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2022年9月 6日 (火)

新・私の本棚 笛木 亮三 「卑弥呼の遣使は景初二年か三年か」(2) 結論批判

 「その研究史と考察」 季刊 邪馬台国142号 投稿原稿 令和四年八月一日
 私の見立て ★★★★☆ 丁寧な労作の失墜   2022/09/06
 
〇竜頭蛇尾
 序章紹介に続いて、本稿は、結尾部分に移動する。
 氏は、延々と続く、迷い箸にも似た「煩悶」、つまり「研究史」考察の果てに、末尾で忽然と東夷伝序文に着目し、既に陳腐化、風化した解釈により「帯方郡収容」は公孫氏滅亡後と断定しているように見える。

 本稿読者には、頭から氷水を浴びる「サプライズ」、すなわち不愉快極まりない「ドッキリ」である。

*サイト記事の史料批判は、筆者批判
 氏の結尾は、某サイト主の一文に依拠しているが、同主は中国文を読解できないと自認し、翻訳文を根拠としているのだが、その過程で、原文の「又」を、自己流の「さらに」と決め込んでいるので批判するのに困る。
 後述するように、漢文の「又」は、漢文において、さまざまなな意味を持っていて、どの意味を採用するか、苦心するのだが、同主は、そのような苦心に無頓着で、翻訳文に採用された日本語の「さらに」を、自身の解釈に採用するのだが、後述するように、魏志の翻訳文で「さらに」と言うのは、日常語、現代語の「さらに」ではなく、漢文の「又」を精密に投影しようとしているのであるから、安易な断定は、禁物なのである。
 このあたりの機微は、中國古典資料の飜訳に於いて、もっとも高度な配慮が必要なものである。つまり、日本語の用語は、時代によって、意味が変動しているのは当然であるが、さらに、使用されている文脈によって異同があるため、不連続な「意訳」を行うと、滑らかな訳文のように見えて、原文との連係が喪われるのである。
 「又」を「さらに」と置き換えたのは、その際に「又」の複数の意義が喪われないことから、誤解を誘う「意訳」に陥らないものとしたように見える。ただし、読者に、そのような慎重な解釋の素養がなければ、そのような配慮は水泡に帰して、単なる「意訳」に堕したと見られてしまうのである。

*至高の飜訳
 筑摩書房刊 正史「三国志」第一巻 魏書訳文は、端倪すべからざる翻訳者の畢生の偉業であり、中国古典書の飜訳であるから、現代人がすらすら読めるものでなく、適確な読解には、相当の「勉強」を求められる。同主は無頓着だが、引用された資料展開は、翻訳者に「誤解」の責めを負わせようとしているのであり、随分、論者として無責任であり、翻訳者に失礼と思われる。
 素人でも、史料解釈には、丁寧な解釈に最善を尽くすものではないかと、愚考する次第である。それは。飜訳の解釈の錯誤/誤解に及ぶのである。「勉強」は、夜更かしを強制しているのではない。二重、三重に模索して欲しいと言っているだけである。

*辞書確認
 権威のある国語辞典「辞海」を参照すると、「さらに」、「又」の項には、これらの言葉が、『それまでの事項(甲)を受け、「それとはべつに」と新たな事項(乙)に繋ぎ、「甲乙並記」と解釈する』ことが「できる」(排除されてはいない)と明確に示唆されていて、漢文の「又」の多様な語義を忠実に引き継いでいるとわかる筈である。

 同主は、日本語解釈が世人なみに不確実で思い込みが強い筈であるから、その「個性的な」見解が適正であるかどうか、論拠として採るかどうか、氏としては、慎重に「裏」を取る必要を示している。
 本件のように、両様の解釈が成り立ちうると判断される場合、一刀両断で断定せずに、両論を考慮するのが常識と見えるのである。いや、論者が誰であれ、論拠として依存すると決める前には、慎重な検証が必要なのである。

 笛木氏が、引用された個性的な固執解釈を深く審議することなく、つまり、「辞海」などの国語辞書で追試することなく、断定的判断に追従したのは、氏としては軽率である。
 少なくとも、本稿に於いて、多数の諸兄姉の意見を審議したのであるから、それらの思索を読者に辿らせておいて、ここに来て、コロリと「どんでん返し」しては、貴稿の筋が通らないのではないかと危惧される。

 同書翻訳者は、「魏志」東夷伝が三世紀の中国人のために書かれたことに深く留意し、飜訳によって原文解釈が曲がらないように、心をこめて飜訳したのであるから、自身の限られた語感でなく、適切な辞書に従って解釈すべきである。

*後世史料観~余談
 また、別の要素として、「太平御覧」、「梁書」などの「後世資料」の「又」は、魏書の「又」と同義と断定的に解釈できないと見られるのである。要するに、資料の文脈を掘り下げて、その時代背景を考慮して、その真意を察するしか無いのである。三国志の編纂が、同時代でないにしろ、編纂時と時代的に接近し、文化背景が維持されていたのと異なり、中原文化が破壊され、南方に逃避した残党が、遂に、北方の異民族の手で、無理矢理復元された時代であるから、「後世資料」の「又」の用法が、魏書の「又」の用法と、安易に同一視できないのは、むしろ当然と思われる。いや、場違いな感慨で失礼する。

*結論の試み
 以上で、魏志東夷伝記事の「又」の翻訳文の独自解釈に依拠して、「景初二年」解釈を決定的に排除することはできないことが理解できる筈である。世の中は、そんなに甘くないのである。

◯まとめ
 笛木氏には、是非とも、本稿の結尾を、御再考いただきたいのである。氏が、膨大な資料の慎重な審議を重ねて、この解釈に到着したのであれば、このような「どんでん返し」形式を避け、読者が、安心して追従できる、着実な著作として頂きたいものである。

 因みに、「御再考頂きたい」とは、「御意見を変えて頂きたい」の趣旨であり、英語の"I would appreciate if you would kindly reconsider, Your Honor." とほぼ同義(敬語表現)である。事実上、「教育的指導」だが、深意を露骨に示さないのが礼儀というものと思うが、ここは、不躾にも「率直」に書いている。

 某サイト主は、とにかく頑冥で、思い込みに一途に固執し、他人の意見にとんと耳を貸さないので、笛木氏のご理解を願うしかないのである。

◯苦言
 氏が、十分な確認無しに、一サイト主の意見に飛びついたのは、各史料との苦闘に「鞠躬尽瘁」されたためと思える。
 不浄の可能性がある「ジャンク」史料を俎上に載せず、「清浄かつ精選」史料の核心に集中されることをお勧めする。

                              以上

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