新・私の本棚 番外 ブログ記事 makoto kodama「古代史の散歩道さんへの返信」
2023/02/18
◯回答の弁
拙記事に関して折角回答頂いたので、ブログ記事の形で回答しますが、随分冷静にみせて、丁寧な、そして、よく読み返した回答に驚きました。貴兄は、古田武彦氏に、随分、格別な情感を抱いているようで、そのような私情に溺れて、書き飛ばし同然の二件を公開されたことを忘れたようですね。これだけ丁寧に書けるのに、何で、粗雑に書き殴ったのか不明です。古田氏の月命日に一献傾けたのでしょうか。瞑目。
また、冷静を装いつつ、くり返し、当方が怒って書いていると、眼前に目撃しているかのように書いていますが、それこそ、事実無根の与太話です。それとも、当家の書斎を盗撮しているのでしょうか。大抵、このような見解は、ご当人の内面の反映に過ぎないのです、それなら、別に盗撮しなくても、お見通しでしょう。
貴兄の周囲では、論争の喧嘩手順で先例があるのでしょうが、喧嘩腰に逃げるのでなく、先例より前に目の前の記事を読んで、やんわりと揶揄されていることが理解できないようです。教育的指導が読み取れないのでしょうか。これでは、折り返し感情論を咎めるしかありません。売り言葉に買い言葉。罵倒と見えるのは、当方の批判を非難ととり、非難を罵倒ととる、貴兄の内面の反映に過ぎないのです。
*道里行程論談義~所詮一解
本題の道里行程論ですが、「倭人伝」が、新来の「倭人」に関する初出の記事である以上、帯方郡から倭に至る行程が本題であり、途中で枝分かれしている行程は、本題ではない、傍線であることは、「倭人伝」の記事から見て当然の理屈であり、それを現代の論者が便宜上どう呼ぼうと、何も非難には当たらないと感じたものです。僅か、十ヵ国に満たない行程諸国ですから、当時の皇帝、高官になったつもりで、冷静に考えれば、順調に読み解けるはずです。何を怒り狂っているのかと口まねしたいところです。
また、「倭人伝」が、郡から倭までの道里行程を、「万二千余里」と「水行十日、陸行一月」と両様に書いているというのは、「倭人伝」の文書主題に関わるものであり、大変高度な文書解釈ですから、貴兄の読解力が及ばないのであれば、それもまた一説と受け止めて頂きたいと考えるものです。誤読したければ、好きなように誤読すればいいのであり、相手の深意を解することなく、名指しで非難するのは感心しないと言うだけです。
また、「倭人伝」の書法は、先行する正史にはない独自のものなので、他に前例を求めるのは賢明ではありません。古田武彦氏が広く用例を捜索することを第一義に立てたので、それに囚われて無批判に追従されている方がいるようで、このように特異な事例にまで、前例を求めるのには難儀します。無批判の古田武彦氏追従は、いい加減にして欲しいものです。
韓国内陸行否定の根拠に上げられている一文は、明らかに、その時点限りの特異な事情だと言うことは明らかです。帯方郡は、漢魏晋代の「郡」であり、治安の維持、街道の保全は、郡太守の責務であるから、異常時にそれが達成できなかったから、殊更、皇帝に報告したものです。どんな事情で、異常事態報告の一文に執着するのか不審です。因みに、郡太守が責務が果たせないと判断されたら、小帝王とも言われる郡太守も、一片の帝詔で更迭されるのですから、手段を尽くして街道を維持したのです。
当方は、「倭人伝」行程道里記事は、景初中に原文が書かれていて、後代の正始魏使の道行記事ではないという「普通の理解」であり、また、平易明解に書かれていて、特に前例を要しないという意見です。それとも、古田武彦氏の教えに倣って、三國志全文を読めとおっしゃるのでしょうか。
それにしても、一片の記事で、正始初頭に街道往来ができなかったと断じて、何の根拠もない、実行不可能と決まっている沿岸航行に、世上の論者がどうして執拗に執着するのか不可解/残念ということです。郡街道が沿岸と並行して海上に設けられていたというなら、然るべき先例が必要です。
*最後のお願い
と言うことで、当方としては、これが最後ですよと、時間をかけて具体的に批判する記事を書いたのに、読んだら意見があるはずの誤字指摘にも、無法な地図でっち上げの非難にも無反応で、感情的な暴言連発だけでは、つけるクスリが無いのかと思われます。ひょっとして、他人の書いた記事は、一切、読み解けないのではないかと心配します。
また、当方は、古田武彦氏が「邪馬台国」と言わないという当たり前のことを指摘しただけです。何も、場違いなことは言っていません。このあたりも、他人の書いたことを読み損なうくせが出ているようです。
定番ですが、同時代の日本人が丁寧に書いた文章が理解できないのに、三世紀中国人が同時代中国教養人のために書いた「倭人伝」が理解できるはずがないのではないかというのが、年寄りの苦言です。
*古田武彦氏所説談義
念のため言うと、当方は、古田武彦氏の山成す所説に対しては、他の論者の諸説に対する意見と同様に、是是非非であり、その一角である「倭人伝」解釈のそのまた一角であって氏の所説の出発点でもある「道里行程記事解釈」は、穴だらけであると具体的に論じています。
*届かない趣旨
貴兄の今回の二文を改めて批判したのは、素人目にも、感情的に書き飛ばしているだけで非論理的であり、実は、タイトルで名指しした批判対象の「古田武彦」説が、まるで理解できていないと見てとったからです。ただし、稚拙な議論と言うのは差し障りがあるので、丁寧に論じたのですが、どうも、少々きつく言わないと届かないのかと釘を刺し、論点が見やすいように、千八百ページを超える手前味噌記事で、始めて文字背景色づけまでしたのですが、趣旨が届いていないようです。
◯まとめ
「暴言は、無能な論者の最後の隠れ家」という諺が思い浮かびましたが、そろそろ、穴蔵から出てきたらどうでしょうか。
ロナルド・レーガン元合衆国大統領の名言に随い、ここでは、論者の知識・経験不足を批判するのは控えることにします。
そうそう、当ブログの筆者は、「プロフィール」に書かれているように、「ToYourDay」であり、ブログ名は「古代氏の散歩道 など」です。「古代氏の散歩道」は、別人の別プログであり、誤爆注意と申し上げます。因みに、なぜ、このように紛らわしいブログタイトルが存在するのか、不可解ですが、取り敢えず、事実は事実として報告します。
以上
*追記 コメント遮断のお詫び
失念していましたが、以前、やりとりしたときに、貴兄が、感情的に滾ってきて、つまらない、喧嘩腰のコメントを連発したので、これでは、引っ込みがつくまいということで、謹んで遮断したものです。今回の記事を見ると、相変わらずのようなので、今後とも、コメントは遮断し続けるものとしましたが、要するに、コメントだと暴言連発になるよう気質のようなので、此の方が、読み返しが入って、まだしも良いと見たものです。
因みに、今回の回答は置くとして、先行する二本の書き飛ばし記事は、貴サイトを汚しているので削除をお勧めするものです。そもそも、今回の発端は、その点にあるのです。
以上
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