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2023年2月23日 (木)

新・私の本棚 番外 makoto kodama 「帯方郡から邪馬台国への道程」3/5

 帯方郡から邪馬台国への道程 当初『古代史の散歩道』について NEW!2023-02-22 16:38:47

*批判を続ける
⇒ どうやら貴殿は古代人の能力を過小評価するのは、かなり妄想力が豊かな方のようですね。

*追従頂いても、文法が乱れている上に、用語が、少なからず意味不明なので喜べません。
 「能力」、「妄想力」って何ですか。普通の日本語で無いと、お相手に、と言うか、世間に、伝わらない可能性が高いのですよ。
*当方の提言の大局を理解できないのに、いきなり些細な点を「過小評価」と断定されていますが、根拠無しの主張はするなと天の声に叱られそうです。

 でも古田説信者には、そのような論者が多いのですよ。何故なら、そう考えないと古田説が成り立たなくなるからです。
*「古田説」なる「妖怪」を偏愛されて、潜入捜査でもしているのか。確固たる統計数値管理を確保されているようですが、「妖怪」/「亡霊」の実体は何ですか。貴兄は、格別の熱意で、古田氏の、確か30冊近い著書を読破されてのご意見でしょうが、一般読者にそれを見習えとは、あんまりです。
 因みに、貴兄は、「古田説」論者を大勢知己とされているようですが、「古田説」の情報源なのでしょうか。

 狗邪韓国から末魯国迄の測量ができないとは、海の上の測量は出来ないと言っているのでしょうが、当時の海人族は、測量の為の様々な技術を持っていたはずです。
*「当時の海人族」は、引用符無しの不意打ちで、貴兄の独創の独自用語のようですが、当方は、にわかに、具体的に認識できないので「様々な技術」とどんぶり勘定されても、何のことやら分かりません。「根拠無しの主張はするな」と、叱られそうです。
*大相撲の技ならともかく、「はず」の決め技は感心しません。要するに、そのような技術は、実在しなかったと半ば自認して、損しています。

 なにしろ、実際に『魏志倭人伝』には里程が記されていますからね。
*何が「実際」なのか。先に挙げた趣旨説明が「無理解」でしょうか。自分好みの情報だけ取り出すのは、貴兄が、「密かに」私淑されている古田氏の手口と、丸見えですよ。

https://www.yachting.com/ja-jp/news/how-to-judge-distance-at-sea タイトル不明

*突然、水平線の向こうから担ぎ出されているのは、yachting°comマガジンに掲載された「海上での距離の測り方」なる記事のURLだけの引用のようです(然るべく特定されていないので、確認困難)が、このような形で貴兄の「実際に…里程が記されています…」発言の責任を押しつけられて、記事筆者はご迷惑と思います。いや、多分ご存知ないのでしょう。何の相談も無し(注記無しなので、そのように思われる)に、引き合いに出されて、責任を問われるのは、だれが考えても、不本意でしょう。

 同サイトには、特に権利関係の掲示はありませんが、と言うことは、同サイトの記事は著作権が有効な「著作物」であり貴兄が引用を「ズル」(「スルー?」)したのは無理からぬところですが、このように、第三者の曲解を誘う示唆は、同記事の利用として、「かなり好ましくない」ものと思います。因みに、当方は適法に引用しています。

当記事は、あくまで、海図、羅針盤をはじめとする現代科学機器を備えた練達の船乗りのご意見であり、同一状況での「天の声」として、なぜそれが三世紀の状況に適用できると考えられたか、素人は、理解に苦しみます。三世紀に、海図、羅針盤,六分儀などは一切無かったし、 メートル法/SI単位は無かったし、海里も無かったし、そもそも、当時の里の長さが問われているのに、この「立証」記事は、誠に不可解です。
因みに、三世紀当時、高精度の羅針盤どころか、磁石も無かったのです。
因みに、貴兄が頑として根拠とされるなら、ご自身で記事筆者に、趣旨確認頂きたいものです。本件の論義は、それまで脇に置きます。

[引用開始]
 私たちの目は、対象物との距離によって、次のように見分けることができます。
400mまで:衣服の細部、見慣れた人など  [中略]
2,000mまで:中型の孤立した樹木
4,000〜5,000mまで:道路や家屋など
ただし、これは船から陸地が見えている場合、たとえば島と島の間を航行する場合などに限られる。しかし、外洋では距離の測定はより複雑で、常に誤差が生じる。その精度は、航海士の経験に比例する。例えば、経験上、ボートから1海里離れた物体は、視界の良いところでは手の届く範囲に見えるが、視界の悪いところではもっと遠くに見える。
[引用終わり]

 記事を熟読しても、とても、とても、貴兄が当然とされている「測量」にほど遠い、「あやふやな目測」でしかないのです。いや、「倭人伝」は、陳寿の適切な配慮により、無用な端(はし)た里数を記載せず、千里単位の「どんぶり勘定」なので、このような命がけの精緻な目測は、「はなからいらない」のです。
 ついでに言うと、当時は、遠方から視認できる「道路」、「橋梁」はなく、遠目で見て取れる背の高い建築物も無かったのです。どんな手段で、千里の果ての地形を精測できたのか、ご教授頂きたいものです。(誰か、言葉の通じる人が、回答してください。「スルー」は、ご勘弁ください)
 こうした理不尽な主張は、「倭人伝」原文に、「縁」がない風聞として、早々に引き取って頂きたいものです。

                                未完

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