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2023年1月23日 (月)

私の意見 毎日新聞 「今どきの歴史」 最後の脱輪~叶わない神頼みか

                                                   2018/06/18 2023/01/23

 毎日新聞夕刊月一連載記事の2018年6月分は「纒向遺跡(奈良県桜井市)のモモの種 真の年代はどこに?」と題して、時代鑑定を論じた後、次の結末でこの問いに答えられず脱輪して溝に落ちた感じである。

 「IntCalも数年に一度変わり、実年代も変わる」と坂本さんが言うように、C14年代測定はさらなる精度向上の余地がある点で「発展途上の技術」(箱崎さん)という認識が測定する自然科学側にはある。使う考古学の側もその視点が必要だろう。その上で、進化版JCalにより今回の実年代が検証される日を待ちたい。

 ブログ注:坂本さんと箱崎さんは、坂本稔・歴博教授と箱崎真隆・歴博特任助教(共に文化財科学)である。「歴博」は、国立歴史民俗博物館の略称として、当記事で説明済みである。

 心配なのは、IntCalも数年に一度「変わり」、(それに応じて?)「実年代」も「変わる」なる途方も無い放言/暴言である。素人は、科学的知見は不変であって欲しいと願うのだが、この業界、言うならば、『纏向遺跡の年代比定を、倭人伝記事に見合うようにずり上げるという崇高な使命を持った「纏向考古学」』では、頻繁、かつ、気まぐれに「変わる」らしい。なら、先ずは2018年版と時点を明記すべきだろう。

 ここで、「実年代」が変わるという途轍もない理不尽な言い方だが、素人は、「実年代」を実際の年代と解するから、変わるのは不穏とみる。このあたり、言葉が通じない。それは、「精度」と無関係な酔人の戯言と聞き間違えられそうである

 先般記事で、名古屋大中村俊夫名誉教授も「実年代」と称していて、纏向考古学」では「実年代」は推定年代らしい。まあ、不朽・不変の歴史に「今どきの歴史」があるというのであれば、「今どきの実年代」は「刻々」変わるのかも知れない。
 何の事はない。学問の世界にあって、昔ながらの手前味噌である。言うなら、「望むご託宣が得られるまで、おみくじを引き続ける」という不屈の意思の表明なのだろうか。

  更に不穏なのは、目下信奉されているJcalが、「進化版」に置き換えられ打ち棄てられるとの「勝手な」推定である。科学用語で、進化とは旧世代が淘汰され、新世代が生き残る不連続な過程であるから、そのように受け取るしかない。現在の技術の進歩・発展は、早晩遺棄されるものであり、期待できないのだろうか。諸行無常という事なのだろうか。

 と言うことは、箱崎さんは、現在の技術は、多額の費用と多大な労力を費やしていながら、未完成で幼稚であり、早晩駆逐されると予言されているのだろうか。「発展途上」とは、そういう意味である。一個人の意見としても、そこに毎日新聞の権威が託されているのか。

 と言うことで、今後、「纏向考古学」は、「使う」立場で、望む実年代が得られる新技術を開発するのに専心されるようである。それにしても、多額の公費を費消しているのに、失敗は想定内であり、解釈論で曖昧化することで凌いで、「もともと信頼できない在来技術だ」とうそぶくのは、職業倫理の持ち合わせはないのだろうか。

 更に言うなら、何年か先に新基準が公開され、新「実年代」が公開されても、数年すれば、またぞろ「今どき」の「実年代」が登場するのであれば、「最新技術による科学的な測定」を駆使した「実年代」論議は徒労ではないか。

 私見であるが、いかなる現代技術を駆使しても、考古学の考察する遺物の年代判定は、常に、ある程度の不確かさを含む推定であり、不確かさは、時代を遡るにつれ、急速に拡大すると見なければない。

 記者は、今回発表の西暦135~230年あるいは同100~250年ごろという、不確かさを包含した「実年代」に、どのような意義を見ているのだろうか、今回の「実年代」は、『「纏向考古学会」の望む成果ではない、間違った推定だ』と断罪されているのではないか。

 当該事業には、会計監査はないのだろうか。ほかに、もっと有意義な使途はないのだろうか。一介の少額納税者としては、分相応の不満を鳴らしたいのである。

◯一応の結論
 「今どきの考古学」は、時の彼方の史実を語るHistorical scienceの避けえない不確かさに慣れるべきであって、無理矢理、自分の望む歴史ロマンに沿った「実年代」を押しつけるべきではない。それは、おお法螺である。
 それとも、「纏向考古学」は、考古学ではない、科学ではないというのだろうか。

 関係諸兄姉は、ご自分達の俸給が、上司や役員のポケットから出ているのでなく、一般国民の納めた貴重な税金から出ていることに、年に一度は思いをいたすべきだろう。
                                        以上

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