私の本棚 大庭 脩 「親魏倭王」 増補 3/12
学生社 2001年9月 増訂初版 (初版 1971年) 2018/05/26 補充再公開 2020/06/24 増補 2022/12/13
私の見立て ★★★★☆ 豊かな見識を湛えた好著
*「倭人伝」「國邑」の時代考証
中国太古(殷代から周代の初期)の意識では、「国」は、原初「國」、つまり、聚落「或」を隔壁、城壁で囲った単位聚落であり、後世、広大な領域を統合した単位は、「邦」と称したが、漢高祖の本名が「劉邦」であったため、これを避けて、「國」が復活したとのことである。つまり、漢代以降の「國」は、太古の「國」、或いは「國邑」とは異なるのである。
「倭人伝」は、冒頭で、倭人の「國」は太古の「國邑」であったと明記/宣言/定義しているので、当時の読者は、平常の「國」と読み分ける必要がある。但し、大庭氏が、こうした中国太古の言い習わしの変遷を、厳格に認識していたかどうかは、ここでは不明である。何しろ、持ち出すほどに、現代の東夷読者を困惑させる恐れがあるので、慎重に、消極的にならざるをえないのかも知れない。素人には、口出ししない方が良いのかも知れないが、ここでは、お叱りを覚悟で口に出すのである。
*漢蕃関係
時代錯誤の「国際関係」、「外交」の妥当な置換として、「時代相応」の言葉を選ぶと「漢蕃」関係である。現代東夷読者には、「違和感」ものだろうが、ここは現代語で言う「違和」でない、本来の不調和感を醸し出して、安直な読み飛ばしを避けるのが狙いだから、ある意味、賢明なのである。自然にわかりやすく書いていてしまうと、咀嚼せずに丸呑みされてしまうので、深意がいきなり排出される可能性がある。
「自然」に学ぶとすると、植物が、種子の媒体役として期待するのは、鳥の如き丸呑みであるが、われわれ動物は、噛み砕いて咀嚼してしまうので、折角の種子が亡んでしまう。せめて、かまずに吐き出してもらえるように、固い殻を纏わせるが、かといって、最善の策として、味覚のある動物よけに、檄辛みを付けてしまうと、播種による種族繁栄は、鳥頼りになるのである。
閑話休題。
御不満はさておき、当家の「芸風」を我慢頂くことになるのである。
さて、「蕃」にしても、「漢」なる中国の大帝国を、自分たちの同類と見たのは「夜郎」のようなお山の大将である。一方、いわゆる「邪馬台国」は、仲間内では、大将扱いされていたかも知れないが、「漢」を相手に背比べを挑むような意識はなかったと見るべきではないか。
当時の世界を取材したわけではないから、臆測しかないが、現代東夷の世界観で押し通すのは無理と理解頂きたい。あちこちで見る、屈辱とか、対等主張とかを見ると、どうも、誤解の方が蔓延しているように見えるのである。
いや、大庭氏は、そのような低俗な世界観を持ち込んでいないのであるが、読者の受容力を懸念しているのである。
「倭人伝」を後世用語で論じると、一般読者に誤解を押しつけると思う。
*諸国状勢
以下、著者は、後漢末期から、三国時代の中国及び東夷の状勢を描いていて貴重である。とかく、国内古代史論者は、後漢桓帝、霊帝の治世と無造作に言うが、両帝期は、いわば、後漢朝衰亡(衰退・滅亡)期であることを理解しているかどうか不明である。霊帝没後の帝位継承時の混乱で、後漢は、事実上滅亡して大乱状態になるから、時代認識の錯誤は、深刻である。
未完
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