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2023年1月25日 (水)

新・私の本棚 番外 サイト記事 塚田 敬章「古代史レポート」~史料としての「日本書紀」補充

 古代史レポート 翰苑の解読と分析     塚田敬章
私の見立て ★★★★☆ 必読  2016/04/01 調整/補充 2019/01/09 04/28 06/25 2023/01/25 2024/10/31

*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。

*追記補充の弁 2019/06/25
 最近、当記事の閲覧件数が増えているので、丁寧に読んでもらえることを期待して、末尾に本音を追加した。面倒を厭わずに最後まで見る人なら、簡単に誤解しないと思うからである。

*失礼のお断り
 当ブログは、基本的に商業出版物ないしはそれに相当するサイト記事が対象
であり、個人の運営するサイトの記事は、収入源とされていない以上、書評に属するサイト記事批判は控えたいところであるが、今回も、ちょっと勇み足をさせていただきたい。

 また、記事タイトルは以上のものであるが、以下の論議は「翰苑」とは、全く無関係である。当ブログ筆者の「翰苑」論考は、他の記事を見ていただきたい。

*合理的な論考
 さて、当該サイトの運営者である 塚田敬章氏は、具体的な物証に基づく、合理的な、つまり、「過去の行きがかりや尊大な感情論でなく、物の道理に基づく思考を信条としている」論客と感じ入った。おそらく、理工系の学問を修め、理工系の職務で実務経験を積まれた方と思うが、誤解であれば、早合点をご容赦いただきたい。

 塚田氏の展開する魏志「倭人伝」に関する(難癖とも思える世上の批判に関する)議論の大筋は、当ブログ筆者と相通じる論理によって、相通じる意見を示されているものと思う。拍手喝采である。

 当ブログ読者諸賢は、未読であれば、是非とも、ご一読いただいて、当方の意見が妥当なものかどうか確認いただきたい。何しろ、当ブログのひっそりした風情に比べて、赫赫たる名声を馳せている先輩サイトなのである。

 ただし、当然ながら、塚田氏の意見全部に賛成しているわけではない以下のご意見に関しては、率直な批判をご容赦いただきたい。
 魏志「倭人伝」に絞り込んでいる当方の守備範囲外とも思われる点で、いくつか、全く筋の通らない「定説」を採用・信奉しているのは、まことに勿体ないことであり、ここでは、賛否を保留したい。

*異議提示
 まずは、中国南朝に遣使した「讃」などの諸王を「書紀」に記載されている天皇に比定している点である。中国の南北朝時代の敗亡した南朝とは言え、秦漢代以来連綿とした「史官」の伝統に基づく「正史」の明確な記事は、歴史考証の基準であり、多分に後世の創造物である「書紀」を正すために利用するものである。
 神功皇后の事跡について、「書紀」の「神功紀」を史料として採用している点は、史料考証してどうなのか、当ブログの圏外なので、定かではない。

*史料尊重
 氏の立場が、日本「書紀」を信頼すべきと言うものであれば、「書紀」の記事そのものを文字通りに解釈する立場から出発し、その立場にとことん「固執」するべきと思うのである。

*無関係宣言
 ご存じの通り推古天皇は、「大唐」に使節を派遣し、その結果、「唐の客」裴世清が来訪したという記事が残されている。そこには、「今回が初遣使であり、これまで、辺境に蟄居していて、中国に天子がいることを知らなかった」ことが、堂々と述べられている。
 つまり、国家元首として、「(後)漢、魏、晋との交流も、南朝(偽)諸国との交流も、全て、自分たちのやったことではない、無関係だ」と明言しているのである。 
 つまり、最近の事歴である「倭の五王」の南朝への遣使は、自分たちの大和政権には関係無いと明言しているのである。 
 これが「書紀」の編纂方針である以上、そのように受け止めるべきではないだろうか。

 それを無視して、
歴史解釈に「唯一頼るべき史料」を、「断片的な中国側史料記事」に合うように切り刻んでは、ずらしたり傾けたりして貼り合わせるような謎解きごっこは、「書紀」を尊重する立場には合わないと思うのである。

 いや、あくまで、個人的な意見でしかないのは、ご了解いただきたい。

*武勲の伝承
 また、神功皇后の朝鮮半島での事歴については、真に受ければめざましい事跡であるが、半島側史書には、そのような制覇をされたとは書かれていないのではないだろうか。(国内史料に不案内なための勘違いであれば、申し訳ないのですが)
 「その点だけ日本書紀を史料として信ずる」というのであれば、当方としては、賛成できないとだけ申し上げるものである。

 もちろん、当方が「賛成できない」とか「感心しない」とここで言うのは、関連国内史料がほとんど読めていない個人の勝手な意見であるから、お耳触りであったら、聞き流していただきたいものである。

