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2023年1月 2日 (月)

私の本棚 7 礪波 護 武田 幸男 「隋唐帝国と古代朝鮮」改補 3/5

世界の歴史 6 2008年3月 中央公論新社 単行本 1997/1/10 中公文庫 2014/05/22 分割再掲2020/06/17 2023/01/01
 私の見立て ★★★★☆ 貴重な労作  書評対象部分 ★☆☆☆☆  未熟な用語、安易な構成

*手軽な書き替え
 このように見ると、本書では、一連の事象を、現代の読者がするりと呑み下せるように滑らかに書き均しています。これは、よく見られる原文書き換えの手口です。魏志「倭人伝」全体が、このように滑らかに読み取れるとすれば、世上の議論は発生しなかったでしょう。まことにめでたいことです。

*さんざめくよそごと
 それ以外にも、著者は、諸処で余言を紛れ込ませて、さながら、ウグイス張りの廊下を歩く感じで、騒々しいことおびただしいのです。

*好太王嫌い~三韓視点の押しつけか
 例えば、346ページにご託宣があります。
 『とくにただ「好太王」というならば、それは内容のない美称だけの略称になってしまいます』

 「内容のない」と得々と説きますが、実は趣旨不明です。著者のような後世東夷の素人考えは求められていないのです。「好太王」は、自国の国土を拡大し国勢を高めた王と言い表していて、立派に「実質」のある美称です。後世局外者が、小賢しくしゃしゃり出る余地はないのです。

 何よりも「好太王」は「広開土王」と同一人物であることが自明です。してみると、著者は、この三文字略称が気に障るのですが、何かその過去に解きがたいトラウマ?でもあるのでしょうか。
 好意的に解釈すると「広開土王」と呼ぶ方が、字面に、領土拡大の業績が明示されているから好ましいと思いますが、そのために、世に広がっている簡明な「好太王」の通称を貶める必要はないと思います。
 とにかく、何でもないところで、何故著者が激高するのか不可解です。安手の韓流ドラマに「食あたり」したのでしょうか。

*韓流正史の怪
 続いて正史「三国史記」と書いていますが、いつから、「三国史記」は「正史」になったのでしょうか。まことに不可解です。
 「正史」は、中国の文化に基づいて書かれた中国の史書であり、蛮夷が一外国(蛮夷の国の意味)に過ぎない「自国」について書き記した史書を勝手に正史と称しても、「正史」と呼べないのです。これは「律令」も同様であり、蛮夷が「律令」、「正史」を策定するのは、自身を「天子」に擬し、「中国」始め、三韓等々、悉くを蛮夷とするので、万死に値する大罪なのです。

 筆者が、三韓に感情移入して、韓地天下の世界観を懐胎して主観が替わって、三国史記を正史と呼ぶなら、「中国」も「日本」も無学の野蛮人となりますが、筆者は、そのような主観遷移の表明を意図しているのでしょうか。

*私見の奔流
 以上のように、中国正史の権威と思えない筆者が、長年の学究生活を通じてその身にまとった揺るぎがたい世界観が、当歴史書物に無遠慮にせり出してくるのが、客観的で誠実な学術書を求める読者には場違いなのです。

 いや、つい、本論筆者の私見が前に出てしまいましたが、「私見を押しつけるのは偏向」と戦闘的な著者が書いているのを見て口が滑ったのです。
 当方は一私人であり、ここに何を書いて私見を押しつけようとしても、世間に一切定見として通用しないのですが、権威者が公刊物で私見を振り回すのは、偏見の押しつけでしょう。

                               未完

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