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2023年1月14日 (土)

新・私の本棚 藤井 滋 『魏志』倭人伝の科学  新釈 2/3

 『東アジアの古代文化』1983年春号(特集「邪馬台国の時代」)  大和書房
 私の見立て ★★★★★ 必読・画期的 2019/03/10 補充2020/03/20 2021/12/26 2022/11/11 新釈 2023/01/13

*数学観の時代錯誤指摘
 さて、続いて展開される「倭人伝」解釈では、「倭人伝」編纂者が知るはずもない「余談にして蛇足」、つまり、「後世や他文明の数学観」が過剰に語られ読者の誤解を誘うと見えます。勿体ないところですが、当方の理解の彼方なので論評しません。
 中国では、後々まで零や多桁計算の思想が備わらなかったため、「原始的」、「不正確」との誤解を与えています。むしろ、それより、中国古代の精緻な数学を語るべきでした。

*「倭人伝」の「余」復誦
 当方が悪戦苦闘した「余」は、藤井氏により難なく展開され、心強くもあり、落胆でもあり、複雑な心境です。一介の素人が思い至る概念が、長年の論争で先例が見つからず、安本美典氏の紹介を見るまで、特に言及がみられなかったので、これは独創/孤説かと思いかけたのです。念のため復誦すると、倭人伝の数字の大半、ほぼ全部に付く「余」は「約」であり、「端数切り捨て」でない概数だから単純に加算できるとの「合理的」な意見です。

*全桁計算の偉業
 全桁の加算は、多桁に加え、随時繰り上げが発生し「途方もなく大巾に」手間取ります。と言っても、笵曄「後漢書」収録の司馬彪「続漢書」郡国志などで、郡の戸数、口数は一の桁まで集計されているので、厖大な統計計算は、(当然)実行可能であったと思わせます。当然、経理計算の銭勘定は「一文」まで計算しますが、それが、文明の根幹だったのです。
 因みに、中国語で「経理」は、「会計計算」でなく「経営管理」であって、一段と高度な業務であり、現代企業の役職では部長格以上の役職です。日中の用語不一致の一例です。
 多桁計算は、算木計算の広がりを思わせますが、桁ごとに算木一組が必要ですから、高度の訓練を受けた計算役を多数揃えて、しかも、長期間かかり付けにすることを要したと思われます。それが、文明の根幹だったのです。

*「はした」の省略
 氏は明言していませんが、「千里」単位の計算で、百里単位は桁違いと無視できるのです。つまり、里単位で、7000、500と計算したのではないのです。(算用数字はなかったのです)

*有効数字の起源
 氏が言う「有効数字一桁」は、当時中国文明が依存していた「算木計算」のためです。ただし、氏が、一万二千を有効数字二桁と見るのは現代人の勘違いで、当時は、あくまで、「一」「万」「二」「千」でなく「十二」「千」であり、桁上がりしても千の桁にとどまっています。
 いや、普通は、算用数字で12,000,10,000で、有効数字の意識は無いから、ずいぶん丁寧な理解で感服するのですが、あと一息です。

*「奇数」愛好説の慧眼
 更に言うと、「倭人伝」に書かれた数値は、もともと不確かな元資料による概算計算によって得られたものか、推定されたものですが、有効数字が一桁どころか、不足していると見える1,3,5,7,10,12の「飛び飛びの丸め」が見て取れます。

 因みに、魏志の他の部分の記事では、正確に得られた数値を元にしていて、必ずしも、同様の推定が成立しない可能性がありますが、圏外記事について論評しません。
 松本清張氏が、「倭人伝の数字に奇数が多い」と見てとったのは慧眼ですが、実は、有効数字0.5桁と言うべき大まかな概数処理のため偶数の出番が少なくなったためです。誰も、指摘して誤解を正して差し上げなかったのは、氏のために遺憾です。
 中国人が「奇」数を高貴な数と見たのは、氏のおっしゃるとおりでしょうが、以上のように、「倭人伝」の概数が奇数に集まっているのは、そのためだけではないのです。担当者が、縁起担ぎで結果を書き換えたというのは、理不尽な冤罪です。

*「奇」の変貌
 確かに、「奇」は、本来、「奇蹟」などに残っているように、「極めて尊い」形容だったのですが、今や、「奇妙」もろとも、誤用の泥沼に沈んでいるのです。
 戦国末期、尾張の英傑織田信長は、嫡子(後の)信忠に「奇妙丸」と命名しましたが、これは、恐らく禅僧を通じ古典に通じた父親が、我が子に「至上の命名」を行ったのです。但し、同時代人にすら、そのように深い真意は理解されず、まして、現代に至る後世人には、まるでその主旨が理解されていないのです。誠に、現代語感で「奇妙」で「残念」な現象です。

*三国志「蜀志」の「奇才」は、絶賛
 半分余談ですが、三国志「蜀志」諸葛亮伝には、裴注も含めて、諸葛亮に対して(褒め言葉)「奇」が多用されていますが、中でも、諸葛亮が没し蜀軍が五丈原から撤兵した後、宣王司馬懿が蜀軍の陣跡を見て、「天下奇才也!」と驚嘆したのは、陳寿自身の用語ですから、当然、絶賛と見るべきなのです。
 と言うことで、陳寿は、中国世界の周辺に「四海」を置いたように、三国志編纂に於いて、純正古典用語を多用していたのです。いや、当然のことでした。

*「奇手妙手」今昔~余談
 余談ですが、当方のなじみ深い将棋の世界では、江戸時代以来、詰将棋集とともに序盤定跡を教える書籍が多数出版され、中には「奇手」を謳うものがありました。ところが、現代になって『「奇手」は、「珍妙」であるから画期的「新手」は「鬼手」と言うべきだ』と言い出した人があって、今日、「奇手妙手」は廃れて「鬼手名手」が支配しています。
 古典回帰して「奇手妙手」が、正しい意味で復活する日は来ないのでしょうか。因みに「妙」も、同様に大変な「褒め言葉」です。一方、「鬼」は、古典では、史料にまつわる不吉な言葉なので、中国語の正しい意味からすると、勿体ない誤用となっています。

                               未完

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