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2022年10月17日 (月)

14a. 共立一女子 - 読み過ごされた女王の出自 増補 再掲

                       2015/05/16  2022/10/17
 「乃共立一女子爲王。名曰卑彌呼」

 魏志倭人傳で、卑弥呼を後継した壹与は、卑彌呼の宗女、すなわち、親族として紹介されていますが、卑彌呼自身にはそのような係累の記事はなく、単に「一女子」と紹介されているように見えます。
 卑彌呼は、普通に考えるように、「一女子」であり、出自不明の一女性だったのでしょうか

*「女子」の由来
 後漢魏晋時代の「女子」の語義を知るすべとして、南朝劉宋代にまとめられた逸話集「世說新語」に載せられている後漢末の蔡邕に関する「黄絹幼婦外孫虀臼」の逸話があります。
 後漢代の蔡邕が石碑に彫り残した謎かけを、一世代後の曹操が「絶妙好辭」と案じるという設定です。

 この謎は、お題の八文字「黄絹幼婦外孫虀臼」が、それぞれ二文字ごとに一文字の漢字を導くというものです。
 本稿で関係するのは、七、八文字目なので、それ以外の絵解きは割愛しますが、ネット検索すれば、容易に全体を読むことができます。

 さて、ここで「外孫」と唱えていますが、これは、「女子」、つまり、「女」(むすめ)が嫁いでできた子(そとまご)のことです。
 謎解きでは、「女子」を横につなげて「好」の字となると言うことです。
 この故事は、当時の教養ある人には、「女子」に「外孫」の語義ありとの了解が成り立っていたことをしめすもののようです。

 陳壽の書いた記事を、このような語義に従って読むと、卑彌呼は、男王の外孫であり、また、「女子」と言う形容により、せいぜい17,8歳の少女であったとの読みができます。

 男王の孫であり、かつ、嫁ぎ先の有力者の娘であるということは、広く女王として尊重されるにふさわしい根拠であり、又、兄弟姉妹のある中で、あえて、俗縁を離れて鬼神に事えることになっていたように思えるのです。
 このように、「女子」の一語で、卑弥呼の年齢と係累を書き残したのは、陳壽の渾身の寸鉄表現と考えることもできます。

 ちなみに、先ほど無造作に使った「少女」と言う形容は、蔡邕に従うと「幼婦」、つまり高い身分の幼女であり、蔡邕に従って読み訓(よみとき)すると、少女ですが、文字を前後入れ替えて、女少となり、すなわち「妙」(当時の語義では「優れている」という意味です。決して、女が少ないという意味などではありません。念のため)です。
 従って、蔡邕を典拠とすると、「少女」という形容は、15歳以上と思われる「女子」に対して使うには、不適切だとなりますが、ここでは、現代用語として使用するものです。
 こうした言葉の使い分けは、当時の人々には自明だったのでしょうが、遙か後世、かつ、異国、東夷のわれわれの目から見ると、判じがたいものがあるのです。

*「卑弥呼」のこと (廃線)
 さて、ここで、女王の「名」とされている「卑彌呼」を見直してみます。
 憶測の部類ですが、この名前は、倭國の言葉遣いでは「ひめこ」(媛子)と読むのではないかと思われます。倭國の言葉の意味は、「娘の子」であり、(王の)娘が嫁ぎ先で産んだ子供という意味と見ます。先ほど述べた、女子、すなわち外孫の中国的な読み訓と見事に符合しています。また一つの寸鉄表現です。
 おそらく、陳壽が、原資料に書かれていたであろう卑彌呼の出自を僅かな字数にはめ込んだものであり、史官として、見事な仕事ぶりと感嘆するのです。
 才人、文章家の評価が高い笵曄と比較して、陳壽は凡庸と見られているように思われますが、この一件が、以上の故事を踏まえて構成されているとすれば、陳壽の機知は、燦然たるものがあるようです。

 以上の読み解きに従って、現代語で書き連ねると、以下のようになります。

 そこで、男王の外孫である少女(15歳程度の未成年の女子)(男王家と嫁ぎ先の両家の)共同で立てて王とした。王の名は、卑彌呼(媛子 ひめこ)とした。

追記:取り下げのこと
 以上の筋書きは、現在の意見では、否定的な方向に大きく傾いています。
 つまり、「倭人伝」は、三世紀に中国人が書いた報告書を、程なく正史に収録したものであり、従って、「倭人伝」の考察に於いて、後世日本史料は、まずは、排除すべきだという意見に傾いているのです。ほぼ、撤回の弁ですが、あえて、削除していません。

