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2022年9月15日 (木)

新・私の本棚 播田 安弘 「日本史サイエンス <弐>」 短評

 「邪馬台国はどこにあったのか」講談社 ブルーバックス 2022/05/20
 私の見立て ★★★☆☆ 格調高い編集、丁寧な「大ぼら」 2022/09/15

◯総評~第一章 「邪馬台国はどこにあったのか」
 当書評の対象は、「倭人伝」論ですから、本章のみに限定します。
 氏の失敗は、取り組む課題が理解できていないことです。そのために、「ジャンク」とも見える圏外情報に囚われています。また、その「ジャンク」を咀嚼も味見もせずに、するりと摂取したために、途方も無い先入観を植え付けられて、有らぬ方に偏った心証を持って論じています。それは、「サイエンス」から、地平線を越えて遙かに遠ざかる道です。

①日食談義~場違いな「太陽論」
 「日食」論は、とんでもない勘違いです。唯一最善の基本資料である「魏志倭人伝」(以下「倭人伝」)には、日食記事は存在しないのです。つまり、ここに述べられた「日食」は二千年後世東夷の臆測であり、「倭人伝」の「科学的」解明には、本質的に無関係です。

②古代船冒険談義~見当外れな「海」
 一連の「古代船」冒険の棚卸しですが、不成功の解決策が見えません。氏の船舶構造専門家としての見解は、素人として拝聴するしかないのでしょうが、「尊師」に相談しないから失敗したと言うだけでは、改善の仕様がありません。

 殊更に、ここで氏の評価を批判するのは、当時、対馬と対岸の間を「軽舟」が渡船/便船として往来し、時代/地域相応の貿易/市糴が行われていた時代背景を見定めてないからです。「大きな船」といえども、紹介された「古代船」諸事例のように、重量船体、多数の漕ぎ手の力業では「なかった」のです。
 対岸までの航行は、早ければ半日仕事で、天候も波濤もそこそこなので、甲板/船倉のない軽量、軽装備であり、屈強の漕ぎ手が随時交替して休養を取るので、槽運として持続可能だったのです。
 「倭人伝」は、当時、当たり前のことは書いていないわけですが、当たり前のことを知らない論者がひしめいている世間では、誰も氏に助言てきなかったのでしょう。ちゃんとした相手に相談しないと、泥沼に引きずり込まれる例です。

③「邪馬師」の残光~間違えた相談相手
 記事中、女王が「大陸」に向けて「取宝船」を送り出したとしていますが、「倭人伝」に書かれていない「夢想」です。そのような夢物語は、随分心地良いのでしょうが、あくまで手前味噌の創作なので、この場で論義するのは、場違いと自覚して頂きたいのです。氏の名声があれば、新刊本はとことん売れるでしょうが、史学とは別の話です。

 いや、これは、氏が相談した「山師」ならぬ「邪馬師」の執念/生き甲斐かも知れませんが、当時の市糴は、単に、半島まで渡船で乗り付けて、街の市で商いすれば完結していたのです。「大陸」がどこのことか趣旨不明ですが、洛陽まで行けという事なのでしょうか。困ったものです。
 どうしても、遠出したくて辛抱できなかったとしても、渡海上陸した後は、安全な街道行で半島中部の帯方郡まで出向けば、片道四十日程度で用が済んだのです。それでも、往復の行程は、どこから食糧を入手し、どの程度、宿所に払い、関税を払うのでしょうか。経路諸国は、普段、近隣交易で収益を得ているので、頭越しに乗り越えていく「輩」から、たっぷり関税を取り立てたはずです。「輩」は、道中の安全が大事ですから、沈まない行程に、むしろ悦んで通行料を払ったと見えるのです。

 当時、中原世界と異なって、共通通貨はなかったわけですから、どのようにして価格交渉するのかも興味が募ります。遠隔地では、物々交換しようにも、「相場」、つまり、互いの価値観がわからないので、売買がなり立つとは見えないのです。当ブログで、「近隣市糴」をも何よりも推奨する背景です。

 くり返しになるかも知れませんが、堅実な考察は、時代・地域相応の世界観の確立から始めるべきです。氏が相談した先賢諸兄姉の意見は、当然、最高の敬意をもって、絶対に尊重すべきですが、第三者の目から見ると、所詮、懲りない「敗軍の将」の兵談の類いであり、ホラ話に無批判に追従しては、年代物で、先人の足跡かが呼び寄せている陥穽に、また一人の犠牲として落ちるだけです。

 因みに、倭人伝に書かれた帯方郡への使節も、国家安寧がかかっていた以上、当然、安全/迅速な経路を辿って参上したのであって、必死の「冒険航海」など到底あり得なかったし、魏の皇帝も、当然、道中が間違いなく安全と見て、大量で、高貴な贈り物を公式経路を通して送りつけたのに違いないです。
 倭人伝は、淡々と書き進んでいますが、「当然」の事項は割愛するのが「当然」です。

