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2022年12月21日 (水)

新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」改補 1/8

 「「魏志倭人伝」解読の重要ワード..」 「邪馬台国と日本書紀の界隈」M・ITO (伊藤 雅文)
 2020/04/16 追記 2021/12/25 2022/11/19, 12/20
 
〇はじめに
 氏のブログ、著書について、既に当ブログで批判を公開していますが、単純な蒸し返しではありません。今回は、氏の最新記事への異論です。氏が論拠を明示しているので、本来、個人名義のブログ記事への批判は避けたいのですが、折角ですから以下の見解をまとめたのです。

1 道里論
 第一の「道里」の語義解釈には、大いに異議があります。と言うか、個人的な意見の相違などではなく、素人目にも、まるっきり間違えていると思います。

 まずは、「道里」は、二字単語として、「道のり」、「道程」の意味であることが「衆知」です。(氏がたまたま知らなくても「衆知」論に影響はありません) そして、敢えてその「普通」の解釈を覆す意義が理解できません。陳寿は、古典書に始まる「普通」の辞書をタント具備していて、それは、当時の知識人に共通の教養ですから、陳寿の辞書にない「新語」を、ことわりなしに公式史書に書き込むことはないのです。

 「中国哲学書電子化計劃」により「先秦両漢」で「道里」を検索すると48用例、単語として49個の先例があり、大概は、「道里遠近」に類する文脈を形成しています。よって、「道里」は、現代語で「距離」、「みちのり」に相当する概念と見るのが、古典書籍、特に史書の文章解釈の「常道」でしょう。

 「道」と「里」は、太古以来独立した単語ですが、「道」と「里」を連ねた場合は二字単語となって、「里」の語義の中でも、「道」の「里」を表す言葉と考えるのが順当です。(本項の末尾で辞典を参照します)

 このように衆知極まる言葉に、二千年後世の東夷が別義を託した意図が理解できないのです。
 このような唐突な新定義は、普通の定義を打ち消すことはなく、無教養な誤用と棄却されるので、史官の職にあり古典的な用語に縛られている陳寿が、三国志に採用したと見えないのです。衆知の用語に新たな意義をあてる必要があったら、陳寿は、堂々と例外用法を明言したはずです。

 案ずるに、「道里」は、あくまで「里」ですが、「里」は、古来数十家規模の集落であり、土地制度では一里角の面積なので、誤解を避けるために、敢えて、「道の里」としての「里」を明記したかも知れません。無知、無教養の徒である小生には、それ以上明言できません。

 因みに、「歩」(ぶ)も、「距離単位」であると同時に面積単位でもあり、「九章算術」計算例題集では、面積の「歩」を「積歩」として混同を避けていますが、大抵の場合、文脈で区別できるので単に「里」、「歩」と書いたようです。といっても、これは、そのような基礎教養が引き継がれていた時代であり、戦乱などで継承の鎖が壊れたときは、字面に囚われた「名解釈」がはびこるのです。

 本題に還ると、漢字辞典として有力な白川静氏「字通」、藤堂明保氏「漢字源」共に、「道里」は、「道のり、距離」との語義を掲載していて、氏の新説は、根拠の無い思いつきの類いとして、ほぼ棄却できます。顔を洗って出直しておいでという事です。

 それにしても、本項の強引とも見える書きぶりは、後出「周旋」の周到な論証に似合わない不首尾なものと見て取れるのです。何か、急かれる思いがあったのでしょうか。気が急いて仕方ないときは、お手洗いに立って身軽になって、顔を洗うものです。

2 東治論
 本件、当ブログで、議論を重ねましたが、依然として、正論が俗説の渦に埋もれているので、再説をかねて、氏の議論の紹介方々異論を述べます。と言っても、氏に、大略同感です。 
 氏は、「東治」が、禹后による「治」の場所と解されましたが、禹が会稽で「統治」した記録はありません。ここに王宮「治」を移したとの記録もありません。単に、諸侯を集めて功績評価、「会稽」したというだけです。

 「水経注」の郡名由来記事に、会稽郡の由来として、秦始皇帝の重臣李斯が「禹后が東治之山(会稽山)で会稽した」ので、当該地域を会稽郡と命名したとされています。他の郡名と異筋ですが、教養人に衆知だったようです。
 史実かどうかは別として、その由来が、後世まで継承され、陳寿の西晋代にも、東治由来談が伝わっていたのでしょう。

