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2023年1月28日 (土)

06. 濵山海居 - 読み過ごされた良港と豊穣の海 再掲載

                         2014/04/26  2022/11/14 2023/01/28
 「末盧國,有四千餘戶,濵山海居,草木茂盛」

*末羅国談義

 末盧國は、山が海に迫っているため、田地、つまり、水田と限らないにしろ、農地が制約されたとしても、航海に通じた少数精鋭の国だったのでしょう。
 戸数四千戸は、國邑、つまり、隔壁集落で、千戸台となっている前後の諸国に数倍するのですが、それが、単一國邑なのか、千戸台の國邑が数カ所存在したのか、不明です。四千戸の大国の住民が、海岸近くに住んでいたのか、内陸に住居を構えた住民の大半が浜小屋住まいだったりすると、適切な課税が困難と見えますが、詳しいことは分かりません。

 また、言うまでも無く、倭は、年間通じて降雨に恵まれていたので、水田米作が維持でき、もう一つの辺境である西域の流沙、つまり、砂漠とは大違いです。更に言うと、乾燥地帯の黄土平原である中原とも寒冷の韓国とも、大きく異なるので、街道を塞ぎそうな樹木の姿が、感銘を持って特記されたようです。
 後ほど、気候の話題が出てきますが、北方の韓国のように寒冷でなく、温暖であるものの、南方の狗奴国で引き合いに出された海南島のように瘴癘ではないのです。
 要するに、玄界灘は漁獲に恵まれた豊穣の海であり、長く、沿岸諸国の国力を支えたでしょう。
 末羅国は、倭國覇者ではないにしても、国土は狭くとも、戸数は少なくとも、地域「大国」だったはずです。

 さて、以下の道里記録の評価で余り触れられていないように思うのですが、これら道里の出典は、魏使(帯方郡使)の測量した数値であるということです。 旧説を撤回 2022/11/14

*魏使の陣容
 魏使は、正使、副使程度しか知られていないものと思いますが、少なくとも、魏朝を代表して派遣され、外交以外に、軍事的な目的も担っていた以上、以下に述べる程度の構成は整っていたはずです。たとえば、副使は、正使に不測の事態が生じたときの代行者でもあり、時には分遣隊として滞在地を離れて、出動したことでしょう。

 人員は、大半が帯方郡からの派遣でしょうが、基本的に魏朝の配下とみるものです。
 正使 副使 通事 書記 記者 保安 財物 食料 救護 荷役
 ここで上げた書記は、公文書を取り扱う高官ですが、記者は、実務担当者であり、日々の任務の記録以外に、移動中の歩測測量を記録していたはずです。

 時に話題に上る「歩測」は、訓練を受けていれば、日々の移動方向と移動距離を結構高い精度で測量できたものと想像されます。全道里と所要日数の積算は、この記者の残した測量結果無くしては不可能だったはずです。 

*主要四行程~周旋五千里
 道里行程記事に書かれた狗邪韓国から倭王の王治に至る「主要行程」は、倭国内で、主要行程の道里が残されているのは、対海国~一大国~末羅国~伊都国の四行程に過ぎないし、ほぼ、南下の一路ですから、略図に書くまでもなかったようで、道里として主要四行程は「周旋五千里」、つまり直線行程を確認したものの、あくまで、全行程万二千里を按分したに過ぎず、実際の道里は正史に残されていないのです。
 史官にとっては、文章だけが「業」であり、「絵」や「図」は職人の手すさびですから、正史に居場所がなく、あったとしても捨て去られたのでしょう。どうしても、絵を残したかったら、「自画自賛」として「賛」なる詞文を付さなければならなかったのです。どの道、「東夷圖」を書いたとしても、各国間の道里が書き残せるだけであり、正史に綴じ込まれるわけでは無いので、立ち所に散佚したでしょう。

 歩測測量などの探偵技術は、外交軍事使節が未踏地に派遣される時の重要任務であり、それこそ、首をかけて達成したものと想像しますが、あくまで、後日、魏使の帰任後のことであり、以後の往来でどの程度活かされたかは不明です。とにかく、郡から倭まで万二千里の道里は、とうに、帝国公文書に刻み込まれていて、皇帝自身にも訂正のすべがなく、つまり、直接反映されていないのは明白です。もちろん、臣下が改竄するなど、実行不可能です。

*追記 2022/11/14
 よく考えてみると、誰が考えても、海上行程は測量できないし、末羅国から伊都国の行程は、市糴、つまり、交易の経路だったので、所要日数と里数は、早い段階で、帯方郡に報告されていたでしょうから、景初の遣使ー正始初頭の魏使来訪の時期、改めて魏使が歩測する必要はなかったようです。
 書き漏らしていましたが、末羅国の海港は、伊都国にしてみると、北の貿易港であり諸国物資の集積港であり、一大国などに向かう海船の母港でもあったという事です。つまり、当時、絶妙な位置にあって、海港として繁栄していたことでしょう。つまり、世上異説となっている「魏使が偶々寄港したためにここに書かれた」というという「思い込み」、「思いつき」は、論外の落第点で、真っ当な解釈として成り立たないようです。

 当然のことですが、世上、大抵無視されているので、当たり前のことを確認しておきますが、「倭人伝」の道里行程記事は、正始魏使の出発時点には、確定していて、皇帝の承認を得ていたのです。途轍もなく高価で貴重な大量の荷物を送り出すのに、道中が、どんな道筋でどれだけ日数がかかるか分から無くては、出るに出られないし、道中の宿泊地も含め、現地側から引き受けの保証が無ければ、魏使は、出発できなかったのです。

以上

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