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2022年10月21日 (金)

16. 年已長大 - 読み過ごされた生涯 補追

                       2014/05/06 追記 2020/05/17 2022/10/20
「年已長大。無夫婿」
 ここまでに記した小論を復唱すると、卑彌呼は、(数えで)十五、六歳で即位し、魏使来訪の時は、最近十八歳を過ぎた(年已長大:すでに成人となった)と云うことになります。後の「壹与」は、十三歳の「宗女」と言うことは、巫女であっても、まだ、世人の尊敬を勝ちとるに到っていなかったかも知れませんが、間近に先例があったので、うまく行くに違いないと思わせたのでしょう。その先のことは、何も文書記録がないので、何もわからないのです。

*謎のご託宣
 下記論説によれば、中国史学界では、「倭人傳」から「わずか十五、六歳の少女卑弥呼を王として」と読み取っていると思われますが、これは、中文としての文意が明解だからだと思われます。

 「倭國と東アジア」 沈 仁安 六興出版 1990年2月発行
 ただし、124ページの以下の記事には驚きました。
 『しかし、長い間、中日両国の史学界では、次のような見方が行われている。即ち、わずか十五、六歳の少女卑弥呼を王として「共立」したのは、「古代の母権社会における女人政治の典型」あるいは「原始的民主制」であり、卑弥呼はシャーマンと開明の「二つの顔」を持つ原始的巫女王であったと思われている。これは、必ずしも倭人伝の原意を正確に理解しているとは言えないであろう。

 急遽、引用文献として挙げられている石母田正氏の「日本の古代国家」(岩波書店 日本歴史叢書 1971年刊)を購入し、内容を見ましたが、「わずか十五、六歳の少女卑弥呼を王として」と書かれている箇所は、ついに発見できませんでした。
 また、見聞の及ぶ限り、日本の史学界で長年行われている見方とは言えないようです。

 むしろ、日本国内の史学界では、卑彌呼は、「壮年で倭國王に即位し、国難の際には自ら戦陣に立つ、強いリーダーシップを持っていた」ものと見ているように思いますが、これは、文献史料に基づく妥当な推定とは思えないのです。
 諸賢には、講談や浪曲にもなりそうな「英雄譚」が、幼児期や少年期の原体験として刷り込まれているような気がします。

 その一つは、萩民謡「男なら」に歌われた「神功皇后さんの雄々しい姿が鑑」となった卑彌呼像ではないかと思われます。あるいは、女として母として、徳川政権に果敢に挑んだ「淀殿」(茶)の姿でしょうか。世間受けすることから、若々しい「卑弥呼」が躍動する物語が少なくないようですが、「倭人伝」にも後漢書「東夷伝」にも、そのような講談ネタは、一切書かれていないのです。

*取り敢えずの解釈
 そうした「通説」を脇に置き、原文から解釈を進め、以上の読み解きに従って現代語風に書き連ねると、以下のようになります。

 (この年頭で)已に成人(「数え」で十八歳)となった(という)。配偶者はいない
 因みに、当時の支配者氏族は、婚姻関係による結びつきを重視したと思われるので、成人となるまで未婚であることは、ないように見えます。但し、当ブログ筆者は、「季女不婚」、つまり、姉妹の中の選ばれた一人は、家付き娘として、嫁入りも婿取りもせず、生涯、氏族の長たる「家」の祭祀を守る「巫女」(ふじょ)を務めたという見方をしているので、むしろ、配偶者がいないのは、当然とみていますが、史官は、中原では、そのような「文化」は、喪われていると見てとって念押ししたと見えます。

 追記 2020/05/17
 丁寧に説明すると、後代資料である范曄「後漢書」が、「遅くとも霊帝代に、倭で大乱が起こり、それを収拾するために、当時成人であった卑弥呼を共立したと想定し、卑弥呼の女王時代は後漢代であった」と語っていて、後漢書「東夷列伝」で「倭」条を構成しているため、共立は、遙か以前の後漢霊帝代あたりになって、曹魏景初年代には、相当の年齢(老齢)となっていて、この「創作」が曹魏代に先立つため、本来先行して書かれていて、笵曄「後漢書」に優先すべき「倭人伝」の解釈が、大きく撓んで、ここに書いたような「若年即位」の解釈は、はなから棄てられています。因みに、後漢霊帝代から献帝に至る時代は、後漢自体が不安定な時代であり、また、韓国も、動乱の時代であった上に、「東域都督」と言うべき遼東公孫氏が自立して、洛陽に東夷、特に、韓、倭について、一切報告をしなくなっていたので、なぜ、笵曄がそのような時代の東夷事情を知ったのか不思議です。後漢献帝期に創設された帯方郡を知らないままに、「倭」の「大乱」や女王共立を知り得たのかという謎です。

 慎重に考えれば、笵曄「後漢書」東夷列伝倭条に対して無批判に追従するのは、曹魏公式記録をもとに同時代史書として書かれた倭人伝」の確固たる記事の解釈を、百五十年後の後代資料「後漢書」のあやふやな記事によって、安易に改竄する「邪道」(時代表現では、「真っ直ぐ」を言う「従」でなく、斜めを向いているという事です)であり、再考の必要がある(棄てなさいと言うこと )ように感じます。

 また、卑弥呼の壮年即位、時代を越えた老境に到る君臨は、「倭人伝」に書かれている人物像ではなく、国内史料などから編み出された古代国家君主像に由来していて、これまた、慎重に考えれば、倭人伝」の解釈を、数世紀後の別系統の国内伝承史料の解釈の「思い込み」に沿って糊塗するものであり、根拠の無い風説の類いなので、とことん再考の必要があるように感じます。

 どちらの場合も、「倭人伝」の記事を離れた「空想」業であり、当然、深意を読み過ごしているものと思われるのです。

 当記事だけでは、「長大論」を言い尽くせないので、一連の「関連記事」詳しく述べていますが、当ブログで、このように、わざわざ「定説」に異議を言い立てるのは、それなりに根拠があってのことと理解いただきたいのです。
以上

 2015年5月16日 補訂

関連記事 2022/10/20
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以上

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