« 新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 2/9 三訂 | トップページ | 私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 2-3/3 再掲 »

2023年4月19日 (水)

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 1/9 三訂

「卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す」 PHP新書 2015/1/16
私の見立て★☆☆☆☆ 根拠なき推定の沼  2017/12/12 補充再掲 2020/07/08 2021/07/20 2022/06/21 2023/04/19

◯はじめに
 以前、本書不買(買わず)判断の背景を三回にわけて書いたのです。
 要は、惹句の部分に、商品紹介として不出来な文句が並んでいたから、「これでは、とても売り物になりませんよ」と書いただけであり、新書編集部のずさんな仕事ぶりへの批判が、半ば以上と思います。

 以後二年半に、結構参照されたので、「買わず飛び込む」と言ってられず身銭を切って購入しました。旧記事抜きで書いて、時に重複、時に途切れますが、ご了解いただきたいのです。
 そして、まだ、諸兄姉に主旨が届いていないようなので、警鐘を鳴らす意味で三掲しました。(2022現在)
 最近、参照されている例が見られるので、少々手を入れましたが、本旨は、一切揺らいでいません。(2023/04/19)

*言葉の時代錯誤
 まず、本項の批判の基準として明確にしたいのは、用字、用語のけじめの緩さ(あるように見えないが)です。

 用字、用語は、同時代を原則とし、同時代と現代で変化があったために誤解しやすい言葉は、初出時に注釈して、時代錯誤を避けるものです。
 近年、「魏志倭人伝は、三世紀中国人が、同時代中国人のために書いたから、時代と目的を認識して解すべきである」との趣旨の、誠に味わい深い意見が提示されているのに気づき、当然至極とは言え、実に至言です。正確に言うと、三世紀当時に「中国人」と言っても、何のことかわからないので、せめて「中国教養人」、つまり、豪族や政府高官、さらには、皇帝その人のように、深い知識と高い倫理観を、少なくとも、十分知っていた人のことなのです。
 「十分」とは、当然、当時の中国語を解し、万巻の古典書籍を読解して、自身の教養としていたという意味で、その少佐として、例えば、「論語」に代表される四書五経を諳んじていることが求められていたのですから、当時の「中国人」が、一般庶民と別種の人々であったことは確実です。これは、「常識」ですが、現代人には、常識ではないので、殊更言い立てる無礼を犯したものです。

 一方、「倭人伝」論考では、カタカナ語や当代風の言葉の無造作な乱用は、読者の世界観を混乱させるので、「断固」避けるべきです。

 当時、適当な言葉がなかったのは、当時の人々の念頭にない、全く知られていない概念だったからであり、当時知られていなかった概念は、当時の人々の動機にも目標にもならないのです。

 時代錯誤の用語を使うのが、どうしても避けられない場合は、丁寧に説き起こして、言い換えを示すべきと考えます。とにかく、読者に冷水を浴びせるような不意打ち(おぞましい「サプライズ」)は感心しません、

*「海路」はなかった
 いや、こんな話が出るのは、本書の表題で「海路」と打ち出しているからです。引用符入りですから現代語と見て取れというのは、読者に気の毒です。
 古代中国語に「海路」という言葉が無かったので、「中國哲學書電子化計劃」の全文検索で、魏晋朝まで「海路」は出て来ません。三国志の魏志「倭人伝」にも出て来ません。念押ししますが、当時「海路」と言う言葉が無かったのは「海路」で示す事柄がなかったからです。

 「海路」があったとすると、それは「路」と呼ぶ以上、官制の街道であり、あたかも、海中に道路を設えたように、経路、里数、所要日数が規定されます。所要日数は、国家規定文書通信の所要期間として規定されるので、保証するために、整備、補修の維持義務が課せられるのです。
 所定の宿泊地、宿場の整備も必須です。宿場は文書通信の要諦であり、維持義務が課せられます。道路維持は理解できても、海路維持の説明がないのが不思議ですが、ないものに説明はないのが当然です。

 と言うことで、本書筆者は、本書の商品価値の要であるタイトルの用語選定を誤っているのです。それは、単に字を間違えたのでなく、「海路」と言う概念の時代考証を間違えているので、まことに重大です。

 これに対して、古代に存在したと思われる「渡海」は、川を渡るように、海の向こう岸まで移動するということです。もっとも、中原世界は内陸なので「海」(塩水湖)はなく、まして、海中の山島もないということで、「渡海」自体は、出番がないのです。
 古来、中原の大河には橋が架かっていないので、街道に渡し舟は付きものですが、特に渡河何里、所要何日とは書かないものです。渡海も、普通は、陸上街道行程の一部とされて、道里、日数を書かないものです。
 また、日程を定めない海上移動は「浮海」と呼ばれます。
 いずれも「海路」の概念とは無縁です。
 賑々しく著書を公開するには、十分な下調べが不可欠です。のような必須事項を、出版社が確認していないのも不審です出版社編集部は、世間の信用とか、恥さらしとかを怖れていないのでしょうか。勿体ない話です。

                         未完

« 新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 2/9 三訂 | トップページ | 私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 2-3/3 再掲 »

倭人伝随想」カテゴリの記事

新・私の本棚」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

« 新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 2/9 三訂 | トップページ | 私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 2-3/3 再掲 »

お気に入ったらブログランキングに投票してください


2024年2月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    

カテゴリー

無料ブログはココログ