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帯方郡から邪馬台国への道程 当初『古代史の散歩道』について NEW!2023-02-22 16:38:47
*線路は、まだまだ続く
*「独自で新奇の説」と評価頂いて光栄です。理解できない主張を批判する心境は、気の毒としか言いようがありません。それにしても、困ったときの定番「古田説」頼みは、忠誠宣言としても珍妙なものです。貴兄の住まうこの古井戸の中での意見では、何の役にも立たない「お追従」と見えますから、失礼させて頂きます。
ところで、「倭人が公孫氏を介して、魏朝に報告した」とは何事ですか?
そんな大間違いの読み方をしているのは貴殿だけですよ。
*「貴殿だけ」とは、二人きりの場でと言う事でしょうか。随分屈折した言い方ですが、大丈夫ですか。当方の「仮説」の当否は、貴兄一人に決めて頂く者ではないのです。
*公孫氏は、後漢建安年間から魏景初年間あたりの漢魏制郡太守であり、所管地域の夷人を仕切る義務があったので、取り次ぐも取り次がないも、公孫氏の権限内だったのです。貴兄が、何を元に判断されているのか不明、不可解です。貴兄の知己が、何を知っていて何を知らないかも、当方には不明なので、論義できません。
貴殿の解釈は古田説を成り立たせようとするバイアスが掛かっているから、そんな妙な訳を思いつくわけですよ。
*当方は技術者上がりなので、「バイアス」は大変な褒め言葉です。
*貴兄が広く信者を募っているのであれば、何が言いたいのか意味が通じない可能性が高い、生煮えの独自カタカナ語で無く、「普通の日本語」で語ることをお勧めします。と言いつつ、絶「妙」との賛辞は感謝します。
倭国は長い間公孫氏に邪魔されて、後漢や魏との交易が出来なかったのです。
*「長い間」とは、いつからいつまで、何年間を称しているのでしょうか。数値化していただかないと理解も同意もできないお願いするのは、別に「罵倒」にはあたらないと思いますが、貴兄の辞書は不可解なので断定はしません。
要するに、後漢と言っても、「曹武」曹操が仕切っていた後漢献帝建安年間であり、公孫氏の天下は、二代皇帝明帝曹叡に滅ぼされたので、ほんの一瞬に過ぎなかったのです。
*当たり前のことを言うのも辛いのですが、中原王朝が、仲介抜きで蛮夷と「交易」とは、何とも名状しがたいものです。大丈夫ですか。
*倭人伝を含む東夷伝は、遼東公孫氏が討伐に値したとの趣旨で書かれているので、正確な理解には、十分注意する必要があるように思量します。
*当方の提案では、「公孫氏は、倭人の存在と素性は報告済み」と見たものです。でないと、明帝指揮下の新太守の進言で倭使を招聘しても、洛陽から上洛許可が出るのが早過ぎないでしょうか。もしもし、分かりますか。
ところが景初二年(AD238)魏が楽浪・帯方二郡を奪取して倭国との道を開くと、この時を待ち構えていた卑弥呼は、大急ぎで魏に貢献使を送りました。だから貢献物が生口十人と僅かな布だけと云うしょぼいものになってしまったのです。
*貴兄は、倭使の貢献ならぬ手土産を「しょぼい」と速断しますが、その場にいなかったのに、後世東夷の私見の押し付けは如何なものかと思量します。倭人は、ぶっ殺された公孫氏への献上並に、精一杯豪勢なものを意図したはずです。
「奪取して」、「道を開く」、「待ち構え」とか、何の記録もない事柄で、話を盛り上げるのは感心しないものです。
◯総評 補筆2023/05/28
同氏が、当方が念入りに書き込んだ論説の文字を読み解けないのは、大分分かってきたので、最後のお願いとして、以上の反論を上程したものです。
当方の掲載した記事は、かくのごとく全文記録され、相当長期保存するので、読者各位におかれては、氏の発言が当方の助言への応答として妥当かどうか、個別に検討いただければ、幸いです。匙投げカウントダウン状態です。
なお、今般(2023/05/28)、閲覧回数が伸びたので、苦心の論点を読み過ごされないように、補強しましたが、趣旨は、一切変わっていないので、よろしくご了解頂きたいものです。
最後に確認すると、当方が、氏のブログ記事に、丁寧な批判意見を出したのは、氏においては、知識、教養、文章独解力が不足していると思われるのに、特に関わりのない事項で、特に通暁していない「古田説」を罵倒しているからであり、よくよく言い聞かせても、感情に流されて、耳を貸さないからです。
氏の理解力は当方の責任範囲ではないので、話が通じなかったのは、人のなし得る最善の努力を超えていたからであると独り合点して、締めくくっています。
以上
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