再追記:先入観・予断の戒め
 塚田氏は、故古田武彦氏の名高い著書を、うろ覚えで「邪馬台国はなかった」と誤解、誤引用して、「魏志に邪馬台国はなくても後漢書にある」のだがら、「題名から既に間違っている」と速断しているが、古田氏の著書は、正確には『「邪馬台国」はなかった』である。とんだ尻餅であるが、氏は、とんと気にしていないようである。

 聞くところでは、出版社は、いつの時代もセンセーショナルなタイトルを好むものであり、「邪馬台国はなかった」なる明解なタイトルを押し立ててきたが、古田氏は、それでは「後漢書」を無視し不正確なタイトルとなることから、引用符を急遽追加した経緯があったようである。 とかく、「独善」とか、「自己陶酔的」とか、「杜撰」とか、至高の形容詞を言い立てられている古田氏であるが、ここでは、言っていいことといけないことは弁えていて、何とも地味で堅実な、「魏志に邪馬台国はなかった」と限定したタイトル付けである。
 もっとも、口頭では同じ発音なので、伝聞情報は同じになるとも言える。

 ぜひ「食わず嫌い」を抑えて、虚心に同書を読んでいただきたいものである。科学的な批判は、そこから始まるものだと思うのである。

以上

再追記:もったいない話 2019/06/25 2023/01/25
 以下は、大変面倒な話なので、読んで理解いただければ、まことに幸いと思うだけです。
文献解釈の第一歩ということ
 塚田氏の書かれた記事は、広く諸文献の引用を利用して、まことに、信頼できるように思えますが、実際は、諸所で、以下のような誤解丸出しの文が飛び出すのは、もったいないと思うものです。
神功皇后は魏志倭人伝中の卑弥呼を思わせる女傑でした。にわかに夫を失い、子を孕むという大変な状況の中で、神託を受け、国の舵をとり、そして、成功したのです。

 しかし、すぐわかるように、これは「倭人伝」を離れた、誤解そのものです。
 卑弥呼は、生涯独身で、夫につかえたことなどないのです。だから、遺児もいません。
 卑弥呼は、鬼神に事えたものの、政治に与らず、まして、他国を侵略するいくさを率いたことなどなかったのです。
 神功皇后は、後世まで、亡夫の遺骸を乗り越え、遺児の出産を神がかりで数ヵ月に亘って差し止めて、「雄々しい姿」で国軍を率いて、半島東南部を掃討した「女傑」と尊崇された、顕著な存在なのです。
 大事なのは、そのあと、外征部隊を率いて本国に帰還し、留主部隊が奉じた偽りの天皇を討伐して、遺児に至高の皇位を与えたのです。
 これほど、決定的に、つまり、議論の余地なく明確に異なっている両人物のどこが似ているのか、なぜ神功皇后が、卑弥呼を「思わせる」のか、理解に苦しみます。

 まして、「書紀」の強引なこじつけにも拘わらず、実時代には、相当の隔たりがありそうです。「倭人伝」で描かれているのは、三世紀前半、と言うより、三世紀紀央ですが、「書紀」の年代は、大変不確かですが、それでも、「倭人伝」の時代から、随分後世なのは、察することができます。大軍を軍船に乗せて海北に渉り征戦するなど、三世紀の渡船海況からみて、隔世の観があるのです。「倭人伝」に書き込まれている貧弱な国力、それにもまして、貧弱な弁韓/弁辰諸國の形勢からみて、討伐すべき敵対勢力が存在していたとは見えないのです。

*「神功紀」時代考証の試み
 さらに言うなら、それぞれの史料の背景と思われる時代相は、大きく異なります
 「倭人伝」に書かれているのは、北九州に散在/存在する小振りの小国家群で、他地域のことは、ほとんど/実質的に書かれていないのですが、「書紀」は東方に存在する強力な国家の西方遠征軍の指揮官と配偶者を集中的に描いていて、東方には国家経営を托された留守部隊が示唆/想定されています。そのような時代の間には、数世紀に上る発展の歴史が想定されます。