 普通、このように時代背景を確認して取り組むのが「科学的」考察の「イロハ」の筈です。まずは、当時の唯一最善資料「倭人伝」を、その言葉で解釈するべきであり、史料が適確に解釈できないでは、事態の「科学的」解明はできないのです。

④倭人伝談義~粗略な本論/正論無視
 「倭人伝」談義では、詠み人知らずの日本文を落第生「邪馬師」をなぞって解釈し、さながら水に墜ちた様を笑うだけで何も示さないので、味が悪いのです。氏は、「全員間違っている」などと、無謀で恥知らずな断言はしていませんが、「落第生」を見習って難儀な「思い込み」を抱えているように読めるのは、まことに勿体ないところです。
 例えば、「野性号」の例で言えば、誤解した「狗邪韓国」寄港に固執したのに始まり、とにかく、強引に、一路漕ぎ続ける無謀な手法であり、時代を問わず、生身の人間が想定した行程を一貫槽行するのは、常用行程としては、はなから不可能です。
 魏使の乗船と仮定しても、大量の下賜物と多数の人員を運ぶことのできない想定であることは、自明のように見えるのですが、これは、氏の責任ではないので、深入りしないことにします。

*「倭人伝」解釈の関所~行程記事読解の「破綻」
 ほどなく、『「倭人伝」の記述通りの行程を進むと「邪馬台国の存在が破綻してしまう」』断言的に責任転嫁します。資料解釈の前提たるべき「邪馬台国」は、資料上に実在しないので「破綻」の仕様がなく、実は、氏の思念が「破綻」しているのが、鏡に映って見えているのかと懸念させる自嘲発言です。(講談社編集部にしては不用意で、編集事故かも知れません)
 因みに、大抵の場合、このような場違いな強弁は、論争弱者のボロ隠しであり、それだけで、ほぼ、敗北宣言に見えてしまうのです。ご自愛頂きたいものです。素人目には、『「倭人伝」の記述』が、理解できていないのに過ぎないと見え、土壇場で、見苦しい言い逃れと見えます。

 そこで、氏は忽然と、「倭人伝」の問題に対して、「方位」誤認に始まる年代物、つまり、博物館の倉庫に隠匿されるべき骨董品、「レジェンド」の類いと見なされている「史料改竄」を推進し、一方、「倭人伝」を合理的に解釈しようとする正論には、見向きもしないのです。誠に、残念な転進ですが、作戦的な変身ならぬ「変針」は、堂々と論拠を示すものではないかと見えます。

 ここで、氏は、突然、三世紀、瀬戸内海航路は通行できなかったと思われると、専門家として、慎重な見方を示します。素人目にも至難な航路を古代人が安全通行できないのは、まことに妥当で、曇天に叡知の陽光が垣間見えた気がしますが、闇夜の明かりはそこまででした。
 素人の理解では。「瀬戸内海航路は通行できなかった」と定見が示された以上、当該経路を主張する論者諸兄姉は、これに対して反論し、克服する義務が生じたものと見えます。

⑤唐突な日本海航行~あり得ない遠隔支配
 氏は、一転して、日本海側海上航行を経た畿内説を持ち出します。
 転進の背景は、倭人伝道里記事を「普通」に解すると、女王國は、九州北部にとどまるとの「邪馬師」所説「破綻」を救済しようとするように見えますが、畿内説「破綻」の原因は、既に台頭しているので、このような小手先の言い逃れでは、解消しないものと見ます。

 素人考えでも、「国の政治・経済の要である伊都」から「女王居処」まで、日々迅速に連絡できなくては、国が維持できないので、両者は至近距離にあったと、当然のこととして見るのです。
 氏の「畿内説」想定は、伊都から畿内まで一ヵ月以上で「遠隔支配」であり、伊都は自立してしまいます。まして、市糴の経路が、伊都を通過しないのは、倭人伝に画かれている国家像と、甚だしく乖離しています。普通に言うと、依然として、「畿内説」は、一から十まで破綻しているのです。

 氏は、格別の名声の持ち主として、世上の尊敬を集めているはずですから、「畿内説」救済の聖戦に挑むのであれば、そのような一般人の普通・素朴な解釈に対して、適確に反論し克服する義務を背負っているように見えます。あえて、率直な苦言を呈する次第です。

◯結語~望まれる「サイエンス」の王道回帰
 氏には、国内諸兄姉の非科学的な先行論義に惑わされない、講談社「ブルーバックス」の名声に相応しい論理的思考の好著を望みます。

                                以上

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