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2023年2月 5日 (日)

新・私の本棚 岡田 英弘 著作集3「日本とは何か」 新考

 岡田英弘 著作集3 藤原書店 2014/01 
私の見立て ★★★★☆ 峨々たる労作 ただし毀誉褒貶交錯 2023/02/05

◯はじめに
 本書では、氏の三世紀観が、煮崩れしていて誤謬が露呈している。是正提案は考えつかない。『「倭人伝」は魏朝記録者の歪曲』と断じられたのに従うなら、「三世紀の事実」は求めようがない。いや別に深遠ではない。
 本書は、岡田氏の業績の集大成である「岡田 英弘 著作集」の一巻であるが、岡田氏ご自身は、論説集大成の労を執ることができず、諸著作を綴じ込んだ形式となっている。従って、氏の見解が、氏自身によって克服されている場合も、旧著は、上書きされることのない金石文の如く温存されているので、読者は、本書を通読して氏の深意を読み取る必要がある。
 そのような変遷の一例として、氏の名言とされている「倭人伝」道里記事評価、つまり、『郡から倭まで万二千里という里数は、陳寿が魏志編纂にあたり、西方の大月氏国と対照し、鏡像として対称の物理的、かつ、象徴的位置に「倭人」を想定したために、一種「虚構」として設けられたものである』という深長な断言が、後年になって「ひっそりと取り下げられている」のだが、かくのごとく燦然とした氏の偉業の最終表現」が、理解されることなく読み過ごされているのは、大変勿体ないことである。二千年後世から知りうるはずのない、陳寿の内心の動機を、氏が勝手に代弁したという「非礼」は、ここでは言わないこととしても、ということである。
 氏の後継者は、氏の前言撤回を押し隠すことなく、厳正に表明すべきと思うのである。
 即ち、史学者としての氏の業績を正当に顕彰するには、氏の最終見解に適正に言及すべきものと思うものである。

壱 資料の輻輳疑惑 (166ページ付近)
 第一例として、氏は、『倭人伝に明記の二回の訪倭紀の報告書が統一されず、陳寿によって、無批判に綴じ込まれたのが、現在の倭人伝の混乱の素因』という。当初表明された「倭人伝」は歪曲された』との視点が、大きく変わっているが、翻意の根拠は示されていない。
 多年に亘る「倭人伝」検証にあたり、先賢諸兄姉が、倭人伝考察の当然の過程として、『行単位で行文を精査し、想定される「出典」を仕分けして、解釈の筋を通している』のに対して、氏は、二件報告書が、「指揮系統の異なりで隔絶して相互検証不能であったため、不統一で交錯した」と納得/総括されていて、さっさと店仕舞いである。

 確認するまでも無く、両次派遣の報告書は皇帝に提出され、公文書庫に収容されたものである。『原文は「門外不出」、「不可侵」、「不可触」』でも、「史官」は、要所に保管された副本を閲覧できるので、随時突き合わせることは容易であり、氏の空想は的外れで、その指摘は空転している。
 凡そ、官僚組織において、報告、審査、指示、記録の流れは、いわば、生命体の血管、神経、血流に相当する生命活動と同様の必須のものであり、絶えることなく維持されているが、それに気づかない後世人は、異常時の変事が史書に記録されているのに着目して、そのような変則事態を常態と見てしまうようである。帝国の活動は、常に健全であり、健全であるから、大国が長期に運営できるのである。そして、変事が募って、変事が当然になれば、国家は崩壊するのである。民間企業も、概して同様の規律で動いているのであるが、ここでは、圏外なので、深入りしない。
 岡田氏が、事態の底流を見過ごしているのは、三世紀当時の官人でないので無理のないものと思うが、史書に記録されているのは、国家歯科医の上層部の視点で概括されたものであり、その概括の際に、当然国家視点にとらわれることはあるだろうが、丁寧な考察によって底流を見通せば、帝国の基礎は不偏不党であることが見えるはずである。私見御免。

