新・私の本棚 長野 正孝 【古代史の謎は「海路」/「鉄」で解ける】総括
二書通観~乱文乱論の饗宴 2022/06/25 2022/11/10 2023/11/21
◯はじめに~最初の躓き石
長野氏の労作には、俗説に右顧左眄しない卓見も、希に見られれるが、尊大断言しても「数打ちゃ当たる」では、信用は戻らない。要は、氏の史料考察は、地べたで史料を嘗めているものには、遙か上空の「飛行機雲」である。
私見では、二千年前の文書を読解できないのは、対象と言葉が通じず、そのため、世界像が霞んでいるからである。数百㍍先の現場の光景を肉眼で眺めて知ろうとするのと同様、推理小説分野の極限とされる「安楽椅子」探偵気取りで、「居ながらにして想像する」のでなく、現物、現場に肉薄して、健全な理性で理解するしかない。それが、Historical Scienceの宿命であると信ずる。
但し、身を以て、太古の現場に直行することはできないから、目撃者の記録を吟味して賞味するしかないのであるが、それでも、介在する報告者の視界を正す努力を重ねるのである。
氏は、それが、文献考察の路を辿るしかないということを悟っていないようである。と言っても、本稿を読んでいただいて、回心されることはないだろうが、言うべきことを言うだけなのである。
最近、氏の著作の信奉者の著作に出会って、言い足りないことがないように、あえて書き足したものである。
*幻の学芸員発言~氷山の一角、躓けない躓き石
「鉄」132ページの五.六の論理は、氏自身の調査でなく、『別人が三丸「学芸員」から得た伝聞で証拠にも何にもならない』。「学芸員」ご当人には迷惑だろうが、氏が論拠としたのでやり玉に上げた。ご不満は長野氏にお願いしたい。(「三丸」(さんまる)は、高名な特別史跡「三内丸山 遺跡」の愛称であるが、ここでは常設展示を備えた「縄文時遊館」の説明員の意味と解する)
長野氏の浅薄な古代史知識で古代文書の真意が理解できないのは、何とも致し方ないが、専門家たるべき「学芸員」の考え違いは、何とも「もったいない」と言わざるを得ない。
一方、氏は「学芸員」の発言を「誰か」(人名は書かれているが)人づてに聞いて、つまり、伝聞・風聞の二重錯誤で納得しているのだが、要するに、伝えた「誰か」の意見に安直に基づいて判断しているのであり、史学の原則に外れた邪道と言わざるを得ない。いわば、遙か上空から見おろして、低空の報告者の意見を、途中の中継者の意見として聞いているのだが、それぞれ空中を気ままに浮遊しているだけで、肝心の地上の実相は、まるで伝わっていないのである。
これは、個別の意見がどうこう言う問題ではない。史実認識の問題でも無い。氏は「空論」を弄んでいるだけなのに、もっともらしく学問めかして売り出して、読者の資金を貪っているのである。
話を元に戻すと、「学芸員」は、当該遺跡に関して、当然、世界最高の学識を有するが、古文書に関しては門外漢、素人である。当該遺跡に存在しない古文書に関して「わからない」と言わずに錯誤を語るのは誤解拡大である。匿名だし、何しろ、あやふやな伝聞なので、ご当人に告発の手が及ぶことはないだろうが、何とか、再発防止して欲しいものである。
正論に戻ると、古代中国で「生口」は「奴婢」と異なった環境・事物に使用され、どちらかというと、特殊な用語なので、一定の意味で使用されていない可能性が高い。一方、「奴隷」は、ありふれた、日常的な事柄であり、これらの異なった概念を同列に扱うのは、無学・無謀である。
言葉が違うのは意味が違うからで、断じて同義語ではない。このあたり、人前で得々と喋る役所(やくどころ)の方にしては、随分不勉強そのものである。
*誤謬の発生~「奴隷」史観の病根
長野氏の誤謬は、古代史書の用語である「生口」、「奴婢」なる「古代語」を、現代語めいた「奴隷」と同義と断言していることで、これまた、商用出版物を世人に売りつけている、言わば稼業としている方にしては、これまた、随分というか一段と不勉強というしかない。
当方は素人で一般論しか申し上げられないが、ここで言う「奴隷」は、恐らく、文明開化以後に、本来、中東以西の世界の社会制度で馴染まれていた到来「外来語」が、古代中国の「奴隷」を上塗りしたと見え、これでは、到底、三世紀「倭人伝」の社会制度に適用できないと見る。良く言う、「時代錯誤」である。
三世紀以前から中国に奴隷制度は普通であった事が、正史にも書かれているが、「倭人伝」では、「生口」と「奴婢」が書き分けられて、「奴隷」と同義語扱いはされていない。長野氏は、用語審議を固く忌避しているようだが、古代史解釈で不可欠な正史解釈には、精緻な論理が求められる。
そもそも、「倭人伝」に書かれた「奴婢」は、比較的身分の低い雑用係であって「奴隷」ではないのが常識と思われる。何しろ、一千人の奴婢が「奴隷」では、国の成り行きが何一つ成り立たないのが「常識」である。「倭人伝」が説明しないのは、当時の通り相場だったからに違いない。
氏が一顧だにしない、同時代、前代の史書によれば、「奴」「婢」は、それぞれ、男女使用人と見えるが、ここでは、それ以上追求しない。
ここで是正しなければならないのは、氏の思考を曇らせている不適切な「奴隷」観であるが、その根底は、史実追求の際に、二千年以前の史実に直裁に迫るのでなく、遥か後世から「高みの見物」、「飛行機雲」の時代錯誤を決め込んだことにある。
それは、ケガや病気などではないから、つけるクスリがないのである。
要するに、ご当人が気づいて、ご自分でご自分を「是正」するしかないのである。
*最終判断~治癒されない誤謬
長野氏の誤解の起源は、歴史科学の原則を無視し、滔々と我流を進むことにある。
但し、「学芸員」事件でわかるように、その誤解は、多くの論者、諸兄姉に共有され、それぞれ確信して論じているから、素人の差し出口で動じまい。とは思うが、最善を尽くすものとして、素人の苦言を述べるのである。
*率直な結論
長野氏が、かくのごとく不適正な世界観、歴史観を抱いていることは、当ブログで少なからぬ紙数を費やした著作批判で明らかと思うが、氏自身は、その史観を正当と見て、現代的な架空史観をゆるゆると貫くので、氏の著作は、それと知らずに、「首尾一貫」して誤謬の森を進み、所論は根拠を持てず、必然的に信用できないことになる。これが最終判断である。
もちろん、各読者諸兄姉が、氏の著書を全て確認した上で、氏の所論を全面的に支持するとしても、それは本論と別の話である。
以上
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