新・私の本棚 張 明澄 季刊「邪馬台国」第12号 道里行程論 改 2/2
「一中国人の見た邪馬台国論争」 好評連載第二回 梓書院 1982年5月刊
私の見立て ★★★★☆ 汚泥中の真珠再発見 2022/12/01 部分改訂 2023/01/15
*「張明澄」提言~末羅分岐説
各条の書き出しで、「始めて」、「又」、「又」と三度の「渡海」とわかる。
このように、「順次行程」は、次を「又」で書き始めるのである。
一方、末羅から先の行程は、「又」が欠け、末羅での分岐行程と見る。
卓見であるが、氏の「解法」は、中途半端、不徹底と見える。
張氏は、「到」、「至」蘊蓄を傾けて個々の意義を説明したが、判じ物として不得要領であり、論ずべきは凡庸な学識の持ち主に通じる真意であり、「至」と「到」の使い分けは、想定読者にも通じる明快表現と見える。
*異論表明~伊都分岐説
折角のご指導であるが、趣旨は、大いに援用するが、無批判に追従はできない。
伊都以降の記事で、伊都条は「到」であるが、以下は「至」である。
「到」する伊都は、「丗有王、皆統、屬女王國、郡使往來常所駐」と「列国」として重んじられていて終着地と明記されたと見える。張氏も、「駐」は、偶々通りがかりに足を止めたとの意味ではないと明快である。
*「余傍」に「至る」
それに対して、以下「至」は、伊都起点の「余傍」である。そして、掉尾の邪馬壹は、伊都からの行程・道里に欠ける。
「又」が存在しないので、相次いで、つまり、直線状に移動すると読むのは、「倭人伝」道里記事の記法に外れている。つまり、伊都国からの諸国への道里行程は、放射状に分岐していると、自動的に理解される。
これが、中国語に極めて造詣の深い張明澄氏の提言の眞意であり、素人の東夷にしても、容易に納得できる明快な教えである。
*「至る」と「到る」
漢字学の権威である白川静師の字書により、「至」は行程目的地であり、一方、「到」は行程到着地であって、爾後行程への出発点とされる。記事で、狗邪韓国と伊都国が「到」である。
*邪馬壹行程の意義 残された課題
伊都国から南にあるとされている邪馬壹は「女王之所」であり、「結び目」を解きほぐすと、先行諸国と同列ではなく、道里行程記事結語と見える。(改行した方が良い)
郡太守の文書は、伊都国で受領された時点で、倭王に届いたと見なされる。郡使往來常所駐 とは、郡の文書使は、伊都国に文書送達した後、回答待ちで宿所待機したと明記していると見える。正始魏使なる漢使は、女王に拝謁した「蓋然性」が高いが、邪馬壹に参詣したかどうかは、不明である。もっとも、古来、夷蕃の地で、漢使が、蕃王治で、蕃王と接見することは必須ではなかった。
もちろん、諸兄姉の解釈は多様なので、当記事は、「一解」を強制するものではない。
◯「張明澄」提言の意義~泥の中の真珠
*里程記事新たな一解~エレガントな解釈
以上、筋を通すと、道里行程記事は、最終的に「南至邪馬壹國女王之所」で完結し、全行程の集約として、
[道里] 都[都合]水行十日、陸行一月
[官名] 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮
[戸数] 可七萬餘戶
と要件項目が示され、簡明至極、首尾一貫すると見える。
*部分修正 2023/01/15
当プログ著者は、郡を発した文書使の目的地は、倭人の代表者である伊都国であり、道里行程は、伊都国で完結するとみている。
修正以前の解釈では、邪馬壹国が最終到達地と見ていたため、伊都国との間の道里・所要日数が欠落していると見えたが、修正後の解釈では、伊都国が最終目的地なので、省略してもよいと見えるのである。副次的な影響として、邪馬壹国 の所在は広範囲に置けるので、 比定地諸説に対する、排他的な判断は発生しないのである。
要するに、修正された解釈では、郡から伊都まで一路南下・到達する行程が、極めて明快である。
文献考証の見地から、「都水行十日、陸行一月」は、郡を発し伊都国に到る所要日数であるから、「都」の直前に改行を追加すべきである。
今回、熟読すると、今回取り上げた張氏提言は、誠に明快、整然としていて、先行諸説の中で、榎氏の「放射行程」説と軌を一にしていて、私見ではあと一歩である。直線的な解釈にとどめが刺されているとみるが、これに賛同するかどうかは読者諸兄姉次第であり、本稿は論点提示に留める。
*隠れた本懐
兎角、張氏提言をなべて非難したが、時に、氏の韜晦の陰に透徹した明解な解が披瀝される。支持者に忖度してか、当提言は、突如大きく撓むため、近来に至るも、遂に理解されていないと見えるので、謹んで素人が蒸し返す。
*余傍の深意
本「張明澄」提言を意義あるものとみると、「畿内説」の成立の余地がなくなるので、当記事は、埋め戻し、黙殺の憂き目を見ていると懸念される。
以上
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