*史官の本分
 そのような、往々にして語られることのない自明事項を抜きにしても、「正史編纂に際して、史官は、原史料を編集操作する」との「予断」は、深刻な誤解である。一歩踏み込めば、「徹底的に謹厳な史官は、徹底的に編集操作する」と示唆しているものである。
 誠に惜しいかな、岡田氏は、「史官」の職務、天命に疎いのであろう。ことは、(中国)史学の視点からは、「自明」であるが、ここで再確認すると、「史官」の「史実」は、第一に、帝室書庫に厳正保管されている「皇帝の承認を得た公文書」であり、「史実」を順当に承継するのが天命であって、小賢しい編集是正は「論外」である。原史料たる公文書資料は、いわば「史実」の根幹であるから、批判も是正もせずに、あくまで史料に忠実に史書を編纂して「後世」に伝えるのが『鉄則』である。
 このあたり、時代錯誤の後世東夷は、総じて、史官の責務の本質と重みに 気づいていないようで、困ったものである。正史編纂者の「深意」を知らずに、的確な史料解釈ができるはずがない。

 当時、「世界一」の文筆家である編纂史官が、後世東夷に容易に見て取れるような「不備」に気づかないはずがないのは明らかである。気づいていて、記事のほころびを繕わなかったのは、それが、史官の使命に反するからでは無かったかと思われる。つまり、史官は、公文書史料に改訂を加えず、要点を割愛せず、その上で、最低限の補筆を行うことにより、「史実」の承継に全力を費やしたと見るべきではないだろうか。
 当然、皇帝以下の有司高官も、史官の志が、帝国の権威の証しであると承知していたから、史官の筆に手を出さなかったのである。漢武帝は、司馬遷の執筆に干渉して、自身と実父の帝位一代記を持ち去り、以後執筆を禁じたため、千載どころか、二千年先に至っても不朽の悪名を醸したのである。従って、これほど表立った干渉は、空前絶後となったのである。

*不可侵資料
 公文書史料の基本として、当代、前代に拘わらず天子が認証した公文書は「不可侵」が、当然の大原則である。史官がこれを改竄したとする岡田氏の暴論は、「史論」上論外とせざるを得ないのである。ここで「史論」とは、当然「中国」で蛮夷は含まない。当代天子は、前代天子から、禅譲を受けたものであるから、公文書の「不可侵」原則も、維持しなければならないのである。断り書きしていないが、議論しているのは、三世紀、後漢魏晋代の話である。晋代でも、西晋崩壊後の以降は、論義の外であり、当然、以後の劉宋以下も、同様に維持されたものかどうかは、わからない。又、魚豢「魏略」は、正史たらんとして編纂したものではないから、その思うところは不確かである。
 岡田氏の論考に戻ると、氏は、事ごとに明言されているように「中国」視点を志すものではなく、時に「天子と蕃王の交渉」なる時代錯誤で的外れな創作夢想を採用されているが、倭人伝論においては、論外とさせていただくのである。また、氏は、屡々、豊富な異世界/時代見識を掲げられて、よくわかっていない三世紀中国史料の厳正さに、バラバラと疑念を振りかけられているが、表層的な意見であるから、時代の根幹に妥当な根拠を持たず、風が吹けば消し飛ぶものにとどまっている。勿体ないことである。
 以上、あくまで一例であるが、氏の墜ちられた陥穽は、ご当人に認識が無くても、それ以外の箇所でも、気づかないままにくり返し墜ちていると見て取れる。例えて言うなら、体中、痛々しい打ち身とあざだらけであるが、誰も看護しなかったようである。誠に、誠に勿体ないことである。

弐 大月氏/貴霜国の真相  126ページ
 二例目では、通常、後世東夷の知りうるはずもない、三世紀首都洛陽の政治的な事情を、見てきたように、付加、粉飾されたので、折角の論義を形無しにする蛇足となっている。威勢が良い一刀両断をフル分けているので、少なからぬ読者の強い支持があって、屡々引き合いに出されるが、素人目には、一つの虚構と見える。
 合わせて、陳寿が、史実を改竄したと重大な非難が浴びせられているのである。

