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2023年4月19日 (水)

私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 2-3/3 再掲

 『卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す』 PHP新書 2015/1/16
 私の見立て★☆☆☆☆ 根拠なき憶測の山 2017/12/25 補追 2022/06/21 2023/04/19 2023/11/21

*洛陽井蛙の「海洋観」
 因みに、前漢を嗣いだ王莽を打倒した反乱の嚆矢となった赤眉の首謀者は、山東琅邪の海の者であったようだが、後漢創業者の光武帝劉秀は内陸人で、特に海好きではなかったようである。
 蛙の子は蛙である。

*語義変遷
 たかが、「海」と「路」と二文字の話であるが、古代と現在の世界観の違いを露呈するものである。世界観が違えば、同じ文字を使っても意味が違うのである。古代、漢字はそれぞれ「単語」であり、文字の部首に、重大な意義がこめられていたのである。
 古代史論では、丁寧な用語校正が望まれるのである。

*「海洋観」概観
 さて、世上で信奉されている中国史書の用語観であるが、上に示唆しているように、中原の用語観は、各地方にそのまま適用されるものではないはずである。
 一方、「三国志」に先行する史書司馬遷「史記」、班固「漢書」は、中原用語で書かれていたのであるから、海に関する語彙が貧弱で偏っていることは自然な成り行きである。

*帯方郡「海洋観」

 気になるのは「倭人伝」に示されている帯方郡書記の海洋観である。帯方郡の統治領域、今日で言う朝鮮半島中南部は、東、西、南の三方を海(うみ)に囲まれていた。その現実的な「海洋観」は、東夷伝の韓伝記事からもうかがえる。
 但し、倭人の在る山島は「大海」の海中、つまり、巨大な「塩水湖」のポツポツ浮かぶ島々とされていて、半島東西の「海」とは、縁が切れているように書かれている。

 狗邪韓国からの行程で、三度「海」を渡るが、これは、「大海」の一部であり、倭人伝では、一海、翰海、一海と言い換えている。つまり、大河の中州のように見ていたのである。海嫌いの中原人の意見ではない。

 海峡中央部の對海~一大区間は、前後の区間と様相が異なっていたようである。初稿では、古田武彦氏の第一書『「邪馬台国」はなかった』の一大国観に影響されて、島を削るほどの激流だったかと憶測したが、これは、古田氏の大きな勘違いであった。後日調べた限りでは、狗邪~對海、一大~末羅の間は、それぞれ結構荒波のようであるが、對海~一大区間は、却って平静のように思われる。
 「瀚海」は、そうしてみると、綾織りのような細かい波に埋めつくされた様子を形容したと思える。そのような意外な美景が、特別扱いに現れているようである。
 そのように、倭人伝の「海洋観」は、実際に往来していた帯方郡と倭国のものである。かくのごとく、環境が違うから言葉も違うのである。「魏志」全体が、洛陽視点で統一された世界観、用語で統一されていたというわけでなく、東夷伝について言えば、原史料を起草した現地部門、当初は、漢武帝以来の楽浪郡、後漢建安年間以降は、恐らく、新設の帯方郡の官人が上申した内容が、ほぼ、皇帝に上程されたものと見え、これが、洛陽の公文書館に所蔵されていた関連文書を、陳寿が「魏志」「倭人伝」に採用したと見えるので、「倭人伝」の「海洋観」は、帯方郡のものに近いものなのである。
 「倭人伝」の考察において、「三国志」全体や「魏志」相当部分という「大局」を俯瞰することは必要であるが、結局「倭人伝」自体の精査が一段と重大なのである。

 再度言うが、古代史について論じる時は、丁寧な用語校正が望まれるのである。氏の姿勢は、全て、無造作に現代語、地名に置き換える行き方であり、聞き慣れた言葉で俗耳に強く訴えて、見栄えはいいかもしれないが、読者を欺いているのである。

 現代日本人の「倭人伝」解釈が、ほぼ全面的に誤解の泥沼に墜ちているのは、なまじ、原文の文字が、現代人の語彙に嵌まっているように見えるからである。二千年前、当時として最高の教養を要求された「正史」が、楽楽読みこなせるように感じられたとしたら、それは、「二千年後の後世東夷の無教養な視点」の単なる思い過ごし/勘違い/錯覚/幻影なのである。

              多分今度こそ  完

 追記:中国古典書の「海洋観」については、中島信文氏の労作を大いに参考にさせて頂いたが、敢えて、異を唱えている点もあるので、関心のある諸兄姉は、これを機会に原著を参考にして頂きたいものである。

 氏の諸作のうち、下記二巻は、「倭人伝」道里行程記事の理解に、中国史料解釈に必須な基礎知識の多くを失念している「在来論者」と一線を画する、氏ならではの不可欠な卓見がこめられていて、格別に意義深いものである。

 シリーズ一:古代中国漢字が解く日本古代史の虚偽と真実(基礎編)
 シリーズ二:陳寿『三国志』が語る知られざる驚愕の古代日本
以上

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