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2023年1月31日 (火)

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ウィキ 「古代史の散歩道」2023/01/28 当記事 2023/01/31

*内乱考 (**改行追加)
 鳥越氏の記述にもいくつか問題点がある。
 (1)鳥越氏は三角縁神獣鏡が出土するのは、4世紀以降と書くが(参考文献7,p.133)、実際は愛知県犬山市東之宮古墳出土の三角縁三神二獣鏡(京都国立博物館蔵)は3世紀である(参考文献8)。また造営時期は3世紀後半頃と推定されている前期前方後円墳の黒塚古墳からは33面の三角縁神獣鏡が出土し(参考文献9)、これらは成分分析により中国鏡と推定されている(参考文献10)。したがって三角縁神獣鏡を否定するのは事実誤認である。
 (2)卑弥呼の時点では「当時はまだ古墳時代に入ってないから(墓は)方形周溝墓であったとみてよい」(参考文献3,p.138)と鳥越氏は書くが、西暦250年前後に箸墓古墳は築造されている。これはほぼ証明されている。したがって、卑弥呼の墓は前方後円墳ではないという断定はできない。
 『卑弥呼の墓を「前方後円墳」と勝手に決めつける一部の意見』と万年好奇心少年は書く(参考文献7)が、これも正確ではない。

*とんだ内輪もめ
 ここで、論者は突如、当方の鳥越氏論調批判を離れて、二件に渡って不思議な「私見」を掲げ氏を批判する。当方は、高名な鳥越氏の著書批判が目的で、無名論者の私見批判の動機はないが身に振る火の粉と理解いただきたい。

*国内考古学談義の乱入
 当方は、「倭人伝」論義専攻で、「倭人伝」の卑弥呼冢論は、『世上出回っている「前方後円墳」比定は、「倭人伝」の文献解釈上不可能である』との主張であるが、論者は、箸墓に誘導しようと参考文献連発である。要するに、当プログの見解は「倭人伝」列国は九州島内としているので、卑彌呼冢が、纏向付近と言う議論は、端から無関係であり、何を言われても圏外である。無縁の衆生である。(中国製銅鏡論は見当違いで論外だが、武士の情けで不問)
 よそごとながら、論者は、頑強な卑弥呼冢前方後円墳論者のようであるが、我田引水の論証が絶無である点を、自覚/理解いただきたいものである。何しろ、論者は、史書としての「倭人伝」を理解できていないのである。

*余談~神頼み
 素人目には、連年の強弁の積み重ねで公費による発掘/科学鑑定が進んだが、「倭人伝」の解明が未達成で、積年の泥沼は、地に足のついていない架空論義である。
 それとも、全域発掘を辞さない、卑弥呼金印探しで、全て京大文学部以来連論と続く遺跡考古学の力で、文献解釈の泥沼を突き抜けて、一発で解決すると神頼みしているのだろうか。

 所属する陣営がそれぞれあれば、それぞれ意見が食い違うのは、仕方ないが、万事の基礎部分で無理をしているのは、素人には、痛々しいのである。ほっとけば良いのに、余計なことを言うのは、当事者の転帰に期待している。

*私見の奔流
 端的に言うと、「西暦250年前後に箸墓古墳は築造されている。これはほぼ証明されている。」とは、一部論者の極めつきの「私見」であって、「証明」にほど遠い状態と見受ける。そのような「私見」によって、当方の合理的な意見を否定するのは、独りよがりと言わざるを得ない。私見者が、何人いても私見に過ぎない。いくら頑固でも、である。
 以下略する。

 引用出典 seit2023 古代史の散歩道

                               以上

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