私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 再掲 5/17
ザ・プレミアム 英雄たちの選択新春SP▽ニッポン 古代人のこころと文明に迫る [BSプレミアム]
私の見立て★★☆☆☆ 2018/1/3 2018/02/03記 復元再掲 2021/07/19 補充 2022/10/11
※鍛冶工房幻想
唐突に滋賀県稲部遺跡の鍛冶工房の話になる。断りなしに二ヵ月前と言うが、同遺跡の発掘報道は、2016年10月であるから、今回放送から一年二ヵ月前である。NHK番組の再放送時の態度として、大変不用意である。
新聞発表時に丁寧に批判したので、ここでは極力手短に止めるが、要は、自身の所説に合うように、遺跡、遺物の考古学的考察を創作するのは、「発掘に投じられた公費を私物化する」不穏な態度と思うのである。
他の遺跡と同様、稲部遺跡は、現にそこにあるのであり、発掘された遺物も、間違いなくそこにあるのだが、年代比定や他遺跡との関連は、現代人の思惑が強く作用するので、不確かと見ざるを得ない。
建物の規模から見て、当時近畿地区屈指の大勢力と言うが、「当時」がいつかという大きな課題を抱えた発言である。もちろん、当時「近畿」などと言う概念は無いから、無意味な発言とも言える。
これに対して、当番組で、現地責任者が、大風呂敷を広げず、広域供給の可能性に止めたのは賢明である。自己中心の大風呂敷で転けている学識者は、枚挙のいとまがない。怒鳴りまくらなくても、「可能性」は、否定しがたいのであるが、確実と断定するに近い排他的な物言いは、当然、多くの非難を浴びる。
※死の商人
出土した鉄鏃を武器に限っているが、当然、狩猟の具でもある。当時の住民は、年中戦争していたと見ているのだろうか。因みに、鉄鏃ならぬ石鏃は、今でも、生駒山系の田地から出土するらしい。山上と麓で、やり合っていたらしい。
「大乱」説を絵解きすると、数十人同士で一時間も矢戦すれば、何百本と矢が飛び交う。当然、双方とも矢避けするだろうから、当たるのは一部で、大半は外れである。もっとも、威力の無い矢であれば、当たっても、大抵は、浅手の傷である。
と言うことで、軽い手合わせ、弓矢合わせでも、何十年と続ければ、そこら中鏃だらけではないか。乱世万歳。古代の死の商人は、繁盛したことであろう。
鉄鏃は、工房の限定生産であるから、数に限りがあるが、石鏃や骨鏃なら、各家庭の内職で、山ほど造ることができる。どちらが、小競り合いに有効かは、言うまでもないだろう。
※鍛冶工房願望
丁寧に言うと、関係者の強い願望にも拘わらず、この番組に示された鍛冶工房観は、不確かである。工房の存在は明らかだが、この規模の工房を運用した経済活動は、いつのものか、どの程度の期間続いたのか、誠に不確かということである。
それにしても、当鍛冶工房は考古学体系にはめ込まれていないので、勝手に時代設定や社会背景をあてるのは禁じ手である。
因みに、「鍛冶」と言う言葉がこちらで生み出されたように、鍛冶技術は、中国由来と言い切れないのである。
ともあれ、再現された規模の「工業団地」に必要な鉱物と燃料の供給は広範囲であったろうし、多くの専門技術者が従事し、技術者食料など生活維持は、大規模であったろうし、大量の産物の供給先も広範囲と思われる。その程度の画餅であれば、文句も付けにくいのである。
未完
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