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2023年1月12日 (木)

新・私の本棚 丸地 三郎 「魏志倭人伝の検証に基づく邪馬台国の位置比定」 再掲 2/2

 魏の使節は帆船で博多湾に 2012年6月         2020/06/03 再掲 2023/01/12
私の見立て ★★★☆☆ 玉座の細石(さざれいし)

⑵「野性号」の成果と限界
 「野生号」ならぬ「野性号」は、もともと、船体が設計/加工のミスで、重量過大となっていて、さらに、船体吸湿で重量が増えて難航したようですが、本来、渡し舟は、それに相応しい軽量です

 日々、難なく漕ぎ渡れなければ、業として持続できないので、無用の重装はあり得ません。それぞれの区間で運行できる軽量であり、漕ぎ手人数の想定なのです。そして、全区間を、同一船体、漕ぎ手で漕ぎ続けるものでも無いのです。陸上競技分野で言えば、区間ごとに、一日単位で駅伝すれば良いのであり、漕ぎ手は、後退すれば良いのです。一方、交代できない乗客は、休養無しに連日漕行されたらたまったのものではないのです。もちろん、「マラソン」、あるいは、「スーパーマラソン」を、同一船体で、漕ぎ手無交代で、しかも、一定期間で漕ぎ抜けることは、論外なのです。
 本来、実験航海は、単に、何が何でも目的地に着けると実証すれば良いのでなく、実用に十分な荷物や乗客が運べることも、実証するものだったはずです。
 そもそも、実験航海難航の真因は、漕ぎ詰めの疲労の要素も大きいと思われるのです。それは容易に予測できることであり、なぜ、空前絶後の大航海の実証を企てたのか、意図不明と言わざるを得ないのです。
 何しろ、最大の難所区間を漕ぎ抜けて、可能性を「実証」すれば、後は、数日の休養を挟んでも良いので、全行路を完漕できるのは、実証のいらないものです。
 時代相当の配慮をすれば、渡し舟区間で別々に相応の船腹とし、適宜、漕ぎ手交代すれば、長年に亘り維持できるのです。

 いや、当時、「倭人伝」に記録されているように、盛んに南北乗船して市糴していたと言う事は、実験航海しなくても明白であり、曰わく言いがたい感想に囚われます。

 氏は、「野性号」報告が粉飾と感じたようですが、素人目には、関係者の志しを守るために「失敗」との発言を避けていますが、「実際には、このような航行は維持できない」との真意を秘めつつ報告したものと見えます。一度、丁寧に読み返して頂くと良いと思います。
 それを「為せば成る」と勝手読みして、「倭人伝」論に採り入れるのは、俗耳の聞き違いですが、誰も正さないので、報告粉飾に責任が回るのです。

⑶道里論 用語の整理
 倭人伝の里数と日数は表現を工夫が必要です。現代人、つまり、後世蛮夷の無教養なものは、里数は、「距離」、しかも、「直線距離」と決めつけて、「道里」、道の里の意義が取り違えられているから、論議がかみ合わないのです。しかし、倭人伝には、「距離」は登場しないのです。
 用語の時代錯誤は、論者にとって自滅行為です。

*「道里」の起源推定
 書かれている「道里」、二点間里数は、正史「郡国志」や「地理志」の公文書用公式数字であり、必ずしも実測と言い切れない、と言うか、大抵、実測などとしていない里数であるから、実測値復元は、端から無効です。

 まずは、全体道里「万二千里」は、公孫氏からの両郡回復早々に疾駆参内を命じた未見未知の「倭人」の王居処への道里を、新任郡太守が実際の道里と関係無い、途方もなく遠い「万二千里」と洛陽鴻廬に申告したものであり、やって来た使節から、郡の南方拠点狗邪韓国から海を跨いですぐそこと知らされ、既に皇帝の承認を得た道里申告を訂正することはできず、以後、陳寿に至る関係者が、辻褄合わせに苦労した「成果」と見られるのです。いや、そもそも、郡からの文書が「倭人」の郡との交信を代表する伊都国に届いていたので、よく調べれば、「倭人」に至る「道里」、文書送達の「所要日数」は、帯方郡に存在したのですが、新任の郡太守が、慌てて皇帝に報告したので「万二千里」とする「誤解」が伝わってしまったのです。

〇概数論再論
*「余」の効用
 後代感覚で、「道里」、「戸数」の「余」は切捨端数付きと誤解して、足すたびに端数が積もる「妄想」が広がります。今日、概数は、小学校算数の課題ですから、子供でもわかる不合理と疑うべきです。
 端的に言うと、みな概数中心値であり、端数蓄積を考える必要はありません。
 このようなことは、時代性のない、普遍的な事項であり、かつ、専門的な内容なので、字書に、明確に書いていないことが多いのです。

*概数の範囲
 倭地内行程は、百里単位で「余」がないが精測したのではありません。全体道里の計算で、百里単位は影響しないのです。まして、皇帝は、多雨委の内部の傍路諸國への里数に関心はないのです。関心があるのは、倭人に何日で連絡が取れるかという事なのです。

 是非とも、ご一考いただきたい。
 七千里と三千里の足し算で、百里単位は計算結果に影響しない端数です。
 七千里に五百里足しても七千里であり、更に六百里足しても七千里です。
 七千里は上下十㌫の範囲どころか、五千里程度から九千里程度とも思える漠然たる範囲で、百里単位の端数は大海の一滴です。
 七千里付近の五千、六千、八千、九千里がないから、そのようにとてつもなく広い範囲と見ます。

 実際の道里や戸数がわからないから、覚悟を決めて概数表示していますから、実情を知らない後世人が、史料の字面、倒立実像を見て、勝手に上下限界を想定するというのは、とてつもなく不合理なのです。
 まして、算用数字の多桁表示で、当時無視していた一里単位まで勘定するのは、深刻な時代錯誤です。算用数字は、「倭人伝」論義から、排除すべきなのです。

〇まとめ
 氏の取材範囲は、誠に豊富ですが、基礎固めとも言える得られた新規史料の「時代考証」、広義の「史料批判」が不足し、考察が迷走する点が多々見られます。現代人の常識で、ほとんど二千年前の文書史料が、的確に理解できることは「あり得ない」と言う覚悟が不足しているように見えます。もったいないことです。
                                以上

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