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2023年1月 5日 (木)

私の本棚 9 鳥越 憲三郎「中国正史 倭人・倭国伝全釈」増改4/5

 中央公論新社  2004年6月
私の見立て ★★★☆☆ 広範な学識をもとにした労作 必読 批判部分 ★☆☆☆☆ 2014/05/24 増改 2023/01/04

*こじつけの起源~しっぽが見える隠れ家
 この点は、邪馬台国を三世紀の大和にあった古代国家とあらかじめ比定して頑固な予断を形成し、以下、その予断に合うように史料を読み替えているものであり、論証無しに同意することはできないのです。

*壮大な古代ロマン
 以下に現れる末羅国、奴国などの離合集散は、後世史書後漢書の片々たる記載が根拠であり、以下のように堂々と展開された「ロマン」あふれる興亡史は、いくら、お話として面白くても、実証のない憶測で、あくまで、著者の想定であって、史料に確たる根拠があるわけではないのです。
 鳥越氏の想定では、後漢建武中元二年および五十年後の永初元年記事は、九州北部「奴國」入貢であり、又七十年後の「倭国大乱」で、大和邪馬台国に政権が移行したとみています。それ自体は、個々人の「作業仮説」で、それこそ、気ままでも、非難するものではないのです。

*「古代国家」の妖怪
 鳥越氏は、三世紀以前に、陸行三十日を要すると思われる遠隔地を支配する古代国家が存在し、国家間闘争、実は、内戦/内乱を想定していますが、これは、魏朝に入貢した「邪馬台国」を三世紀の大和にあった古代国家と比定したと想定したものであり、各史料をこの比定に帰着するように解釈していて、本末転倒であり、同意できないのです。往来すら困難な、地の果ての敵に派兵・武闘など到底不可能です。
 これは、時代背景無視であり、世にはびこる時間錯誤の一例と思われます。

*後世史料の乱入
 なお、鳥越氏は、道里記事の「水行」、「陸行」の日数、月数を、「延喜式」の旅費規定に示された旅程日数から考察して、九州北部から大和に至る道里として、おおむね妥当としています。論証不備は、素人目にも明らかで、子供じみた書き飛ばしです。而して、漢族「地理観」との合わせ技で、女王国をヤマトに着地させる、曲芸、妙技というか、幻想というか。
 同規定は、平安京中心の街道が整備され、駅制や宿場が整った時代の旅程日数で、とんでもない時代錯誤です。
 九州北部から大和の間に「街道」など影も形もなかったと推定される三世紀の時点に、九州北部から大和に同等の日数で移動できたとは、到底思えないのです。また、延喜式は、七世紀経た十世紀平安時代の東夷の国内規定なので、陳寿は知らないのです。
 「倭人伝」道里記事が、九州北部の伊都国から指呼の間に女王居所があると明記しているのを、見てみないふりなのでしょうか。

*無理を通す仮説強行~道理無し
 引き続き考証すると、旅程食糧補給が絶望的で、宿所不備で野宿覚悟の時代の長期移動を十世紀同様と想定するのは、無理やりの議論で、海上移動も無理です。いつの時代に、瀬戸内海の東西航行が貫通したか史料にないから、三世紀は往来不可能と見え、氏には、重大な立証義務があります。
 以上は、時代背景無視しの暴論であり、時間錯誤です。無理に無理を重ねた比定は、学術的な対応とは、ほど遠いものです。

 鳥越氏が、どのような根拠で、無謀な仮説を提示されたか不明ですが、それにしても、古代史で、だめ出しが一切ない「無法」は淋しいものです。
 
                                未完

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