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2022年9月29日 (木)

新・私の本棚 渡邉 義浩 「魏志倭人伝の謎を解く」増訂 1/4

中公新書 2012年5月         2014/05/27
私の見立て ★★☆☆☆ 「先入観」の塗りつけられた誤解継承  2019/04/21  増訂 2022/09/29

▢増補改訂の弁
 近来、本書を権威として暴論を繰り出している論客を見かけたので、丁寧に論駁することにしました。(本書が暴論を説いているという事ではない)特に、氏が提起している「理念的」「道里」論に主語がないため、「倭人伝」道里記事の解釈に混乱をかき立てている点に疑問を感じるのです。

⚪「はじめに」

 この部分に著者の所信が明記されているので、それなりに「フェア」なのでしょうか。それにしても、この「わずかな」記述の中でも、著者の「先入見」が露呈し、本著が「倭人伝」の客観的な論考とは言えないものであることがわかります。
 以下、最初が肝心なので、どこがどう不都合なのか、丁寧に解き明かすことにします。

*虚言の山積
 「しかし、約二千字に過ぎない倭人伝の記述は、その全てが事実に基づいているわけではない」
 何気なく「過ぎない」と言い切って、何気なく著者の価値観を押しつけています。これは、正統な論議に自信のない論者の常套手段、いうならば使い古された、見え透いた手口であり、これもまた、論争敗者のささやかな隠れ家です。

 続いて、「その全てが事実に基づいているわけではない」と、筆勢に載せて断言していますが、いかなる著作も「全てが事実に基づいている」訳はなく、必ず、誤解(勘違い)や誇張(言葉の綾)や創作(理屈づけ)が含まれているのは、自明です。そして、二千年前の史官の信奉した「事実」は、後世東夷の無教養の蛮人の感じる「事実」と整合するわけがないのです。良心を備えた論者は、このような意味のない虚言は、控えるものです。
 こうしてみると、著者の断言に特段の意義はなく、氏の私見に基づく一片の壮語なのです。

 続いて、倭人伝の記述には、多くの「偏向(歪んだ記述)」が含まれている、と断言しています。ここで、「いかなる著作も、全てが事実に基づいている訳ではない」と言う原則に立ち返ると、それは、本来、「偏向」と言うより「観察の誤差」と呼ぶべきものです。
 「観察の誤差」は、いかなる観察にも避けられないものであり、取り除くことはできないということを、読者は、全て、承知の上で読んでいるのです。

*傾いた史料観
 因みに、氏は、無造作に『「三国志」が全体として持つ「偏向」』と虚言を弄していますが、「三国志」は、それぞれ独特の「偏向」を持った「魏国志」、「呉国志」、「蜀国志」の三部の国史の合わされたものとみることも有力な見方です。少なくとも、「呉国志」は、東呉史官が編纂した「呉書」が、亡国の際に、晋帝に貢納されたものであり、「呉書」には、陳寿がほとんど改竄の手を加えていないので、東呉史官の「偏見」が温存されていると見る者ではないでしょうか。
 このあたり、素人が口を挟まなくても、三国志第一人者は百も承知の筈ですが、ことを簡単にするために、ドロドロと子供だましの詭弁を塗りつけていて、結局、信用を無くしています。

 また、正史編者たらんとして史料編纂に取り組んでいる史官/編者が、何らかの編纂方針に従って、言葉遣いなどを工夫するのも「曲筆」などと非難すべきでなく、「修辞」、「修飾」と言うべきです。

 このような、ことさら厳めしい言葉遣いを投げつけることによって、著者の価値観を読者に押しつけるのは、壮語と言うより、業界の旧弊と呼ぶべき悪しき習慣であると考えます。

*誤爆御免
 本論は、書評として不釣り合いなほどに著者の手口の不都合を言い立てていることと思いますが、それは、著者が、今日までに「常套手段の弊害」を学びとっていないように読み取れるからです。いや、あるいは、承知の上で、方便としてこのような「迂遠」な論義を展開しているのかも知れませんが、素人論者としては、書かれていない真意を忖度して、論義を撓めることには、同意できないのです。

 本著の主部の論旨展開は、不都合な壮語を取り除けば、むしろ堅実なものと思うのですが、何分にも、「業界の旧弊」と見られる「偏向」と「曲筆」が、説得力を失わせていることが気がかりです。

 いや、ひょっとすると、これらは、師匠筋に当たる岡田英弘氏の遺した歴史資産であり、渡邉氏は、一も二もなく継承するしかないのかもわかりませんが、それにしても、もう少し合理的な資産継承は、できないものなのでしょうか。

*価値観の押しつけ
 『「倭人伝」は、「三国志」のほんの一部分に過ぎない』と言うのも、またもや、渡邉氏の個人的な価値観の押しつけであって、「倭人伝」は、「三国志」の一部分、字数で言うと0.5パーセント程度とことさらに壮語していますが、これは、小学生にもわかる算数であって、著者ならではの高度な知見ではないのです。

 また、物の道理として、本書の主題である「倭人伝」の考察に際しては、まずは、「倭人伝」自身を、それ自体で解釈するのが、「第一歩」であって、外部の状勢を斟酌するのは、二の次で良いのです。そして、渡邉氏が本書で示された、外部状勢に基づく「賢察」は、大半が勘違いであって、「倭人伝」の適正な解釈の「重大な妨げ」になっているのです。

                                未完

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