新・私の本棚 山下 壽文 「末羅国伊都国間の道程を巡る諸説の検討」改訂
~唐津平野の地形を中心として 季刊 邪馬台国 142号 投稿記事 令和四年八月一日
私の見立て★★★★☆ 好記事 2022/09/15 改訂 2023/08/30
◯総評
本稿は、現代の精緻な地理識で「倭人伝」を批判する方針で丁寧に論じられたことに敬意を表するが、当方の「道里行程記事」解釈と意見が別れ、一言批判する。なお、本稿は「投稿記事」であり、編集部見解と輻輳するかも知れない。
なお、後記するように、当稿は、氏の「道程」論本体部分に干渉するものではない。
*通説、異説の取り扱い
「はじめに」で、「倭人伝」末羅条の「東南陸行五百里到伊都国」の道里に対して、「水行」と読む異説(風評か)が紹介されている。氏は、慎重に、「陸行」「通説」ながら「道程」に「陸行」と「水行」の両論があるとしている。
この際の「通説」は、「倭人伝」原史料に基づく、厳正な「定説」であり、これに「異説」を唱えるには、厳格な自己検証が不可欠なのである。
にもかかわらず、山下氏は、出典を明らかにしない風聞を提示して、論義を開始している。これは、論考の根底を踏み外しているが、季刊「邪馬台国」氏は、安本美典氏の「誌是」に反して、無審査で掲載しているようである。もったいないことである。これでは、山下氏が、児戯に類する雑文を投稿したことになり、氏の名声を損なうと見える。
*合理的な解釈訴求
末羅条記事は、『末羅に至る三度の渡海「水行」から、末羅で陸行に復元した』と明記しているにも拘わらず、「陸行」は改竄であるとの、誠に稚拙極まりない思いつきであり、一考に値しないと見える。西晋史官陳寿が、慎重な推敲を経た「倭人伝」 記事を「水行」と読む「異説」は、「説」に足りない「憶測」であり、はなから棄却である。
「倭人伝」は、中国史書の道里記事で空前の「水行」を「大海中の洲島を渡海し伝い行く」例外的用語と定義したのであり、末羅が「伊都と隔絶した海島」と書かれていない上に、「さらに海を渡ると書いていない」以上、ここに「水行」が出る幕は金輪際無い。ことは、一字書換で済まないのである。「水」「陸」は、随分字形が違い、それは略字でも容易に識別されたはずであるから、子供でない限り、誤写しないのである。
氏は、現代日本人が「憶測」で倭人伝記事を覆すことの愚を歎いておられるので、この点以外では、堅実な考察を進めていただけるものと思う。なお、「異説」を「さかな」にしたと見える道程地図論は、山下氏を非難するためではないので、当論の圏外である。
*即決の勧め~同感と不同意
無効な見解を即決せず審議を重ねるのは、氏の見識に勿体ないと思う。
「おわりに」で逡巡の背景をみると、氏は、倭人伝道里を直線的と決め込んだために、いずれも不合理と頓挫、苦吟しているようである。
率爾ながら、「伊都から女王まで水行十日陸行一月」との素人目にも「不合理な通説」に固執せず、柔軟な視野で読みなおすようお勧めする。何か得るものがあるはずである。
「倭人伝」論で、「通説」は「浅慮の旧弊」の同義語、骨董品、「レジェンド」なので、ちゃんと「壊れ物」扱いして頂きたいものである。
*用語の時代錯誤~定番の苦言
因みに、氏は、「道程」と暢気に書いているが、砂浜は「道」や「禽鹿径」ではない。タイトルで、きっちり底が抜けている。因みに、「道程」は、「中国哲學書電子化計劃」のテキスト検索では、唐代「白居易」漢詩だけで、魏晋代には存在しなかったと見える。これでは、タイトル審査で落第、ゴミ箱直行である。
魏志「倭人伝」は、三世紀中国人著作物であり、真意を解読するには、まずは、現代日本人の「辞書」を脇にどけて挑む必要がある。氏の一助になれば幸いである。
*「魏船」来航幻想~無視された無理難題
氏は、魏使が、自前の船舶で末羅に来航したと決め込んでいるが検証済みだろうか。
