新・私の本棚 伊藤 雅文 ブログ 「邪馬台国と日本書紀の界隈」改補 2/8
「「魏志倭人伝」解読の重要ワード..」 M・ITO (伊藤 雅文)
2020/04/16 追記2020/04/19 追記 2021/12/25 2022/11/19, 12/20
3「周旋」論
氏の解説は、常道に従った古典書用例参照が雑駁と見えても、全体として、まことに堅実です。
国内史書が起点の先賢は、先入観で「周旋」を誤解しましたが、漢字辞典を参照すれば、「周旋」の「周」は、「ぐるっと周回」だけでなく、「周(あまね)く」の意味、「旋」も「ぐるっと回転」だけでなく、「経路の終端から戻る」との意味があると知ったはずです。(白川静/藤堂明保両師の辞典による)
史書として余り参照されていないようですが、東晋代に編纂された袁宏「後漢紀」の献帝建安年間の記事(孔融小伝)でも、「周旋」は「二者の間を往来する」意味で使われています。市井の会話に近い用語例なので、古典用語でなく日常のものかも知れませんが、公式史書に準ずる「後漢紀」で採用されているので、「普通」の用語と見えます。
文頭の「參問」倭地は、狗邪~倭「歴訪」、「周旋」は、終点終端まで進む「巡訪」と重複気味ながら、文脈により陳寿の真意に辿り着いたはずです。
因みに、成語「周旋」は、対立当事者、大抵は二者の間を往来して斡旋するのであり、あたりをぐるぐる巡るのではないのです。
*測量不能な図形
俗解した「領域周回」が、不正解と見えるのは、千里はあろうという領域外周の野山や河川、海浜、島嶼を「測量して巡る」のは、途方もなく不可能であり、その経路長を測量無しに推定するのも、同様に不可能です。まして、狗邪~末羅の渡海/水行行程は、海峡越えであることから、測量は、重ね重ね不可能です。そのような無法な概念を強引に導入しないと成立し得ない仮説は、即刻、ゴミ箱入りすべきです。
有力算書「九章算術」の「方田」例題には、円形の土地の外周計算方法が書かれていますが、当然、「その土地がほぼ円形であり、その土地の径(直径)が知られている場合だけ実行可能」です。つまり、領域が円形と見ることができるのであれば、外周を実測しなくても、直径の測量で、全周長を正確に推定できるわけです。要は、円形領域の外周周回長は直径の三倍強、という幾何学原理の利用に過ぎません。その程度の概数計算は、今さら教わらなくても、二千年以上前から知れていたのです。
懸案に戻ると、「異郷の異国」の領域外形は知るすべがないし、海上洲島領域の南北は、道里行程記事から推定できても、東西はどうにも測りようがなく、結局、元に戻って、国間道里、つまり、王の居処の間の道のり、つまり、「両国国主間の文書伝送に要する期間」しかわからないのです。
この点は、列挙されている各国の「東西南北の境界が書かれていない」のでも明らかです。現代人は、手元の地図に、各国をばらまいて、広がりを夢想していますが、「倭人伝」の視点では、末羅国以南の「洲島」の広がりは知るすべがなく、伊都国以南が、また一つの大海中の渡海なのか、陸続きなのかも、その時点では、不明だったのです。不明なものを明快に記録できるわけが無いのです。
いや、近来、何も示されていない諸国の位置関係を想定して、所在地が全く不明の諸国の環状配列を夢想している向きがあるようですが、不明だから書いていない諸国配置を、後世人の夢想で書き上げるのは「無法」と言えるものです。この例に限らず、現代人は、精巧な地図を参照して、思うままにパズルを解いていますが、三世紀当時、中国側には、地図も何も知られていなかったのですから、倭人伝なる「問題」には、何も書かれていないのです。困ったものです。いくら陳寿でも、全く不明の事項をもっもらしく書き上げることは、史官の権威(首)にかけて拒否するものであり、二千年後世の東夷が、軽々しくそれを云々するのは、誠に不当です。
因みに、「九章算術」は、史官を含め、教養人の必須課題であり、陳寿も、当然、こうした原理は知悉していたのです。仮に陳寿が算数に弱くても、初級の算数は、こなしていたはずです。
*周旋の意義
「周旋」は、狗邪~倭直行道里のみが妥当であり、氏が「現代仕様で変態した地図上に図示した円弧」は、時代錯誤の虚構です。誠に困った風潮です。
郡~倭都全道里が東南方向に万二千里、郡~狗邪部分道里が同じく東南方向 に七千里は、主張として明解ですが、狗邪~倭都経路記事は、傍路と輻輳して見えるので、この記事でこの間の倭地道里を、ことさら五千里と明記したのですが、進行方向は、概して同じく一路東南方向です。道草は、御法度です。
どうしても図示したいのなら、読者に誤解を与えないように配慮して、「円弧」範囲を、適正な範囲に絞るべきでしょう。
陳寿の出題の心理を思うと、単純に道里を書き足すと、「わかりきったことを書くとは見くびられたものだ」との「読者」のお怒りが怖いので、少し表現を捻ったのでしょう。と言っても、捻りすぎて、つまらないところで躓かせると、また、読者のご不興を買うので、さじ加減したものと見えます。
〇道里論の失着
こうしてみると第一項「道里」の見当違いの解釈は、先入観に災いされたのか、説得力を自失していて、まことにもったいないのです。
*用語の錯誤
見当違いと言えば、見出しで、古代史論を期待している読者を惑わす場違いなカタカナ語「ワード」です。
高名なマイクロソフト「ワード」のことではないでしょうし、かといって、次に想起されるコンピューターデータの単位でもないでしょう。いずれにしろ、古代世界に「カタカナ語」はありません。時代錯誤は戒めるべきでしょう。多分、氏の身辺の居酒屋仲間には大受けしているのでしょうが、伊藤氏が、史学界で悪名を博さず、正当な論者として認められるためには、「出世の妨げ」でしかないのです。
このように、唐突に、生かじりの異世界新語を持ち込まれても、善良な読者には不可解至極で、意味が定まらないのです。これでは、いきなり、無用の反発を買うだけです。曰わく、「まともな日本語文が書けないのに、生かじりのカタカナ語を持ってくるな」というものです。これは、氏の仲間で受けるかどうかは、全く別次元のものですから、是非、ご自愛頂きたいものです。
何度でも言いますが、このような飛び入り言葉を、用語考証という厳密な場に持ち出すのは、まことにもったいないのです。普通は、直後に定義を付して不可解の誹りを免れるのですが、それにしても、当記事の中で、学術的に意義のある場合だけの言い逃れです。
因みに、CPU命令のWordはCPUビット数なので今日の64 Bit CPUで1ワードは64ビットです。いや、益体もない余談です。
*カタカナ語排斥論再燃
古代史用語が不可解なのは読者、自分自身の不勉強故と我慢できても、現代人が現代人に対して不可解な用語を振り回すのは不可解そのものです。先賢がおっしゃるように、「古代史に関する論議で、古代人が理解しようのない概念や言葉は、何としても避けるべき」と信じる次第です。
【追記開始】(2020/04/19, 12/25)
新書二冊の職業筆者に相応しい「キーワード」(カタカナ言葉の先住民で、一応気に留めてもらえるかも知れないもの)と見出しを付け直したら、「粗雑」と見くびられることはありません。「粗雑」は、決して、手造りの無骨さを褒める高度な言葉ではありません。要するに、「無教養」と侮られるているというだけです。念のため。 「ワード」は、単なる「はやり」言葉で、「何年生き続けるか不明」なので、本題のような長期戦には全く不向きなのです。
【追記終了】
以上
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