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2023年1月31日 (火)

新・私の本棚 外野 ウィキ 「古代史の散歩道」 seit2023 1/6

ウィキ 「古代史の散歩道」2023/01/28 当記事 2023/01/31

◯始めに
 本件は、ブログ記事でもなく、衆知Wiki体裁であるが、一律seit2023署名であり論者として公開したものとして批判させていただくことにした。
 因みに、本件は、誠に人を食ったブログタイトルであり、古手のブログ主は不満であるが、それはこの際言わないことにする。

*批判と反論
 以下は、掲載記事の引用に当方の批判コメント追加であり、古典的喧嘩論法は極力受け流したが、反発は理解いただけるものと思う。
 因みに、氏は、細かく引用先を明示して公開されているが、特に意義がないと思われるので、批評の目的で引用した。

「鳥越 憲三郎」批判について
『「三国志」観~いびつな裁断』(参考文献2)と題して、「前提不明の断定で、用語不明瞭で学術書として大変不適当」(参考文献2)と書いているが、前提不明の断定とする根拠は示されていない。「(裴松之は)目方や山勘で補注行数を決めたのでは」ないというが、鳥越氏は「目方や山勘で補注行数を決めた」とはどこにも書いていない。書いてもいないことによって批判することは当を得ておらず、批判の根拠にはならない。「裴松之が数倍の分量にして補注」(鳥越(2020)、p.74)したというのは、間違っているわけではない。裴松之の注によって、『三国志』は名著になったとする評価もあるくらいである。学術的批判であるなら、どの書の何ページに書かれているなど、最低限の書き方が必要であるが、それも欠けている

 論者は代理人として趣旨理解の教養有無が不明なので以下、順に説明する。
 「題して」と言われるが、小見出しか。タイトルではない。「前提不明の断定で、用語不明瞭で学術書として大変不適当」との引用で、本書に「前提」論拠が読み取れなければ意味不明は明らかである。無理難題は、ご勘弁いただきたい。
鳥越氏は「目方や山勘で補注行数を決めた」とはどこにも書いていない。は「揶揄」であるから原文にないが、「裴松之が数倍の分量にして補注」(鳥越(2020)、p.74)したと明確に示唆しているように、鳥越氏は、史書の価値は「分量」と相関関係があると示唆しているから、映画のトラさんにしゃれめかして「つらい」と揶揄したのである。当然、「学術的」批判ではない。
 これでは、無根拠の誹謗、中傷と解されるからご注意いただくよう批判しているだけである。

「裴松之が数倍の分量にして補注」(鳥越(2020)、p.74)したというのは、間違っているわけではない。
 当方は、「裴松之補注が本文に数倍」の言い分が間違いと言うのでなく質的な点の指摘だけである。字数を数えず内容で勝負しろといっているのである。

『三国志』は名著になったとする評価もある
とは、何とも困った風評頼りで、拙論批判の根拠とならない。主観的な批評の一例では困る。百人に聞けば、何人か同意してくれる人がいるだろう。

学術的批判であるなら、どの書の何ページに書かれているなど、最低限の書き方が必要であるが、
 文の趣旨の斟酌は、文脈の理解が前提であるから、部分引用は、誤解の元である。特に、文意の読みがもつれるときは、本項の工夫が必要である。そうした配慮が理解できないなら、そうですかというしかない。

                               未完

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