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2022年11月21日 (月)

新・私の本棚 番外 サイト記事批判 「弥生ミュージアム」倭人伝 再掲 3/6

弥生ミュージアム 倭人伝  2019/11/15
私の見立て ★★★☆☆ 大変有力 但し、「凡ミス」多発     追記 2022/11/21

*承前
また南、投馬国(*20)に至るのに水行二十日。(中略)。五万余戸ばかりがある。
また南、邪馬台国(*23)に至るのに水行十日・陸行一月。ここが女王の都するところ(中略)七万余戸ばかりがある(*26)。
(*23)現在にのこる版本でもっとも古い南宋の紹興年間(一一三一~六二)の「紹興本」、紹煕本年間{一一九〇~九四}の「紹煕本」には、邪馬臺国ではなく、邪馬壹国となっているから、ヤマタイでなく、ヤマイであるとの説もあるが、そうとは断定できない。(中略)邪馬台国問題は、このようなアプローチからでは決まらない。(中略)
 どちらに分があるかは、この部分の書きぶりで自明なので、別に「そうとは断定」しなくても良いのです。つまり、普通に考えれば、現存史料「倭人伝」の記事を排除して「台国」と断定する理由は全く見られないということが言いたいのでしょうが、明解に書けないのでしょうか。どうも、後の冗談も含めて、敗戦宣言しているように感じます。
 ついでながら、古代氏論考で、「アプローチ」は、何とも不適切です。ゴルフ用語なら「ショット」と明記しないと意味が通じません。それとも、異性を口説くのですか。大事な記事を書き飛ばしたわけではないはずですから、不用意ですね。と言うような、益体もない冗談を言わさないでほしいものです。カタカナ語撲滅です。

 ついでながら、「問題」が「決まらない」と言うのは、独特の言い回しで、勿体ない失態です。「問題」が、教科書の課題であれば、「解けない」のであり、「問題」が、難点、欠点であれば、「解消しない」とか「解決しない」とか言うもので、読者は、そうした文脈で、無造作に書かれた「問題」の意味を解釈しているのです。著者各位は、自分の語彙で滔々と書き立てるのではなくて、読者に誤解の無い言い回しを工夫すべきでしょう。特に「問題」は、数種取り混ぜて乱用されているように見受けるので、わざわざここに書くのです。

 もう一つついでながら、それぞれ「また」で開始していますが、原文に「又」はありません。少し遡ると、「又南渡一海」、「又渡一海」と書かれていて、陳寿が、「また」の書き方を知らなかったとは思えないのです。書いた方の脳内で、原文は、好ましい形に変容したのでしょうか。ともあれ、来館者に、「ことわりなし」に原文と異なるものを提供していて、信用を無くしています。

(*26)これまでの狗邪韓国~伊都国と奴国~邪馬台国の二つのグループでは、方位と里程(日程)の書き方が違う。前者は何国からどの方位で何里行けば何国に到着すると実際の旅程に従った累積的な書き方をしている。後者は何国から何国にいたるにはどの方位で何里としていて、これは伊都国を中心に放射線状に読み取ったものである。つまり、魏使は原則として伊都国より先は行かなかったし、投馬国より邪馬台国の方が北に位置することになり、九州圏内にあるとする、榎一雄氏の説がある。
 「後者は」は、「魏使は原則として伊都国より先は行かなかった」までを言うつもりでしょうが、そこまで一つながりで断定する根拠は無いと見えます。
 また、「原則として」と言いっぱなしで原則と例外が示されていません。ここまでの議論で「投馬国より邪馬台国の方が北に位置する」ことは示されていません。榎氏の説を誤解しているのでは無いでしょうか。もっとも、どこからどこまでが榎氏の所説の引用なのか判読できないのでは、議論が成立しません。誠に、不始末、不都合な書き方です。

このように、女王国より北の諸国は、その戸数と道里をほぼ記載することができるが、その他の周辺の国は、遠くへだたり、詳しく知りえない。(中略)奴国で、ここまでで女王国の境界はつきる(*27)。
帯方国より女王国までを総計とすると一万二千余里となる。
倭では、男子は成人も子供もみな顔や体に入墨をしている。昔から倭の使が中国に来るとき、みな大夫(*30)と称する。(中略)今、倭の水人は海中に潜って魚や蛤を捕え、体に入墨して大魚や水鳥から身を守ってきたが、後にはやや飾りとなった。倭の諸国の体の入墨は、国々によって左右や大小などにちがいがあり、身分の尊卑によっても異なる。
 
 南方の景色と見える「文身」を顔と身体の入墨と決めつけますが、そうとは限らないでしょう。北九州が、韓国より温暖と言っても、温暖期以外に「海中に潜って」魚や蛤を捕えるのは、無理があるように見えます。又、肌寒い時期に風の通る衣類で、さらには肌脱ぎで、文身を披瀝していたとも見えないのです。かなり南方の温暖な地域の景色のように見えます。いずれにしろ、記事の筆者が、全土に足を伸ばしたとも見えないので、「倭の諸国」と書かれているのは、南方の訪問先に限られているはずです。
 文身は、遺物として残らないので、いずれの時代、地域で流行したか不明ですが、後世、影を潜めたところを見ると、南方の風習にとどまっていたとも見えます。

(*30)中国では一般に卿・大夫・士の順に記し、国内の諸王・諸侯の大臣の身分。ただ漢でいえば、二〇等爵のうち、第五級の「大夫」から、第九級の「五大夫」までがこれにあたり、幅がある。(中略)
 これは、秦代以来の階級制度であり、下から唱えるから、第五級の「大夫」は庶民階級です。当然、魏でも同様です。貴人などではありません。漢代以降、魏晋あたりまでの公式史書で、「昔」とは、「周」のことではありませんか。守成の大夫を名乗り続けているのも、その主旨でしょう。つまり、普通に考えると、太古、周朝に貢献して、「大夫」の高官に叙されたとみるべきでしょう。

 少々繰り返しになりますが、卿・大夫・士」は、周制であり、大夫は王に連なる高官であったし、指南によって解体された身分制度が、王莽の「新」が、復活した時を除けば、同様でした。場当たりのつぎはぎ解釈は、感心しません。

                                未完

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