新・私の本棚 番外 邪馬台国の会 第404回講演 「3.邪馬台国の存在を大和地方に...」
3.邪馬台国の存在を大和地方に認めることは出来ない 2022/11/11
私の見立て ★★★★☆ 最重要
◯はじめに
「邪馬台国の会」創設の「安本美典賞」の第一回受賞者関川尚功氏(先生)の贈呈式記念特別講演の細瑾であるが、重大なので敢えて公開する。
*議事次第 2022/10/16 開催
1.第一回受賞者の関川尚功氏によせて
2.関川尚功氏の業績[関川氏の年代論が正しい]
3.邪馬台国の存在を大和地方に認めることは出来ない(関川尚功先生)
以下、敬称は「氏」に留めたが、中国語で「先生」は軽い男性敬称であり、「氏」によって応分の敬意を評していることを申し添える。
関川氏の特別講演、つまり、受賞著書の部分紹介で、遺物/遺跡に関する考古学考証は、氏の長年に亘る着実な学問研究「学究」の成果であり、全体として、纏向を含む奈良盆地中部、「中和」本拠として広範に行われてきた先賢諸兄姉の諸論考に基づいた確実な論考であり、多数の学究の叡知を結集し検証された成果であり、大いに尊重されるべきものであることに異議は無いと思うが、以下の「倭人伝」考証は、いずれの論考に基づいているのか、根拠薄弱で不適格である。
安本美典氏は、立場上、関川氏の卓見を無遠慮に批判する「鋭利な名剣」は振るうことができないと見えるので、一介の素人が、僭越にも私見を述べる次第である。
率直/正直な批判は、最上の賛辞と信じ、短評を試みる。
・『魏志倭人伝』は邪馬台国について、「その道里を計るに、まさに会稽(かいけい)、東冶(とうや)の東に在る」と書いてある。また、卑弥呼がなぜ親魏倭王となったのかといえば、三国時代の呉の孫権が、魏と仲の悪い高句麗や公孫氏に手を出して、東シナ海を伝わって対抗しようした。そこで魏は邪馬台国と結んで、公孫氏と呉の間に楔を打とうとした。下の地図を見れば、会稽、東冶の東は九州がせいぜいであり、公孫氏とのつながりを押さえるには北九州となり、畿内までには至らない。
*コメント
冒頭は、「倭人伝」の改竄で、誠に不適切である。続く時代考証は、出所、論拠不明で、安易な受け売りは、氏にしては軽率の極みである。
考証は「倭人伝」に根拠が無いので、手前味噌の「陰謀」史観創作と見え、「東治」改竄を含めた後世東夷への追従は、氏にしては誠に不用意である。
「魏と仲の悪い高句麗」は杜撰である。公孫氏の反逆に高句麗が追従と見るのは誤解である。高句麗は公孫氏に援軍を送らず、司馬氏と結託している。また、魏が「公孫氏包囲狙い」で「未開の蛮夷である倭」と「同盟」とは論外の極みである。中原天子が、新来で、無文、つまり、古典書の文字を一切解しない蛮夷の蕃王と「盟約」など、到底、到底あり得ない。
魏使が倭王に「親魏倭王」印綬仮授の時、公孫氏は、とうに土に埋もれていた。氏の専門外とは言え、著書として公刊している以上、これは、重大な確認不足と思われる。
「会稽東治の東」(原文)は大局的構想であり、当時、緻密な現代地図は存在しなかったから、陳寿は漠然と「東」としたに過ぎない。また「東」の有効射程は、時代錯誤を越え奇怪である。「倭人伝」は東方に漠たる認識しか示していないから、その意味でも、かかる地図を古代史論に起用するのは、まことに罪作り、言わば「架空地図」である。
先例では、武帝以来の漢使が、万里の彼方の西域の果ての「安息国」を大海「カスピ海」の東岸に「極めて」取材して、大海海西、さらには、さらに西の風聞を書き留めたが、皇帝に風聞、臆測、捏造を報告した「西域伝」記事は、史官にあるまじき粗略な所業として、後漢書を編纂した笵曄に罵倒されている。但し、陳寿は、正統派の史官であるから、臆測としてすら認められない事象は報告していない。
氏は、考古学で『「文字資料」の紀年と遺物、遺跡の時代比定は(現代視点で)連結してはならない』とする鉄則に反していると見える。まして、正史列伝に書かれていない背景事情、さらには、明記されていない関係者の思惑まで勝手に掘り起こして、所説の根拠として言い立てるのは、当然、史学の考察として無法である。案ずるに、「三国志」考証と言いながら、実は、「三国志演義」の創作事項に悪乗りしているのでは無いかと、真摯に懸念される。
これら、氏に似合わぬ「倭人伝」誤解は、時代錯誤の地理観と相俟って、臆測と改竄依存の重畳と見え、氏の論考への信頼が、これに連座して崩壊しないかと懸念され、誠に、勿体ない。
◯まとめ
かくのごとく、率直に苦言し、氏の寛恕を望んでいる。頓首。
以上
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