« 新・私の本棚 外野 ウィキ 「古代史の散歩道」 seit2023 6/6 | トップページ | 新・私の本棚 外野 ウィキ 「古代史の散歩道」 seit2023 4/6 »

2023年1月31日 (火)

新・私の本棚 外野 ウィキ 「古代史の散歩道」 seit2023 5/6

ウィキ 「古代史の散歩道」2023/01/28 当記事 2023/01/31

*延喜式談義
「道里記事の「水行」、「陸行」の日数、月数を、「延喜式」の旅費規定に示された旅程日数から考察して、九州北部から大和に至る道里として、おおむね妥当としています。論証不備は、素人目にも明らかで、子供じみた書き飛ばしです。」(参考文献6)と万年好奇心少年は書く。鳥越氏は説明に「延喜式」を使っているが、古代の移動のための日数の推定に「延喜式」を使うことは許されると考える(参考文献7,p.93,105)。当時は歩くか、海路を取るしか手段のない時代であるから、交通手段を定めれば、要する移動日数に大きな違いはないと考えることは可能であろう。鳥越氏は「延喜式」は論証のために出したのではなく、疑問点を解釈するために、提示しているのである。万年好奇心少年はそれを曲解して批判している。

 論者は、声高々と指導されるが、当方は素人の「一少年」なので、許すとか言えるわけがない。合理的でない、根拠にならないと言うだけである。論者は、鳥越氏共々、軽々に「当時」を論じ「歩くか、海路を取るしか手段」と、移動手段を説くが、三世紀交通手段と延喜式の依拠する「交通手段」には相当な違いがある。
 論者は「大きな違いはない」と「考えることは可能」と逃げるが、公的「交通手段」は存在しなかったと「考えるのが可能」より合理的と思われるから、まずは、「存在した」ことを証するのに続いて、日数道里を、具体的に証した上で、そのような仮定を適用するべきかと思われる。早い話が、歩いて長距離を移動して目的地に生きてたどり着けるのは、途中に食料と水を提供し、寝床を提供する「宿駅」が、設置されているからである。つまり、食料と水が用意されている必要がある。十世紀には、街道があって旅人が往来していたろうが、七百年前の三世紀に、そのような制度があったかどうかである。恐らく、倭人伝で行程が書かれている諸国は、道里が短く数日程度であったろうから、宿舎は置けたろうが、纏向まで、宿舎で埋め尽くすことはできなかったと見える。そうで無いなら、何年頃に、宿舎が整ったと書かれているべきである。

 別に、当方は、許すだのどうの処断する立場にない。ただ、そのような大雑把な論義は、不適当/不合理でないかと述べているだけである。「学術的」に適法か不法かと詰問しているのではない。うまくできるかどうかと言うことだけである。

 いや、当方は、「倭人伝」道里行程主幹部は九州島内の前提であり、徒歩でも往来できたろうというのである。渡し舟も在ったのである。だから、倭人伝に道里行程の記事が続いているのである。難儀な強弁は必要ないので、無理なことは無理なこと。例えば、六世紀あたりまで、不通だったということから、別にどうでも良いが誠意を持って批判したのである。
 とにかく、論者は、三世紀交通手段を、まずは立証する義務があると自覚頂きたいのである。ホラ話を大声で怒鳴られても、同意はしないのである。因みに、隣近所の村と往き来して、物の売り買いをしていたのまでなかったというのではない。日帰り程度であれば、大層な宿場は要らないのである。
 そう、延喜式に、当然のこととして規定が載せられたのは、各地に街道と宿場ができたからである。数百年をかけてのことである。

*延喜式の超時代効力談義
 論者の論法は、諸処に疑問が生じる、本件で、鳥越氏は97ページで、
「三国志」に見る水行・陸行の記事は、役所の公的な旅費規程に基づくものであったとわかる。と、途方も無い断言を行っている。当方は、学術的な部分引用は、鳥越氏の本意に反すると思い、武士の情けで明言しなかった。

 丁寧に言うと、上記引用を文字通り普通に解すると、鳥越氏は、三世紀の編纂者が、遙か後世の日本の「延喜式」の「役所」旅費規程に依拠して「三国志」原本を較正したと主張していることになる。誤解の余地はない。
 因みに、「延喜式」は、古代国家制度「律令」の細則として、十世紀に策定、公布され、Wikipediaによれば、「『延喜式』原本は現存せず、室町・戦国期の古写本もほとんど散逸した。」とあり、国家要件時代は兎も角、武家政権時代に正しく書写継承されたと見えず、三世紀に伝来した証拠も無い。

*不明瞭表現の指摘
 当方は、そのような手ひどい非難を浴びせる趣旨ではなく、全体的な読書感想として、氏が「倭人伝」の道里行程記事は、旅費規程に依拠解釈すべきだと主張されたのに対した批判である。引用が不正確としても、鳥越氏の唱えている「倭人伝」考察の要点に疑問があると言っている。なにしろ、「多い」「大きい」「重い」の表現を極力避けたのである。当方の趣旨を理解頂ければ良いので、別にご意見を変えて欲しいというものでも無い。
 当方の内心を「曲解」と断定されている点だが、どうして、論者は、当方の内心を読み取れるのだろうか。因みに、「曲解」は、本来「知的な曲芸解釈」の妙技である。拍手。

                                未完

« 新・私の本棚 外野 ウィキ 「古代史の散歩道」 seit2023 6/6 | トップページ | 新・私の本棚 外野 ウィキ 「古代史の散歩道」 seit2023 4/6 »

倭人伝随想」カテゴリの記事

新・私の本棚」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

« 新・私の本棚 外野 ウィキ 「古代史の散歩道」 seit2023 6/6 | トップページ | 新・私の本棚 外野 ウィキ 「古代史の散歩道」 seit2023 4/6 »

お気に入ったらブログランキングに投票してください


2024年2月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    

カテゴリー

無料ブログはココログ