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2022年11月13日 (日)

新・私の本棚 「魏略西戎伝」条支大秦の新解釈 壱 導入篇  1/4

221114romaparthia   
                             2019/10/27 2019/11/08画像更新 2022/11/14

■おことわり
 ここに掲示したのは、当記事全体の考察を、そこそこに反映した「概念図」です。
 ことさら言うまでないと思いますが、ここに掲げたのは、魏略西戎伝(以下、西戎伝)に書かれた道里をまとめた「構想概念図」(Picture)であり、方位も縮尺も大体で、あえて「地図」にしていないのです。
 それなりに論理的に書いた労作なので、どうか「イメージ」などと軽蔑しないでいただきたいものです。作図に制約のあるマイクロソフトエクセルで書いたものです。
 
*古代人の認識 Retrospective Microcosmos
 衛星写真もグーグルマップなどの情報サービスもなく、地図もコンパスもない時代、頼りは、人々の見識であり、それは、各人の行動範囲に限定された確かな土地勘と行動範囲外の伝聞なので、甘英が知恵を絞っても、せいぜいこの程度の認識しか得られなかったと思うのです。と言うことで、当時の現地での認識で書かれた西戎伝の元データは、どの程度現地事情を反映していたか、当て推量にせざるを得ないと考えた次第です。
 特に重要なのは、甘英が取材した「安息」は、ここに書いたように安息創業の地である当地域を所領としていて、東北部の交易と防衛を担っていた「小安息」の視点で描いた世界像であり、大帝国の「グローバルな」目で描いたものではないのです。

 この二重構造は、甘英以後、後漢史官にも、魚豢にも理解されず、後漢書を編纂した范曄に至っては、不確かな情報であり書くに堪えないと棄てられ、そのような不確かな情報をもたらした諸悪の根源として、甘英は臆病な卑怯者扱いされたのです。

 当記事は、そうした冤罪を、魏略西戎伝の適切な解釈で払拭するものです。

 と言うものの、要点では、前世、つまり、史記、漢書以来の先行資料も参考にして重要地点の比定に勉めたのが、計三篇に上る考察です。
 ここでは、端的に、当方、つまり、当ブログ記事筆者の当面の結論、と言うか到達点を書き残すものです。読者に読んでいただけるか、肯定していただけるか、各読者の考え次第です。

■概要
 本稿では、西戎伝の解釈に対して従来当然とされていた句点解釈に異を唱え、条支、大秦国の所在地の再確認を願うものです。定説で決まりなどと言わずに、一度見直していただければ幸いです。
 端的に言うと、史書の条支国は、当時地域大国であるアルメニア王国です。条支が接する大海はカスピ海であり、海西、海北、海東は、カスピ海周辺、しかも南部にとどまり、甘英の探査はせいぜい条支であり、地中海岸に一切近づいてないので、海を怖れたとは、後世課せられた濡れ衣、つまり冤罪です。甘英は、一世の英傑西域都護班超の副官であり、皇帝、都護から命を帯びていて、使命を放棄して帰任したとは、信じられないのです。

 「西戎伝」を読む限り、大秦は「安息に在り」とだけあって遂に位置不詳であり、諸記事の「莉軒」から、大安息内、それも、小安息付近と見られるのです。当方なりの憶測は、図の通りであり、説明は後のお楽しみです。

                                未完

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