*「卑字」の誹りの誤謬
 当時、倭人に漢字の知識が不足していたので、「卑弥呼」なる漢字(卑字)を押しつけられたと思い勝ちですが、支配層は、必要もあって、中国語を学んでいたものと思われるので、十分な教養のもとに、これらの文字を選んだ可能性も無視できないように思えます。どのみち、蛮夷の「王」は、本来の「王」では無く、蛮夷を懐柔するための「虚飾」ですから、何も、頭から、被害者意識に囚われる必要は無いのです。
 
 後年ですが、蕃夷を「蛮夷」などと呼ぶと、後日、漢語を解するようになった夷人から、差別表現だと責められることになったため、鴻臚寺は、接待部門鴻臚寺「掌客」のように、夷人を「客」と呼ぶようにしたのです。と言って、別に蛮夷を尊重したわけでは無く、単なる、外交儀礼だったのですが、それによって、無用の摩擦は避けたものなのでしょう。

*「臺」蔑称説の台頭
 因みに、著名な古典である「春秋左氏伝」によると、「臺」は、凡そ「人」として最下級の格付けだそうですが、「定説」では、この極めつけの悪字が、倭人の女王の居処名に使用されているとの説が根強いのです。陳寿は、当然、左氏伝を、史書編纂の典拠として熟知していて、少なくとも座右の書としていたはずですから、まさか、自身でそのような蔑称を採用するはずが無いと思われます。いや、陳寿当人に言いつけたら、「邪馬臺国」など書いていないと憤慨されるでしょうが。

 いや、「倭人伝」に同時代用語として「臺」は採用されているので、蕃夷の国名の命名は、また別儀としても、蔑称、尊称混在を否定するに足る論拠と思えないし、陳寿が命名した国名というわけでもないのですが、「邪馬臺国」説に対して、提示されたことの見えない、かなり否定的な余談でした。
 もっとも、この「臺」の由来は、「台」には全く関係無いのですが、「臺」と「壹」の混同は、字の「見かけ」に依存しているので、たまには、字の「意味」を論じたいと思っただけです。

*「卑」という「貴字」
 現に、漢字学の権威である白川勝師の字書によれば、「卑」の文字は、「天の恵み」、端的に言うと「雨水」を受けて人々に施す「柄杓」の「象形」から発した文字であり、「上方から降り注ぐ恵みを、身を低くして受ける」ことから、天の「卑」(しもべ)として仕える意味が生じたように見えます。
 そのように調べると、「弥」「呼」の二文字にも、少なくとも、特に貶(おとし) める意味は課せられていないように見えます。

*「誹(そし)り屋」稼業横行
 古代史分野では、「倭」のように光輝ある由来の文字でも、何とかケチを付けて貶(おとし)める習慣が流行っていて、初学者は、そのような「刈り込み」で、古代史に関する史眼を形成して、言うなら、目に「ウロコ」をはめられて、冷静な考証が困難となっているようですが、当ブログ筆者は、流行に動じないし、先師に阿(おもね)る必要も無いので、率直に、気づいたことを述べているのです。

*名乗りの話
 それにしても、自分で書いておきながら、無名のものが、共立の際に「卑弥呼」と名付けられたとの思いつきは、軽率な誤解であったと痛感しています。(言うまでもありませんが、「無名」とは、語るに足る「名」がないという事であり、漱石の吾輩のように「親から名が付けられていない」と言う意味ではありません)
 古代に於いても、実名は実父にしか命名できない、言うならば神聖極まりないものであり、その子は、その実名で祖先の霊と結ばれているので、改名などできないと言う、重大な取り決めを忘れていたもので、失言です。

*「実名」の話
 因みに、古代に於いて、実名を世間に曝すことを避けるために、字(あざな)などの「通称」を常用することは、むしろありふれていましたし、字すら避けて、官位、職務などで呼ぶことも、又ありふれていましたが、国書に記すのは、あくまで実名であり、天子だけは、臣下を実名で呼び捨てることができたのです。
 して見ると、親魏倭王たる卑弥呼は、国書の署名に於いて、魏皇帝に対して実名を名乗ったのであり、通称や職名などもっての外だったとみるべきです。

*当て外れの名付け
 それにしても、「卑弥呼」の名を、当時影も形もなかったと見える、恐らく没交渉の、あるいは、世紀の時を隔てた別の「国家」の言葉、習慣に沿って解釈し直すというのは、途方も無い見当違いとなる可能性を滔々と秘めていますが、世上、そうした見当違い、筋違いの当て込みが、圧倒的に数多く徘徊しているように見えるのです。当ブログの「倭人伝」論義で、後世国内史量を避けるのは、本来の論義の妨げになるからです。他意はありません。

以上

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