っ込むのだろうか。

 ちなみに、賞の名前は、”Rawlings Gold Glove Award"であり、がっちり商標化しているはずである。いくらNHKでも、冠スポンサーを飛ばしてタイトルを引用するのは、感心しないのではないか。

 NHKとしては、この間の事情を整理した上で、解説者、つまり、用語事情の素人に丁寧に説明して、とりあえずは、MLB関係番組内で、紛らわしい「ゴールドグラバー」を使わないにこしたことはないのである。世間が、鈍感で誤解を撒いているのに、NHKが加担することはないのである。

*巨大な負の遺産~再発防止の提案
 最近のNPB中継で、コメント募集のお題に「ナイター」が登場してしまい、中継放送では、解説者共々、基準に従い「ナイター」と言わずに「ナイトゲーム」という、大変ご苦労様な対応をしていた。それにしても、俳句の季語になっている(らしい)「ナイター」に、静かに引退いただき、ひっそりと廃語にするのは、今後百年かかっても、不退転の意気で挑むにしても、何にしても、かくも困難を伴うのである。
 たちの悪い誤解は、自然に聞こえるものであり、それが広がってしまうと、地に根が生えて退治しようがなくなり、世代交代によって自然消滅するのを待つしかないのである。

 もう一つ困った誤用を「歴史」上に蔓延させないために、公共放送関係者ご一同には、くれぐれもご自愛頂きたいものである。

 いや、民間放送各局にしても、無頓着でいるわけではなく、一部の心ない怠け者数社以外は、言いたくてたまらない「ナイター」を口にしないように、絶大な努力に挑んでいるのである。

以上

2022年8月16日 (火)

今日の躓き石 情けないBS1 MLB解説の「リベンジ」連発の堕落

                         2022/08/16

 今日の題材は、NHKBS1kMLB解説番組ワースポMLBである。結構カネと手間がかかっているはずなのだが、本日は、菊池雄星が「リベンジ」の汚名を少なくとも2回浴びせられて無残であった。ここまで脚を引っ張られては、たまらないと思う。目下、低調のようで負けが募っているが、個別の対決で力が出ていないだけで「血まみれのテロ」など考えていないはずである。そんな汚い根性の持ち主ではないはずである。

 NHKは、選手にとって励みになる声援を送るべきである。そして、こどもたちが真似をするドギタナイ言葉遣いは、とことん撲滅すべきである。某米国前大統領のように、キャスターやナレーターを「首にしろ」とまでは言わない。国民を、ドギタナイ言葉遣いから守って欲しいのである。

 このままでは受信料返せである。もっと広い場所で怒鳴っても良いのだろうか。

以上

2022年8月 3日 (水)

今日の躓き石 毎日新聞が報道するプロ野球の底流 「同級生」への手加減

                            2022/08/03

 今日の題材は、毎日新聞大阪夕刊総合面の四段組み大判記事であるが、スポーツ面担当記者の筆で無いのかも知れない。

 独立リーグ出身選手がNPBオールスター戦で登板した晴れがましい記事であるが、とんでもないオチを付けられて、折角、三段半に渡って展開したサクセスストーリーが泥まみれになったのである。

 ポイントを絞る。七回一死一塁から、同い年の選手との対決で「本能」が刺激されたという。曰わく、「同級生」を変化球の決め球で打ち取るのを避けたとある。どんな「本能」なのか、大変疑問である。変化球で打ち取るのは「友好的」でないから、「真っ向勝負」と称していながら、本気の勝負を逃げたということになるのである。そう受け止めた読者は、少なくないと思う。

 失礼ながら、プロ野球選手の本能は、全力で相手に勝つという事ではないのだろうか。手加減など論外。敗退行為と言われかねない。いくら、オールスター戦でも、堂々の真剣勝負を期待している観客に失礼と思わなかったのだろうか。

 そんな疑惑が湧き上がるのは、ここに、選手の発言の引用をはめ込んでいるからである。ここまでに、記者自身が「同学年」、「同い年」と大人の言葉遣いで語っているのに、殊更、子供じみた「同級生」と言わせたのは、選手の幼児性を浮き彫りにしたかったのだろうか。そこまで、技巧を凝らして、未来ある選手を晒し者にするのは、どういう意図だろうか。

 これが、毎日新聞でなくて、ネットの雑記帳めいた記事なら、笑って済ませるのだが、天下の全国紙の総合面署名記事となると、大変な意気込みの記事と見える。NPBで「同級生」とは、互いに手加減しあって貸し借りしている「同好会」隠語とも見えるのである。とんでもない話である。

 そんな疑問を抱かれないように、そして、不都合ななれ合い、友好的同好会は、表に出さず、闇から闇に葬って欲しいものである。

以上

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