私の意見 英雄たちの選択 ニッポン 古代人のこころと文明に迫る 再掲 8/17
ザ・プレミアム 英雄たちの選択新春SP▽ニッポン 古代人のこころと文明に迫る [BSプレミアム]
私の見立て★★☆☆☆ 2018/1/3 2018/02/03記 復元再掲 2021/07/19 補充 2022/10/11
*謎の青銅器銅鐸
淡路島の銅鐸発掘の成果を見て、新たな角度から銅鐸に考察が加えられている。
因みに、今回の発掘で出色なのは、舌の実物が出土したということである。鐸が、内部に吊した舌によって発音するのは古くから定説となっていて、中でも、内部に木製の舌を吊す鐸は、木鐸として知られていた。
「銅鐸文明」は、銅鐸を核心とした一つの風俗、宗教体系であるから、核心が滅んで文明全体が滅んだのであり、つまり、文明の担い手が滅んだということである。
※「文明」の大安売り
特番では、東夷の古代史に「文明」を、捨て値で大安売りしているが、少なくとも、本来の中国語の「文明」は、文字使用と文字記録が必須ではなかったか。いくら芸術的な完成度が高くても、文字なき「文明」は不合理である。以下、仕方なく「文明」と言うが、同意していないことは明記しておく。
言ってもしょうがないのだが、安直な受け狙いの言葉の安売りは、直ぐ「大安売りの捨て値」が普通の値頃感になって、無感動になってしまう。最悪の販促策である。
別の場所、別の論者によると、いまや、甕棺埋葬のような、葬礼形態まで、文化、文明視されるご時世である。
さて、それはさておき、ここで提唱されているのは、銅鐸時代は、日本海から畿内に齎された技術と鉱物で、独自の高みに達したというものである。根本的な不審は、かくのごとく銅鐸を最高の崇拝対象としていたものが、ある日、その崇拝物を残らず埋めてしまう精神構造は想像できないということである。
一時、鐸を至高と称揚していた支配層が全滅して、銅鐸文化・文明は、断絶したのではないか。その証拠に、今日、木鐸を粛々と鳴らしても、一般人は特段感動しない。
※銅鐸音の衝撃~また一つの妄想
民博の方は、『銅鐸音は、初耳に衝撃を与える』と言うが、しょっちゅう鳴らしたら初耳もないものだと思う。そこに、別の専門家による「神がかり」で、「音は思考を停止させる」と言うが、意味不明、理解困難な呪文である。人の思考が停止するのは、死ぬときである。
それまでも、銅鼓などの金属音は、折に触れ聞けたはずである。いや、思考が停止するような相手がだれか知らないから、断言はできない。
※「神がかり」、また一つ~終わりなき妄想
司会は、またもやの「神がかり」で、「銅鐸の音が稲の成長を促す」と言う。音の肥料とは物騒である。古代人は、稲の生長に日照と灌漑水が必須であることは知っていたし、収穫期に襲来する雀が、稲穂を食い散らすのは知っていたろうが、金属音を鳴らし続けないと、穫り入れが伸びないとは思っていなかったと推定している。と愚考する。誰も、司会者の「神がかり」を止めないのが不可解である。
未完
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