私の本棚 8 都出 比呂志 「古代国家はいつ成立したか」 改補 1/5
岩波新書 2011年8月 2014/05/23 分割再掲 2020/06/17 2022/12/22
私の見立て★☆☆☆☆ 文献史学部分 氏にとって鬼門か それ以外は好著 ★★★★☆
◯始めに
天下の岩波新書であり、島根県主催の「古代歴史文化賞大賞」受賞作だけに、高度な著作との触れ込みで、重大な敬意を以て批評します。
なお、当記事は、倭人伝という文献の解釈に関する異論/批判が主体で、氏の本領と思われる考古学分野で、遺跡、遺物という時代記録のない現物の考古学考察を文献解釈に連動させるよう糊塗していると論じているのみです。
端的に言うと、本書タイトルは、考古学的論考に対して不適当なのです。
*劈頭脱輪~史料無視の独断
本書は、大上段に振りかぶっていますが、出だしで大きく脱輪しています。
魏志「倭人傳」には、「邪馬台国」も「壱岐国」も書かれてないのに、原史料を確認することなく、誤釈の可能性のある読み下し文や孫引き史料に依存して正史記事そのままと誤断し誤伝を広めているのは、学術的では無いと思います。
本書は、その基盤となる部分の記述が学術書の物ではなく、伝奇小説の語り口と見えるので、以下、作者と呼ぶことにします。
*記事批判
13ページ 「西日本が邪馬台国に統一された二世紀末」と言い切っていますが、何か根拠はあるのでしょうか。多分に古代ロマンのように思えます。
16ページ 「都市は、生活の基盤を外部に依存する社会」と規定していますが、と言うことは、「都市」から郊外の「外部」との間の連携として、人の往来と食料搬入を支える「道路」とその上を走る車両や荷役する「駄馬」が「インフラ」(基盤)として必須なのは自明ですが、その点の考察は整っていないようです。もちろん、「都市」には水運も必須です。現実は厳しいのです。
そうそう、魏志「倭人伝」に登場する「都市」は、倭の大夫「都市牛利」という人名だけであり、現代で言う「都市」は影も形もありません。読者に対して、不親切な言い回しでしょう。
*後世世界観の押しつけ
現代読者から見ると、「畿内」、「東海」、「関東」の地域名が、遙か後世の命名であり「西日本」も、現代語感で解釈することになり、九州、四国、中国から近畿まで包含した広大な版図と勝手に受け止めて感動します。
しかし、作者自身、筑紫以外の九州、四国、出雲以外の中国、畿内以外の近畿などについて語っていないので、「西日本」がどの範囲かは不明です。
*フィクション語りの手口
と言うことは、作者としては、ご自身の主張はともかく、読者の勝手な理解に責任なしと言うのでしょう。これは、フィクション作者の語り口です。
このような作者所感は、少なくとも、ここまで紹介したような、唯一の文献史料である魏志「倭人傳」の記述とかけ離れたものであり、それ以外のどのような史料で裏付けられたものなのか、怪訝に思うのです。
*浪漫派宣言
他に、作者は、全体に、古代国家の萌芽形勢、権力闘争の側面を強調し、読み物的な叙述で、先進諸国の視点や後世の時点をずらしてあてはめながら、古代世界に古代ロマン満載の仮説を展開しています。
このような書き方は、現代の読者には、自身の世界観と近い言葉で書かれているので、古代史絵解きとして滑らかなものがありますが、俗受けを脇に置いて、論理的に評価すると空白だらけ、隙だらけと言わざるを得ません。
やはり、学説を打ち立てるためには、「ロマン」の自画自賛ではなく、確実な資料に基づく、堅実な論旨展開の道を辿るべきではないでしょうか。
未完
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