新・私の本棚 笛木 亮三 「卑弥呼の遣使は景初二年か三年か」新版 1/3
「その研究史と考察」 季刊 邪馬台国142号 投稿原稿 令和四年八月一日
私の見立て ★★★★☆ 丁寧な労作 ★☆☆☆☆ ただしゴミ資料追従の失策 2023/01/26
*⑴「魏志倭人伝」の記述
当記事に対する批判は、大小取り混ぜ、多数の指摘が絞り込めなかった。
再挑戦である。何より、これまで、誰も、笛木氏にダメ出ししていないと見えるので、此の際、嫌われ役を買って出たのである。氏には、当然諸兄姉に義理もあってこう書いたと見え、半ば諦めつつ「教育的指導」に時間と労力を費やした。
*⑶ 景初三年説の「定説」化
率直なところ、この項は、既に俗耳を染めているものであり、氏が、ただただ再録するのは、字数の無駄である。「定説」の公示場所の参照で十分である。小林秀雄氏著作の引用も、むしろ、先哲の限界/誤謬を公示していて、早い話が、本筋の議論に関係なくて無意味である。
*⑷「定説」への異議
要は、「定説」は史実誤認の産物である。
国内史学では、半島の北の遼東郡と半島中部の帯方郡の地理が理解できていない上に、帯方郡から洛陽に至る経路が渡船で山東半島に渡って、以下、街道を行く点が全く念頭に無い。景初中に、魏皇帝特命部隊が、帯方郡を洛陽直轄にしてからは、遼東郡は移動経路に関係無くなっていたのである。戦闘は地平の彼方である。
と言うことで、「定説」の根拠は、とうに消滅していたのである。
この点は、随分以前から、例えば、岡田英弘氏の指摘にあるが、「定説」信奉者の耳には、何か詰まっているようである。
正史史料は景初二年であるから、これを誤謬と否定するには、正史に匹敵する確たる資料が必要である。遙か後世の無教養の東夷が、遼東形勢を何一つ知らないままにくだくだ評して、誤謬と言うのは、無謀、無法である。
*⑸ 二年説への反論
大庭、白崎両氏の異論を引用するが、素人目には、筋の通らない/論理の見えない難癖と見える。
*⑹ 先行史書について
氏は、「先行史書」と誤解必至の呼び方であるが、要は「後代史書」であり、正史と同等の信を置くことができない。つまり無効な意見なのである。ここで難があるのは、氏の素人臭い写本観である。何しろ、天下の「正史」陳寿「三国志」を、「原本は、存在しない」とか「誰も原本を見たことがない」とか、粗暴で稚拙な断定で誹謗する人たちの口ぶりと似ているように見えるのである。暴言は、世間の信用を無くすだけである。
氏は、国内史書の写本を、専ら、寺社の関係者の孤高の努力による継承と見て、現存写本間の異同が目に付いているのだが、先進地である中国では、そのような不定形の写本継承はあり得ない。勝手な改訂、改変も無いし、小賢しい改善も、粗忽の取りこぼしも(滅多に)ない。
正史写本は、各時代の国宝継承の「時代原本」から一流学者が文書校訂を行った写本原本から一流写本工が、新たな「善本」(レプリカ)を起こし、前後、一流編集者が責任校正を行うから、誤写の可能性は、絶無に近い。こと、魏志について限定すれば、明快であり、北宋代、木版印刷の際には、高度なテキストが維持されていたと見える。後世東夷の蛮夷には、想像も付かないらしく、とんでもない風評が飛び交うのである。よい子は、与太話を、やみくもに信じてはいけない。
*辺境「野良」写本考
辺境写本の誤字指摘だが、洛陽原本からどんな写本を経たか不明である。書庫を出た瞬間から写本は低俗化し持参版の正確さは期されていない、無校正写本なので誤字が雪だるまになる。その写本の最下流で、誤字の多い「野良」写本が出回っても、遡って「帝室善本に影響を及ぼすことはない」。
また、宋代木版印刷といっても、南宋刊本でも百部程度で僅少であり、各地有力者は手の届く刊本から高精度の写本を誇示したのであり、刊本が蔵書家に流通するのは、後年、例えば、明代以降である。
氏が以上の説明を理解できないようなら、尾崎康氏に確認したら良いだろう。聞く相手を間違えると、誤読のDNAを注入されてしまう。「三国志」は、歴代正史の中で、格段に、異様なほどに史料の異同が少ないのである。
未完
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