私の本棚 大庭 脩 「親魏倭王」 増補 12/12
学生社 2001年9月 増訂初版 (初版 1971年) 2018/05/26 補充再公開 2020/06/24 増補 2022/12/13
私の見立て ★★★★☆ 豊かな見識を湛えた好著
*大庭氏の史観確認~戯れ言御免
と言うことで、大庭氏が本書に於いて展開された「陳寿」観は、岡田氏に代表/煽動される「偏向」、「曲筆」観に追従してはいないが極論ではないので、その局面で陳寿の真意を察するものになっていて、極めて健全である。
少し、戯れ言を言う。まともに言うと、既存の諸機関や先賢諸兄姉の存続/生存に関わる主張とも取られかねないので、戯れ言としたのである。例えば、徳川幕府の政権下、真田猛将が大御所に危害を企てたとは言えないので、本名「信繁」を架空の「幸村」に代えたようなものである。
大体に於いて、陳寿を執拗に人格攻撃する諸兄姉は、背後に決して譲れない「党議拘束」を抱え「纏向幕府」の主義に反することが許されない、特命「浪士隊」に参集して「士道」に反する行動は固く禁じられているように見える。近年、幕末に近づいて切迫感が募る模様が傷ましい。大政奉還は来ないのか。陳寿/倭人伝への攻撃を撤回しても本論は揺らがないはずである。
*「親魏倭王」の適正評価
大庭氏が、史書用例から明らかにしたように、「親魏倭王」は、殊勝な蕃王への「称号」であり、漢制「称号」ではない格別の称号なのである。
史書によると、漢代に辺境守護が外夷の参上を取り持つ例が多く、蛮夷一行を国使に仕立てて、京師や東都への道中で饗応し、適当な瞑目で一行に印綬を下付し、過分の手土産をもたせて送り返した例が多々見られるという。
辺境守護にしたら、蛮夷の侵入を止め兵役を軽減するのは、接待が最善である。収穫の乏しい辺境に守備兵を括り付けるのは多大な食糧給付を要し、外夷への派兵は戦果とする領地に収穫はなく、砂浜に田地の徒労である。
戦わずして些細な給付で手懐けられたらそれに越したことはないのである。
*大月氏~歴然たる盗賊国家
大庭氏は大月氏の実態をご存じで東夷との対比で、惑わされない。
大月氏は、もともと西の蛮夷で、涼州を本拠地とし、漢地に侵入し掠奪を重ねたが、配下としていた匈奴の反逆で漠北を追われ、西方大夏に寄寓した。
匈奴同様、騎馬の兵が速攻で侵入し掠奪する無頼の盗賊国家であり、漢武帝の使者に対して匈奴に復讐する同盟を拒否した一方、西域西端で、掠奪国家として周辺に多大な危害を加えた。西の大国安息は、九州に敗れて王が戦死し、領土を侵略され、以後、国境に二万の守備兵を常駐した。
後漢西域都護班超が諸国を制圧した時代も、隙あらば反抗し、掠奪しない代償として多大な対価を求めていたと見える。西域都護の撤退以降、札付きの不良国が猛威を振るったと見える。
そのような素性は、後漢から鴻臚による西域管理を引き継いだ曹魏も承知で、本気で厚遇したのではない。長年の絶交状態を解消した使節は、儀礼的に歓迎したものの、曹魏はアメをしゃぶらせだけであり、別に厚遇ではない。
何しろ、諸葛亮の蜀と連携した涼州に洛陽から西域に至る経路は封鎖され、曹魏に扉を閉ざされていて、大月氏も涼州に手が届かず、実効は皆無だった。
大庭氏は、西域事情について、立ち入った考証を加えていないが、世界的に西域学の権威である白鳥庫吉氏の意見を聞けばよかったのである。
但し、氏は、当該国の金印が、「お土産」と見抜いているので、以上は、氏の誤解を正す趣旨ではない。岡田氏の誤解を正す意図である。
完
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