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2023年1月 2日 (月)

私の本棚 7 礪波 護 武田 幸男 「隋唐帝国と古代朝鮮」改補 1/5

世界の歴史 6 2008年3月 中央公論新社 単行本     初回 2014/05/22 分割再掲 2020/06/17 増補 2023/01/01
 私の見立て ★★★★☆ 貴重な労作  書評対象部分 ★☆☆☆☆  未熟な用語、安易な構成

〇始めに 「古代朝鮮」論
 本書の主たる守備範囲は、「隋唐帝国」ですが、何故か、時代を遡った「古代朝鮮」が付随しているので、後半部が本論筆者の守備範囲に及んでいます。

*倭人伝考察
 第2部 朝鮮の古代から新羅、渤海へ 武田幸男
 「10 高句麗と三韓 帯方郡と卑弥呼」に、魏志「倭人伝」に関連しそうな考察が展開されているので、ページをめくる手が止まるのです。

*景初三年皇帝拝謁仮説

 著者(武田氏)は、景初遣使が拝謁したものの下賜物は目録を渡されたものと解します。
 当然、景初三年一月一日に明帝が死亡した史実は、ご承知ですから、ひょっとして年少の新帝曹芳が、喪中を顧みず接見したのでしょうか。どのような根拠で、「拝謁」、「接見」を得たと断定しているのか不可解です。

*「画餅」ならぬ餅作り
 因みに、下賜品目の細かい様子は別として、これだけ多種多量の品物を、倭使の僅かな一行で持って帰れというのは、途方も無い無理難題です。倭人の手土産でわかるように、限られた人数の一行なので、全員が背負える荷物は、とても、僅かなものなのです。

 当然、大勢の担ぎ手を付けて、少なくとも、帯方郡太守の治所まで送り届けなければなりません。そのためには、道中の宿駅に、担ぎ手大勢を手配するよう指示して送り継ぐように手配し、山東半島莱州から帯方郡の海港までは、普段往来している海船を必要な数だけ予約し、確保しておくよう指示しなければならないのです。

 そこから先も、帯方郡太守が倭まで送り届けることが確認されていなければならないのです。洛陽の方から期限を指定してしまうと、遅延した場合に、きつく処罰しなければならなくなるので、まずは、郡の請け合う期限を聞かなければなりません。
 各地への連絡に騎馬の文書使を使うとしても、帯方郡から先は、前例のない緊急事態なので即答は得られず、特に、狗邪韓国以南は、渡船の果てに、街道未整備の未開地なので、いくら期限厳守の曹魏制度で急使を往来しても、すべて確約を得て発送できるまでに、少なくとも半年はかかりそうです。「畿内説」の顔を立てようにも、半年どころか一年たっても確答が得られるとは、とても思えないのですが、流すことにします。
 いくら、宮廷倉庫の滞貨一掃でも、それぞれ、倭まで荷運びできるように、それぞれ荷造りしなければなりません。手土産に、飴玉を持たせるようには行かないのです。とにかく、今日言いつけて、明日発送とは行かないのです。

 もし、一部で言われている「新作」説で言うように、前例のない意匠で大型の銅鏡を一から新作するとしたら、試作確認やら、銅材料の手配やらで、これは、新宮殿の飾り物制作で忙殺されていた尚方ですから、百枚制作する期間を度外視しても、一、二年かかりそうなものです。

 「画餅」は、さらさらと書き上げられても、実際に手に取れる、食することができる、腹持ちする「餅」を作るには、厖大な手順段取りが必要なのです。著者は、そのような実際面は気にせずに、あり得ない図式を、心地良く思い描いているようですが、素人が考えても、一行で片付く物でないことは、すぐにわかるのです。 

*安易な生口解釈追随
 生口は、捕虜ないしは奴隷と安易な「定説」追随が明らかとなっています。ここでは、深入りしませんが、大変不可解/不条理で、常識的に信じがたいと申し上げておきます。
 「鳥は宿る木を選ぶ」のですが、氏は、命をかけられるほど確かな木を選んだのでしょうか。

*的外れの出超評価
 著者は、景初遣使下賜物を魏側の出超と評していますが、ことは共通通貨に基づく売買でなければ、物々交換の交易ではないので、時代錯誤、見当違いの低俗、つまり、子供みたいな評価です。

 献上物と下賜物の魏朝での「時価」を「総合」すれば、交易と評価したときの収支が推定できますが、ことは、まるっきり交易ではないので、無意味な議論です。

 倭側としては、献上物の価値(コスト)評価には、危険を冒して遠路はるばる持参した運送費や使節の出張費といった膨大な「経費」を考慮するし、魏朝側としては、帝国の威光を遠隔地に広げるという「広告宣伝」が絶大であるのを考慮すれば、下賜物のコスト評価が変わってきます。そもそも、天朝は物産豊富であり、買い求めるものは何もないのです。
 ついでに言うと、倭人には、貨幣がないので、金額評価は、まるっきり不可能なのです。

 こうして、単純な「物」の価値評価の埒外の評価が適用されますが、それぞれ主観であり、どうしても正当、公平な価値評価とならないのです。

*拭いがたい時間錯誤
 後世の価値観を無思慮に古代に塗りつけるのは、はなから時間錯誤であるし、ここで述べられた「出超」評価は、短評を試みたように、現代の合理的な経済原理を踏まえた評価でもないのです。何とも、子供じみた浅薄な放言であり、著作の価値を下げてしまうと言わざるを得ないのです。

*大盤振舞い
 それにつけても、魏朝下賜物は、その時ことさらに設えたのでなく、恐らく漢王朝以来の宮廷倉庫在庫品であり、後漢末期の長安遷都に伴う略奪を免れた貴重品としても、あえて現代風に言うと、アウトレット(在庫処理)の大盤振舞いかと思います。

*万里の賓客
 とは言え、周代以来の制度として蛮夷受け入れ部門である鴻廬に示された規準では、万二千里の遠隔の新来蛮夷は、最大限の賓客厚遇を施すことになっているので、後世人には、到底理解できない処遇と見るのです。
 時の明帝曹叡は、漢代は勿論、祖父武帝曹操、実父文帝曹丕を越える絶大な偉業を示そうとしていたので、一段と厚遇されたものと見るのです。

 何にしても、詳細な内容と価値評価基準がわからないのに、高名、老練な著者としては、「出超」発言は軽率際まりない、不甲斐ない、勿体ない、残念な「失言」と言えるでしょう。とかく、たちの悪い「失言」ほど、猿まね発言が出回るので、誠に、後世に残る、罪深い事、限りない発言なのです。この場で罵倒に近い「好意的な」評価をお届けするのは、誠に世評の高い、無限に影響力のある著者だからです。

                                未完

 

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