*「東冶」批判 2022/12/20
 氏の意見に逆らうと見られると困るのですが、この際、議論を突き詰めることにしました。 
 西晋亡国の空前の混乱で、多くの伝承や記録が失われましたが、「後漢書」編者笵曄は、会稽付近に生まれたとはいえ、却って、古典教養を要する「会稽郡」由来談を知らなかった可能性があります。陳寿と范曄の間には、一つには、西晋崩壊時の洛陽文化圏の崩壊があり、かつ、笵曄は、史官としての職業的訓練を受けていない文筆家、趣味の人なので、それぞれの世界観には、大きな相違点があるのです。或いは、建康に親しんでいた笵曄周辺の在野の同時代知識人が、古典教養に欠けていたため、これに調子を合わせたのかも知れません。面倒だから断定しても、実際は、断定できないことは、素人なりに承知しています。

 同時代に、三国志の写本を比較校訂し、補注を加えた劉宋史官裴松之は、二千年後世の東夷があれこれヤジを飛ばしている「会稽東治」に、なんら注釈を加えていないのですから、以上の古典教養に照らして何ら不審の念を抱かなかったという事でしょう。いや、異論派の好む論理によると、当時、「東冶」と全ての写本に書かれていたと言うつもりなのでしょうが、それなら、以下述べるような「東冶」地名に対する疑念を述べていたものと見るのです。裴松之は、思いつきで所見を左右されるような「小人」(しょうじん)ではなかったのです。

*「宋書」州郡志考 2022/12/21
 劉宋当時、「東冶」は、会稽南方で、むしろ統治範囲の中央に近く周知であった著名な地であり、劉宋の正史「宋書」の州郡志には、武帝代に会稽郡南部に創設された「冶県」が、東呉の時代に分郡した建安郡に属していたと記されています。会稽を中心とする「楊州」の南に位置した「江州」は、京都(けいと)建康との間の「道里」が、「去京都水三千四十,並無陸」と記録されているように、山塊に遮られて陸上街道がなく、水上道里だけ記されているような「異界」だったのです。

 とは言え、劉宋代に到って、長年の記録不備が解消して、「志」に収録されたのであり、遡った魏代には、建安郡は東呉領域であったことから、洛陽に何の報告もなく、西晋代になって東呉の降伏時に献上された「呉書」で、辛うじて欠落が補填されたものの、魏志として死角地域ですから、遡った魏代を記録した魏志「倭人伝」で、管轄外の「東冶」を参照するのが、全く、もっての外だったと知れるのです。要するに、「倭人伝」に「東冶」は「なかった」のです。

 因みに、帯方郡は、劉宋代以前に滅亡していたので、宋書に倭への道里を書いた東夷伝は存在しません。帯方郡旧地に行こうにも、東晋末期から劉宋にかけて、新興北魏の侵攻で山東半島の支配が喪われ、南朝は淮水までという状態に後退していたのです。このため、当初、半島西岸から渡船で山東半島経由で建康に至る安全な行程が利用できたものが遮断され、滅多に利用できない東シナ海越えの航路になり、建康に至る行程として、新興百済の便船に、それこそ便乗したと見えます。もちろん、こうした行程は、公式のものではないので、道里行程は書かれていませんが、それを、晋書、宋書の粗略として非難した論考は、見たことがありません。或いは、遣使の報告も残っていませんから、どっちもどっちという事なのでしょうか。

 と言うことで、本筋の議論に返ると、「東冶」は伝統されていた古典教養になく、魏の時代に東呉領域で皇帝の威光の及ばない南方の辺境であったので、魏志に記事がなく、その巻末で、突然、不意打ちで参照するのは、問題外の無礼であったはずです。(読書人が呉志を購読するのは、魏志講読の後日なので、その時点で、呉志の内容はまだ知れていないのですから、参照しようがなかったのです)

 と言うことで、先に述べた内容を念押しすると、劉宋の史官裴松之が、倭人伝に「東冶」を目にしていたら、根拠の無い不届きなものとして、注釈を加えて然るべきです。その意味でも、裴松之の校訂した倭人伝に、場違いな「会稽東冶」は書かれていなかったものと確認できます。

                                未完

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