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2023年1月 5日 (木)

私の本棚 9 鳥越 憲三郎「中国正史 倭人・倭国伝全釈」増改3/5

 中央公論新社  2004年6月
私の見立て ★★★☆☆ 広範な学識をもとにした労作 必読 批判部分 ★☆☆☆☆ 2014/05/24 増改 2023/01/04

*「多くの新しい史料」の怪
 「多くの新しい史料」(不明瞭な放言)と臆測していますが、「魏略」はすでに提示しているので、どのような「新しい」陳寿が知らなかった史料が発見されたのか根拠不明です。むしろ、陳寿がそれらの史料を審議した上で、採用せず割愛、ゴミ箱入りにしたと見えます。実地に判断すべきなのです。

 陳寿は、「三国志」の編纂に当たって、当然、自身の編纂方針に従って、史料を取捨選択しているのであり、裴松之補注後の「三国志」は、自身が責任編纂した著作ではない(不適当なものである)と言うでしょう。古来、「蛇足」説話が語られるのは、このような事例を指すものとも思われます。
 このように、著者の論断の前提となる「三国志」観が、根拠不明の先入観、偏見を含んでいることは、大変残念です。

*不適当な「推定」
 劈頭から、国数「百餘国」と「三十国」が「多数」の比喩で、事実でないと、ばっさり断じています。

 しかし、(古代か?)中国では「三」が実数でなく「多数と共に無限を表す比喩」と断定しているのは賛同しかねます。
 確かに、庶民に文字、算数の教育が行き届いていない時代、庶民が数を数えるのは、一,二,三で事足りるとは見識ですが、太古に払拭され、まず、四,五までの時代、続いて十までの時代があったのです。
 中国では、一,十,百,千,万、億、兆と、十倍ごとに変える算数術が成立し、十まで計算できれば、国政運用できたのです。古代に、萬、十萬、百萬、千萬、億(萬萬)と変わりましたが原理は同じです。
 いかに、東夷が無学でも、社会生活を営む限りは、片手、両手の指と付き合わせることはできたと思われます。
 それにしても、本書で『三国志』を論じているのをお忘れと見えます。

*不可解な「地理観」迷信固執
 鳥越氏は、当時の漢族が地理観を間違えていた」と唱えていて、そのために、「倭人伝」の方位は四十五度の偏差を持っていると断じています。これも、不思議な辻褄合わせで、明らかに、フィールドスタディの成果ではないので、氏ほどの教養人にしては、不覚ではないでしょうか。
 しかし、「当時の漢族」に揃いも揃って東夷の地理に関して「地理観」の間違いが存在したとしても、それは「日本列島」に関する「誤解」であり、「倭人伝」劈頭の「帯方郡の東南方向に倭人がいる」という記述は、漢族普遍の偏向「地理観」と無縁と考えます。何か、物証をお持ちなのでしょうか。
 かくのごとく「東南」を語る文明は、方位に関して、四十五度どころでなく、その半分を識別できる地理観を有していたものとみるべきです。
 してみると、ここに提示された「地理観」は、鳥越氏が独自に想起したものであって、実際に当時の漢族が揃って間違えていたという「漢族の地理観」は、実在していたかどうか一切不明なのです。

 どこにも、東夷の地理観を説いた書籍が見られないのに、どうやって、そのような方位感を伝承したのでしょうか。
 そもそも、四十五度ずらす『鳥越氏架空の「漢族」』は、磁石、羅針盤のない時代に「絶対方位感」を持っていたと、不思議な「神がかり」の発想です。
 恐らく、助言者の「神がかり」に追従されたのでしょうが、残念です。
 
                               未完

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