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2023年2月23日 (木)

新・私の本棚 鳥越 憲三郎 「中国正史 倭人・倭国伝全釈」肆10/10

中央公論新社  2004年6月
私の見立て ★★★★☆ 労作 必読 批判部分 ★☆☆☆☆ 2023/02/21 2023/05/27 2024/02/11

*「客」に関する重大な勘違い
 ことのついでに言い直すと、鴻臚寺掌客は、「客」つまり言葉ができず礼儀知らずの野蛮人を遇う小役人であり、蛮人慣れしていても外交官」ではありません
 これに対して、「文林郎」は、将来文書管理に従事する若者の初任職であり、軽輩とは言え、未知の蛮夷への使い、行人の職に相応しいものです。
 以上、色々調べましたが、国内史料は何かまがい物の情報(フェイク)によって書かれたようです。あるいは、中国視点の官名/官制を、自大趣味でそのまま取り込んだのかも知れません。(中国王朝が、律令文書の持ち出しを厳禁としたのも無理ないことです)

*国内史料の迷走
 そのせいか、国内史料には、隋使の応対のために、急遽、鴻臚の「掌客」を、高位、中位、下位と三人揃って新設していますが、まずは、「掌客」の意味が、蛮人の接待係であり、つまり、隋使を蛮人扱いしていると知らず、また、「掌客」は最下位職に過ぎないと知らなかったことを隋使に伝えたとは思えないのです。掌客の上司は、相応しい官名/官位で呼ばれるべきであり、一律に「掌客」と名のることはあり得ないのです。現実的に云うと、竹斯、奈良の両所に、所定の権限、予算、人員を与えられた接客組織が必要であり、とても、「掌客」担当者一名では、実務に到底対処できないのです。

 因みに、官制の鴻臚寺」自体も、仏教施設/組織などではなく、半ば野蛮人対応専門部門なので、「鴻臚客館」は迎賓館ではないのです。因みに、この誤解は、随分後まで持ち越されたようですが、隋唐使以外は、新羅、高句麗、百済といった「客」を相手にする「掌客」なので、問題は表沙汰にならなかったのでしょう。

⑶隋書は、倭使同行も百済王都立寄も書いていないのに、国内史料は、隋使同行で百済王都に立ち寄ったとあり、これも、国内史料の誤りとなります。

⑷隋書は、皇帝名国書の持参など述べていませんが、国内史料は倭使が持参していたものが百済国都で強奪されたとしています。「持参していない国書を、立ち寄らない場所で奪われることはない」ので、国内史料の誤りとなります。
 当時の状況から見て、中華の天子が、足下にも及ばない蕃王に、玉璽を印した挨拶状を出して、対話を求めるなど、絶対にあり得ないのです。前世で、魏明帝が倭王に帝詔を提示したのは、一方的な宣告であり、対話などではないのです。

 以上、それにしても、単なる誤記などではないので、国内史料は「史実」公文書記録が無く、隋書を参照せずに浅知恵で創作したと見えます。
 憶測するに、冒頭の「大唐」よばわりから見て、唐新州刺史高表仁来訪の記録が手に入ったので、懸命に焼き直したものと見えます。

 隋の天子に使節を送るのであれば、教養豊かな渡来人を動員して、国書を作文したものと見えますが、先ずは、控えの書面の保存は必須であり、それが国庫に保管されていなかったというのは、どう考えても不可解です。以後の文書交換も、国使の報告も、一切保管されていなかったとすれば、奇怪です。
 また、唐使来訪時の記録の流用にしても、実際に唐使を接待していれば、もうすこしそつの無い改稿ができたはずです。

 要するに、国内記録は、裴清来訪記録の信頼度が、見いだせず、高表仁来訪記録も、ずいぶん虚構の香りが漂っています。

 いや、当方は、素人なので、率直な意見が表明できますが、鳥越氏は、諸般の事情から、そのような指摘ができなかったとも見えます。
 聞くところによれば、国内考古学分野では、先行分野を限定して、分野外に容喙しないという美風があるようですから、鳥越氏も、仕方なく、言及を避け、保身したとも見えます。
 以下略

 同様の齟齬は、国内史料の諸処に見られますが、ここまでで当否を判断できるので、以下相手しません。このように、信頼できない史料に基づく議論は、徒労と思われます。

 鳥越氏は、いずれかの諸兄姉から教授を受けたと見えますが、教授内容の史料批判が不十分であったと見えます。

舊唐書 倭国(日本国)
 氏は、「倭国」は、京師(長安)を去ること一万四千里とあり、倭人伝道里郡から倭まで万二千里との差分計算ができない』のに窮してか、原点が違うとはぐらかしていますが、終点は同一かと問い返したいところです。
 案ずるに、太古以来、「公式道里」は、あくまで、天子の権威の及ぶ「距離」を示す形式的/概念的なものであり、陳寿「三国志」「魏志」が、「倭人」までの公式道里を「万二千里」と書いたのを金科玉条としつつ、魏代「首都」が雒陽であったものが、唐代は「京師」(西安付近)を基点としたので、「万二千里」の領域より一段と遠隔の「万四千里」としたものと見えます。要するに、「公式道里」が実道里でないことは、史実として認められていたものと見えます。
 そのような形式的に示された「公式道里」について、「明細」として提示された道里も含めて、「現地地理」に即して検証することは、史学として、まったく意味が無いと見えます。いや、投石、爆竹、トマトケチャップなどのご寄付は、謝絶します。

以下略

◯まとめ
 以上、鳥越氏の本来の名声を毀損するものではなく、氏が、適切な助言を受けられずに、詰めの甘い本書を世に出したことを悼みました。

 鳥越氏の支持者らしい匿名人物からの非難に対しては、以上のダメ出しは、鳥越氏を支持する「そちら」の役所(やくどころ)と思うものです。異議に対して無分別に攻撃するのは、品が無いのです。それにしても、鳥越氏の著作の是正、集約は、成されていないのでしょうか。

 と言うことで、重複を顧みず、二、三度目のお務めですが、当方の玉稿ダメ出しは、本来お門違いであり、ダメ出し不足は、ご容赦頂きたいものです。

                                以上

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