新・私の本棚 笛木 亮三 「卑弥呼の遣使は景初二年か三年か」新版 3/3
「その研究史と考察」 季刊 邪馬台国142号 投稿原稿 令和四年八月一日
私の見立て ★★★★☆ 丁寧な労作 ★☆☆☆☆ ただしゴミ資料追従の失策 2023/01/26 2023/08/30
*⒁ 遼東征伐(年表)
ご苦労さまですが、年表記事羅列に格別の新事実は見えないようである。
*⒂ 景初二年か、三年か 結論
氏は、盛大に「迷い箸」して、読者を引きずり回した挙げ句、後世史書を採り入れる問題事項にのめり込んでいる。
所詮、魏志が言う「又」、日本語で言う「さらに」の解釈が、後世になって、一方に偏ったものであり、後世東夷の無教養で軽薄な論者が悪乗りしていても、やはり、本件は、正史「魏志」に戻って、時代相当の教養でもって丁寧に解釈すべきと提言するものである。
氏の丁寧な論考に苦言を呈するのは、氏の歴史観/世界観が、俗説のアカにまみれているように見えるからである。
何しろ、氏が最後に頼りにした論者は、自認しているように、漢文が読めず、漢字辞書を引けず、だけでなく、日本語辞典も引けない、日本語が理解できないのだから、記事の文意を解する際に頼りにするのが間違いなのである。史料批判は、紙の上の文字を論(あげつら)うものではないのである。
また、基本の基本を蒸し返すのは、恐縮であるが、「倭人伝」解釈で、後世史料は、評価するだけ時間の無駄だから、すかさず却下すべきである。
*送達日程の確認
正始魏使のお土産発送が遅くなったことを手がかりにしているが、これほど、異例に盛大な品物が、女王の手元まで問題なく届くということは、なぜ確認できたと思うのだろうか、不思議である。送付行程に沿って、大勢の人員と大量の荷物の送達を予告して、それぞれの現地から、対応可能との保証を得てから発送したはずであり、そのような確認を得るまでに一年かかっても不思議はないのである。
いや、仮に、品物が倉庫に揃っていたとしても、長距離に亘って持ち運びできるように、全数の荷造りが必要である。荷造りして初めて、どれだけの荷物かわかり、何人で運ぶべきかわかるのである。お茶のペットボトルでも、ばら積みだと始末が悪く、段ボール箱に整然と入っているから、トラックの荷台に段積みして運べるのである。
今回は、途中潮風の吹く渡し舟に乗るから、貴重な宝物に飛沫もかかるだろうし、倭地の未整備の街道の急な坂道でも、手分けして人手だけで運べる工夫をしたはずである。陸上輸送なら、人海戦術が有効であるから、心配は少ないはずである。
渡船は、当然便数/艘数が多いし、短い区間を担当する漕ぎ手は、日々交代すれば大して無理にならないから、素人の心配するほど難業ではなかったのかも知れないが、そんなことは、洛陽のお役人に、分かるはずが無いのである。
*⒃ 参考文献一覧
率直な意見は、既に述べた。本件に関して決定的な議論に絞るべきであり、これら雑多な文献を「全部」読まないと意見が出せないというのは、困ったものである。古来、参考文献一覧は論者の責任逃れになっているのである。
*史官の使命の再再確認
言い漏らしたかも知れないので念押しすると、本職の史官が正史を編纂するということは、帝国公文書に書かれた「史実」を正確に、つまり、忠実に語り継ぐのであり、それは、後世の正史編纂、類書編纂とは、本質的に異なるのである。
氏は、先導者の不分明な意見を丸呑みして、史官が史料を丸写しすると卑しんでいるようであるが、とんだ東夷の勘違いである。精選吟味して、正史を構築する際に、原史料に無法に手を入れないのが、史官が殉じる職業倫理なのである。
以上
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