« 私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 再掲 3/17 | トップページ | 私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 再掲 1/17 »

2022年10月12日 (水)

私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 再掲 2/17

ザ・プレミアム 英雄たちの選択新春SP▽ニッポン 古代人のこころと文明に迫る [BSプレミアム]
私の見立て★★☆☆☆  2018/1/3   2018/02/03記 復元再掲 2021/07/19 補充 2022/10/11

※嘘の皮
 当然、画面に日本地図を表示した上に何かの記号を無造作にずらずら表示して、視聴者に制作者の独善を押しつけ、誤解を期待するのも禁じ手であろう。安直であり「ウソ」(Fake)である。
 その意味では、本特番は、ほぼ一貫して時代錯誤の大安売りで公共放送の成すべきことではないと思う。
 「日本国号」を宣言した広域政権が成立した701年を画期的な「日本元年」として、それ以前は、一切「ニッポン」、「日本」を禁句とするのが、時代錯誤の戒めになるのではないか。

*記録なき偉業の謎

 さて、今回の特番では、倭人伝を除けば同時代記録がなく、遺跡や遺物などの考古学成果にのみ基づく思索を巡らしているが、公式記録が、官製史書日本書紀(書紀)に記述されてないことをどう考えるのだろうか。つまり、歴史の流れが記録伝承されていないという事は、これらの偉業は、現代に継承されていないと言うことになるのではないか。

※記録なき偉業 銅鐸文明

 「書紀」に銅鐸に関する「記事」がないのは周知である。
 「銅鐸文明」論は、一応、首尾が整っているように見えたが、結果だけ見ると、後世の記録に触れられることもなく、当然、倭人伝にも登場しないのである。もし、「書紀」が過去の世代の歴史を書いているのであれば、銅鐸の由来、効用、発展を記した後、何かの転機で廃棄されたと書くはずである。そして、銅鐸に代わって採用された「何か」について語るはずである。滅ぼされた先行文明は、紛々たる悪名を遺すが。銅鐸文明は悪名すら遺さなかった。「文明」などと栄冠を得たものが、かくも簡単に消え去るべきだろうか。
 つまり、銅鐸祭祀は、「書紀」を編纂した政権のものではなかったのではないかと思われる。

※記録なき偉業 大規模墳丘墓
 「前方後円墳」と呼んでいる墳丘墓についても同様である。
 「書紀」に、このような墳丘墓は、いつから葬礼に採用されたか記録されていないし、この型式を何と呼ぶか書かれていないようである。また、誰がどの墳丘墓に埋葬されたか適確に書いていないし、墓碑も残されていないと思う。
 当時、各墳丘墓には、所定の墓守を置き、四季礼拝や遺族の参拝を規定したはずである。盗掘、破壊の防止にも墓守は必要である。しかし、そのような記事は残っていない。墓制の大幅な変更は、天下の一大事であるから、布令があったはずだが、公式記録は残っていないようである。
 つまり、大規模墳丘墓は、「書紀」を編纂した政権のものではなかったのではないかと憶測するのである。あくまで、私見である。

                     未完

« 私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 再掲 3/17 | トップページ | 私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 再掲 1/17 »

歴史人物談義」カテゴリの記事

倭人伝の散歩道稿」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 再掲 3/17 | トップページ | 私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 再掲 1/17 »

お気に入ったらブログランキングに投票してください


2023年12月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

カテゴリー

無料ブログはココログ