*見過ごされた見解撤回
 本書の谷間で、氏は、「魏志に西域伝がないのは、倭人は新規、大月氏は旧聞で陳腐のため」と慧眼わ呈されている。冷静であり、一刀両断などではない。ここで、世上に溢れている陳寿の冤罪を、一凪の如く雪がれたのである。
 本書に、前言撤回発言はないが、岡田氏の業績を総括する本書であるから、これは、決定的翻意、玲瓏晩節と見る。自然、「倭人伝里程は月氏問題に無関係」の判断が示されているのであるが、旧著御免で、該当部分を遡行改訂はされていないから、見かけ上は、一世風靡した武断は健在である。
 と言うことで、当発言は、本来画期的な一大提言であるが、それ以降も、岡田氏の壮語が、赫々たる偉業として語られているのは、岡田氏の本望なのかどうか、素人目には、不審である。

 素人目には、大月氏は、元来匈奴と共に北辺侵略の盗賊で、西域亡命後も後漢西域都督に執拗に反抗し、ついには、西域から全面撤退させた主犯/元凶である。亡命寄宿先の貴霜国を併呑したか、されたか、盗賊国家か否か、大月氏の印綬を引き継いだか、盗んだか、まことにうさん臭いが、魏朝は、とがめ立てせず、奉っている。まさしく、「盗っ人猛々しい」というところである。
 長年、西域から退いていた後漢/魏は、暴れられるとうるさいので、手っ取り早く懐柔したに過ぎない。
 破綻した後漢の西域都督を継承した魏は、西域の入口である河西回廊に至る涼州の反乱、自立を平定できず、後には、涼州と蜀漢の連携で、さらに後退を余儀なくされていたので、西域政策どころではなかったのであるから、「涼州勢力を挟撃する大包囲作戦」として、西方に友好大国ありとの虚構を構えたと見えるが、むしろ滑稽極まる「誇張」の一幕と見える。
 いや、岡田氏は、当然そんなことはとうの昔にご承知のはずである。

 陳寿は、この悪漢に、大層な金印を授けた魏朝の愚行/不名誉の極みを隠したとも見え、岡田氏は、西域事情に疎いため、そのような背景を「軽視」したと見える。

*対等の西域大国「安息」、「パルティア」

 因みに、西方で、漢が唯一敬意をもって接していたのは、その西の安息である。
 何しろ、班固「漢書」西域伝によれば、「パルティア」は、今日で言うイラン高原からメソポタミアにかけての広大な国土に、騎馬文書使が疾駆する街道と宿場を置き、皮革紙に横書きする文字、文書の「法と秩序」の世界であって、その東界に当たる安息メルブ要塞に二万の大軍を常駐していたから、西域に溢れる小蛮夷などではなく、漢は、西域「諸国」で「唯一」敬意をもって「王都」と尊称していたのである。
 ちっぽけな東夷の新参者は、別の意味で対等の筈がない。いや、釈迦に説法であったか。

◯まとめ
 かくのごとく、氏の史眼の理知的で広範な見識を活かす提言を模索したが、氏が知悉した異世界/時代の多大な見識は、氏を、却って三世紀中国の理解から遠ざけたようであり、誠に勿体ない。いや、「史書」を熟読されてはいるのだが、氏の世界観が、当時の中国の現実に適合整合していないので、見当違いの解釈になっていると見て取れるのであるが、それ以上深追いしないのは、武士の情けである。

 それにしても、思いがけない回天の兆し/好機であった第二例は、氏の深意に従い「大月氏」を倭人伝の道里「誇張」、陳寿改竄説の根拠とするのをひっそりと撤回するのが、後継者が氏の晩節/名誉のための務めと考える。
 念のため追記すると、本稿は、氏の偉業を賞賛するものである。
                                以上

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