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2022年11月21日 (月)

新・私の本棚 番外 サイト記事批判 「弥生ミュージアム」倭人伝 再掲 2/6

弥生ミュージアム 倭人伝  2019/11/15
私の見立て ★★★☆☆ 大変有力 但し、「凡ミス」多発     追記 2022/11/21

*承前
(中略)(*5)三韓(馬韓、辰韓、弁韓)の中の諸国をいうが、ここではコースからみて、馬韓の国々をさしている。
 「コース」とは程度の低い時代錯誤です。半島西海岸に沿って進めたとして、西海岸が終わったらどうするのか。東方への転換が書かれてない限り「コース」は南海に進むだけです。「まずは南に後に東に」と意訳するのですか。
 因みに、馬韓は、中心部が、漢江河口部のあたりであり、南部がどこまで届いていたのか不明です。

そこから、はじめて一海を渡ること千余里で、対馬国(*7)に到着する。(中略)千余戸があり、良田はなく、住民は海産物を食べて自活し、船にのり南や北と交易して暮らしている。(中略)
 提示の紹凞本「倭人伝」は「對海国」と書いていて、「対馬国」は誤訳となります。
 因みに、掲載写真には「宮内庁書陵部©」と著作権宣言されていますが、政府機関である宮内庁が所蔵、つまり、公有の古代資料の写真に著作権を主張するなど論外です。良く良く確認の上、©を外すべきです。

(中略)それからまた南に一海を渡ること千余里で一支国(*9)に到着する。この海は瀚海と名づけられる。(中略)三千ばかりの家がある。ここはやや田地があるが、水田を耕しても食料には足らず、やはり南や北と交易して暮らしている。(中略)
 提示の紹凞本「倭人伝」 には 「一大国」と書いています。ここも、誤訳となります。
 また、「水田」とは書いていないので、またもや軽率な誤訳です。ともあれ、戸数相当の田地があったので、主食は得られていたと見るべきであり、おかずに海産物をタント採っていたのを見て、海の豊かさを知らない中原人が哀れんでいた可能性が濃厚です。

また一海を渡ること千余里で、末盧国(*10)に到着する。四千余戸があり、山裾や海浜にそうて住んでいる。(中略)人々は魚や鰒を捕まえるのが得意で、海中に深浅となり潜り、これらを取って業としている。(中略)
 「山裾や海浜にそうて住んで」いるのでは、全世帯が浜住まいで、漁に専念していたことになり、四千余戸は、国から扶持された良田を耕作しなかったのでしょうか。扶持か私田かは別として耕作地は、収穫の貢納を厳命されていたはずです。一家揃って海辺に住んでは農耕できません。
 「業としている」とは、普通は、交易に供して対価を得て生業を立てているという意味ですが、どうなっているのでしょうか。国としてでしょうか。

そこから東南に陸行すること五百里で、伊都国(*11)に到着する。(中略)千余戸(*14)がある。代々王がいたが(*15)、かれらは皆、女王国に服属しており、帯方郡からの使者が倭と往来するとき、つねに駐るところである。(中略)
(*14)『魏略』では「戸万余」とあり、千は万の誤りか。
 無造作に『魏略』と書くのではなく、「『翰苑』の断簡写本に見られる『魏略』断片(佚文)に従うとすれば」と丁寧に書くべきではないですか。いずれにしろ、字数の限られている記事に、ことさら書く価値は無いでしょう。
 郡使は、倭に到着したとき、伊都国に「常に駐した」、つまり、ここで、馬を下りて、足をとどめたように見えます。つまり、「倭」の王之治所は、伊都国の管内にあったとも見えます。

(*15)『後漢書』では三〇国のすべてについて「国皆王を称し、世々統を伝う」とし、これに対し「大倭王は邪馬台国に居る」としている。
 これは、「倭人伝」の記事と異なるものである、とでも書き足すべきです。そうしなければ、圏外を語る笵曄「後漢書」を起用する意義がありません。また、なぜ、時期外れの後漢書を尊重するのか、意図不明です。
 ここでは、後漢代の大倭王なる君主が、当時「邪馬臺国」と称していた「国」を居所としていたと言うことでしかありません。范曄は、後漢代のことしか書いていないのですから、文帝曹丕、明帝曹叡の二代のことは、一切書いていないのです。
 これに対して、倭人伝」は、母体である「魏志」が三国鼎立期の魏朝の記事であり、遡って魏武曹操の時代のことも含めていますが、陳寿は、范曄が唱えた「大倭王」、「邪馬臺国」の記事を書いていないのです。つまり、これらは、陳寿の排除した伝聞に類するものと見るのが普通でしょう、と意見されたことはありませんか。
 また、魏志に丁寧に補注した裴松之も、この点に関して陳寿の割愛を回復してはいないのです。范曄が、「倭」記事の根拠とした後漢代の「倭」史料は、范曄と裴松之が活動した南朝劉宋期に存在しなかったのではないでしょうか。つまり、ことは、范曄の創作記事のように思えるのですが、反証はあるでしょうか。
 つまり、陳寿の残した記事を覆すに足るだけの、後漢書に対する史料批判は、十分にされたのでしょうか。

これから先は、東南、奴国(*16)にいたるのに百里。(中略)、二万余戸がある。(中略)
 「これから先は」とあるが、なにが「これ」なのか、文としてどう続くのか趣旨不明です。

おなじく東、不弥国(*18)に至るのに百里。(中略)
 「おなじく」と無造作に、原文にない書き足しですが、何がどう同じなのかわかりません。

                                未完

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