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2023年1月15日 (日)

新・私の本棚 張 明澄 季刊「邪馬台国」第12号 道里行程論 改 1/2

「一中国人の見た邪馬台国論争」 好評連載第二回 梓書院 1982年5月刊
 私の見立て ★★★★☆ 汚泥中の真珠再発見  2022/12/01 部分改訂 2023/01/15

◯始めに~珠玉の論義
 随分遅ればせの書評であるが、当分野では、かくも珠玉の論義が、泥沼に深く埋もれているので、ここに顕彰する。もっとも、連載されていた札付き記事に埋もれていては、端からそっぽを家枯れても、無理もないが。

 張明澄氏は、日本の漢字字典、辞典を読まないが、ここでは、漢字圏を通じ漢字学の最高権威とされている白川勝師の辞書「字統」により謹んで補足させていただく。
「至」の原義は、弓で矢を射て届いたところを言う。つまり、「至」は矢が飛んで行った先であり、そこに行ったわけではない。
「到」の原義は、「至」「刂」であり、「至」で得られた行き先に実際に至ることを言う。

*混乱した解説
 張氏は、カタカナで「到」は、「リーチ」reach、あるいは「アライブ」arriveという。ただし、英単語は、この場で補足したのであり、原記事は、カタカナ語だけであるから、読者が理解できるとは思えない。
 前者は、「どこかに行き着ける」という意味だが、後者は、「アライブ」というだけでは、「到着」、つまり、「どこかからやってくる」という意味になり、「どこかに行く」と言うには、肝心の言葉が足りないので、前置詞を補って覚えるのが英語学習の常識である。
 つまり、「アライブ アット」arrive atで、「どこかに着く」という意味になる。それにしても、氏の思っているように、「リーチ」、「アライブ」は、全く同じ意味ではない。ここでは、「到」には、後者が適しているように見える。
 「至」は、「テイル」ないしは「アンテイル」というが、Tail、Untailと解しても、何を言おうとしているのか、理解できない。
 むしろ、「リーチ」reachに適しているように見える。

 このように、日本語に通暁した中国人である張明澄氏であるが、カタカナ語に無頓着な氏の理解は、当てにならない。これでは、読者の混乱を深めるだけで、言わずもがなである。古田武彦氏の(失敗例の)模倣であろうか。いや、うろ覚えのカタカナ語で、ご当人は明快にしたつもりで、一向に明快にならない点では、似たもの同士である。

*誤解の起源
 張氏は、戦前、戦中の日本時代の台北で「皇民教育」を受けたはずであり、つまり、英語は敵性、使用禁止とした「日本語教育」で育ったのであるから、カタカナ語は倣ったものではなく、恐らく、成人となった後の付け焼き刃であろう。もちろん、伝統的な旧字、旧仮名遣いで育ったのであり、引き合いに出したカタカナ語を日本語として正確に理解し、表現できているとは思えない。

 と言うものの、現代日本人も、中高生時代に、英語を基礎から習ったものの、正確に履修した保証はなく、カタカナ語を見て、原点の英語を想定して理解できるとも思えない。何しろ、就職したときに実生活で必要としない「英語」は、試験に落ちない程度に流すだけだという手合いが、結構多いのであるから、そのようにして世に出ている書き手と読み手が、ともにいい加減な理解しかしていない言葉を論理の中核に据えたのでは、何がどう伝わるのか到底確信できないと見るのである。
 張氏は、当記事を思いつきの随想として書いたわけではなく、編集部も、そのような冗句と解していないはずだから、この下りは、何とも理解に困るのである。

 本論の課題は、古代中国語文の解釈であり、そこに、うろ覚えのカタカナ語を持ち込むのは、根本的に筋が悪いのである。

◯倭人伝分析:各国「条」論義 基本的に「紹熙本」に準拠。句読随時。
 と言うことで、以下、原文に即した地道な解釈に努めるものである。
*緒条
 從郡至倭、…其北岸狗邪韓國、七千餘里。

*對海条

 度一海、 千餘里對海國。
  其大官曰卑狗、副曰卑奴母離。
  所居絕㠀、方可四百餘里、…有千餘戶、…乖船南北巿糴。
*一大条
 南渡一海、 千餘里、名曰瀚海、一大國。
  官亦曰卑狗、副曰卑奴母離。方可三百里。
 多竹木叢林。 有三千許家。差有田地、耕田猶不足食、亦南北巿糴。
*末羅条
 渡一海、 千餘里末盧國。
  有四千餘戶。濱山海居、…好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之。

*伊都条

 東南陸行五百里、伊都國。 官曰爾支、 副曰泄謨觚、柄渠觚。有千餘戶。
  丗有王、皆統、屬女王國、郡使往來常所駐。
*奴条
 東南奴國   百里。   官曰兕馬觚、副曰卑奴母離。   有二萬餘戶。
*不彌条
 東行不彌國  百里。   官曰多模、 副曰卑奴母離。   有千餘家。
*投馬条
 南投馬國   水行二十日。官曰彌彌、 副曰彌彌那利。   可五萬餘戶。

*結条

 南至邪馬壹國女王之所
 都水行十日陸行一月
  官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮
 可七萬餘戶

*お断り
 以上の区分、条題、句読、小見出しなどは、本論限りの便宜的体裁である。
 版本の選択は、本件論義に影響しない。

                                未完

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