 それぞれの半島形勢を想定すると、三世紀当時、「強力な軍兵を持ち諸国に指示を下していた」帯方郡に服属していた嶺東地域で、「書紀」に書かれたように、広範な軍事活動を展開するのは、帯方郡に対する重大な反逆であり、「親魏倭王」として魏に続き晋に服属した女王には、とてもあり得ない反逆です。時代としてあり得るのは、馬韓を統一した百済の攻撃を受け晋代に入って急速に洛陽の支援を喪って退潮した帯方郡が消滅した後の時代の様相ですが、もちろん、随分後世のことです。
 そのような時代であれば、嶺東の辰韓が、興隆した新羅によって統一されていたので、ことは、「倭」と「新羅」の角逐となりますが、それに先立つ三世紀時点、新羅は辰韓斯羅国であって「倭」と対等ではなかったのです。当初、『新羅は随分弱小だったので海南の大国「倭」に追従した』と見ても、別に失礼には当たらないでしょう。
 と言うことで、神功紀記事を額面通りに受け取って、魏志と連動させるのは、深刻な時代錯誤と言うべきですが、このような錯乱の事態は、「書紀」編者が想定していたわけではなく、完稿後の「神功紀」に「倭人伝」記事をねじ込んだために生じた齟齬であり、現在「書紀」に見える混乱は、「書紀」編者の知るところでは無かったものと見えます。
 世上、魏志引用と見える追記記事は、「書紀」本来の記事と見られているようですが、それでは、「書紀」編者が、一旦完成した神功紀に場当たりの軽率な改訂を加えたと弾劾していることになります。ずいぶん、「書紀」編者を侮べつしたことになります。
 「書紀」は、完成披露の記事以降、数世紀にわたります「日本」の国史の表面からから姿を隠しているようであり、随分後世、今日まで伝承されている写本が世に知られるまで、密かに、私的に写本継承されていたと見えるので、何れかの時点で追記が施され、別の何れかの時点で本文に取り込まれたとも見えますが、何しろ、私的な写本継承の実態は、一切表明されて居ない、つまり、世人に知られていないので、全て臆測なのですが、当初から本文に収容されていて、忠実に継承されたというのも、別の臆測に過ぎないので、どっちもどっちで、随分、議論の余地があります。
 いや、以上は、当ブログの圏外への口出しですが、ご容赦頂きたいものです。
 ただし、そのような考証は、「通説」めいたものですから、多少の誤解が含まれていても、氏の責任ではなく、当記事は、氏への批判ではないのです。

 それはさておき、一般論として、対象文章の文字を一つ一つ追いかけて、それだけで、文意を理解することが、文献史学の基本中の基本であり、この件のように、特に暗号化されているわけでもないのに、「書紀」及び「倭人伝」の文意を読み損なっているのは、何とも、もったいないことです。

*雑音情報による汚染
 このように、不確実な文献史料を、考証不十分なまま議論に取り込もうとすると、その文献史料のおかしたと見える「誤解」に取り込む時の「誤解」が重なり、引用する都度、本来の史料解釈に誤った要素を取り込むことになります。
 つまり、文献解釈は、外部の要素を取り込むことを最小限にとどめるのが最善なのです。
 そのような堅実な解釈を終えたところで、一度、文献解釈が定まったら、そこで「倭人伝」を確定し、他の資料の文献解釈に映るものでしょう。この行き方は、世間の誤解を誘うものですが、一度に複雑なことを「まぜこぜ」にして進めるのが間違いのもとなのです。
 いや、正しく言うと、どこで何が起こって、誤解が発生したのか、その原因を突き止め、排除するのは「困難」、つまり「大変難しい」のです。(わかりやすく言い直すと、人間業では「不可能」(virtually impossible)なのです)

 古来、古代文献に限らず、文書に含まれている情報は、大量の「雑音」に埋もれているのであり、慎重な上にも慎重な文献検討が必要なのです。そのためには、どこの誰が、いつ、どこで、何を見て、どこまで検討したのかわからない、どこまでが情報で、どこが雑音かわからない不確かな外部文書を持ち込むのは、少なくとも、時期尚早なのです。古代史分野、特に、倭人伝の文献検討では、この第一歩がなおざりになっているので、あえて、子供に言うような当たり前の理屈を言い立てているのです。

*「水行」談義~慧眼と惑動
 塚田氏は、道里行程記事の郡を出たところの僅かな冒頭「水行」(と見える)記事で、『魏志全体はどうであれ、「倭人伝」では「水行」は海の移動』と読み取る慧眼を示していて、続いて、狗邪韓国からの移動を「始めて海を渡る」と、これも、希な慧眼を示しているのです。

 一方、何に惑わされてか、たちまち視点を一転して原文を離れて、冒頭「水行」が、「引き続いて半島西岸の沖合遥かを南下する」現実離れした「歴韓国」と決め付けていて、「ご明察」とかけた声を取り消すような勿体ない「思い込み」です。これは、言わば、自傷行為であり、まことに、誠に勿体ない齟齬です。

*玉石混淆
 と言うことで、塚田氏の書かれた文章は、玉石混淆、但し、素人目には、石粒だらけなのが、もったいないのです。
 素人目で、「石粒」に、貴石、準宝石、そして、ダイヤモンド原石が混じっているのを見落としているかもわかりませんが、先にも書いたように、度に多くのことに取り組まないのが、誤解を避ける最善の政策なのです。
 (「玉石混淆」は、もともとは、宝石、貴石に「玉」なる至宝が混じっている豪勢な事態の表現かも知れませんが、定説では、「玉」が、大量の石ころに混じっているという解釈なので、それに従います。)

*再総評
 当方としては、全体評価を落とすわけに行かないので表現を和らげたから、読んでも、意図がわからないと不評なのでしょうが、安直に白黒付けられないのが「実戦」なのです。

この項完

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