山東半島から帯方郡の海津(渡し場)までは、騙し騙し軽微な便船でこなしたとしても、遙か末羅まで、海図も寄港地案内も、何も頼るものもない、絶海、未踏の行程をどう解決したか、慎重に検証して欲しいものである。もちろん、「騙し騙し」は、冗談であって、迚も迚も、「自前の船舶」、つまり、海域に不似合いで、水先案内の着いていない異国の船舶は、死にに行くようなものである。
何しろ、「倭人伝」には「狗邪韓国の海岸に出て、初めて海を渡った(水行した)」としか書いていないのである。何か、夢でも見ているのだろうか。
以上
追記:2023/08/30
今回読みなおして、氏の真意を探り直したのであるが、所詮、氏の素人考えを古来の「素人考え」なる「通説」と対比して論じているようにしか見えないのである。当ブログは、「通説」を世上俗耳に訴えている「俗説」と同義語扱いしていて、本来の「定説」が霞んでいるが、依拠文献である「倭人伝」の正当な解釈が、「俗説」と同列に扱われているのは、名人とも、もったいないのである。
つまり、倭人伝の冒頭に展開されている「道里行程」記事は、中原政権である魏が、麾下の帯方郡から、新参の東夷である倭に至る行程を公認したものであり、世上誤解されているように、魏使の訪倭記を書き留めたものではないのは、明らかである。要するに、「道里行程」記事の主部は、魏明帝が派遣した魏使について、所要日数を明示したものであり、六倍にも達しようという道里の誇張など、本来あり得ないのであるし、所要日数の見積もりは、最大この程度かかる、という想定であり、これは、帯方郡に確認させれば、せいぜい数ヵ月で確認できるので、大幅な誇張などあり得ないのである。誇張して露見すれば、関係者一同、馘首死罪であるから、妥当な日数なのである。
また、道中で、狗邪韓国から三度の渡海が特記されているが、この間は、並行した陸上街道がないので、それぞれ、陸上街道で一千里と見立てたものまで有るから、末羅国から、始めて「陸行」された以上、伊都国までは、陸続きなのが明記されているのである。この点を偽っても、何の効用もないから、偽りないものと見るべきなのである。
さて、氏は、そのように確定した末羅国~伊都国行程に関して、なぜか「倭人伝」記事に反する「水行」を想定し、海面上昇などの異次元要素を持ち込んで「倭人伝」の誤記だとする「異説」の支持を図っているのである。しかし、これは、論証の存在しない「思いつき」に反応しているものであり、方向違いなのである。つまり、資料解釈を覆すには、採りよう、つまり「倭人伝」を克服する確定知りようがなければならないのである。そうでなければ、そのような思いつきは、門前払いして、却下すべきなのである。まして、「定説」の否定に走るべきではないのである。
肝心なのは、問われるべきは「倭人伝」の文献考証であり、編者である陳寿が、「倭人伝」編纂の際に知るはずもない、倭地の地形は、お呼びでないのである。
「倭人伝」は、三国志「魏志」の一部分であり、当時の皇帝以下の高官を読者として想定し、明快な読み物としたのであるから、氏が論じているような現地事情は、関係無いのである。逆に、当時読者が、即座に理解できたような明解な記事であるから、高度な計算を強いたり、面倒な謎解きを書き込んだりすることは、あり得ないのである。現代人が題意を読み取れないのは、所詮、東夷で、古代人の常識である教養を持たないから、理解できないだけなのである。
誠に単純明快だと思うのだが、中な管理会を得られていないようなので、氏の玉稿の批判をサカナに、ここでも説いているのである。氏は、明らかに、古代史論の論客ではない、いわば門外漢なので、以上の批判に特段の他意はない。
本誌掲載までに、然るべき助言がなかったのを残念に思うのである。
以上
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