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2023年4月19日 (水)

新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 5/9 三訂

「卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す」 PHP新書 2015/1/16
私の見立て★☆☆☆☆ 根拠なき推定の沼  2017/12/12 補充再掲 2020/07/08 2021/07/20 2022/06/21 2023/04/19

*淀川実相~余談
 古来、河内湾からの物流の主流は、水甕琵琶湖を上流に持ち、調整池もあって、水量が安定して豊富で、概して緩やかな淀川水系経由と思われます。
 ただし、琵琶湖に向かう瀬田川は、水量は安定していても、渓谷の急流であり、また、当時、現在の京都市市域には河川交通に適した水流が無かったため、物資の主流は南に折れて、今日の木津付近まで運ばれ、そこから奈良山越えで、比較的大きな消費地、奈良盆地に運び込まれたものと思います。

 総じて見るに、素人考えでは、淀川水系は流域の農地開発も早くから進んでいたようなので、曳き船に動員できる農民に不足はなかったろうし、農民にしてみれば、本業以外の格好の副収入ですから、いそいそと参じたものと思います。いわば、持続可能な体制だったのです。

 著者の性癖に倣い、現代用語を持ち込むと、淀川が「ブロードバンド」、大和川は「ナローバンド」と思います。同時代に並行して運用されていても、交通量に大差があったのです。古代史には定量的な評価がないので、一石を投じたつもりです。倭人伝に倣うと、大和川は大道ではなかったのです。

*木津談義~余談
 当時の淀川水系物流終着点だった木津には、往時の繁栄を示すように丘上に銅鏡王墳墓が築かれ、川畔に、地域(畿内)最古と思われる恵比寿神社があります。下流に当たる河内湾岸には、ご神体の漂着を機に起こされた「えびす神社」が幾つか見られますが、淀川上流で、ご神体流出の候補地は、ここしかないのです。

 平城京では、物流の乏しさに呆れた聖武天皇が、河内平野の難波と木津付近の恭仁に遷都を企てられたという挿話からも、平城京の貧しさが偲ばれ、百年を経ずして故郷を捨てた「旧都」の貧しさも知れるのです。いや、以上は、素人の勝手な意見てあります。 

*ロマンの氾濫
 本書の批判に戻ると、この辺り、著者は、止めどないロマンの世界に溺れているようですが、それらの世界は、著者だけしかうかがい知ることのできない、著者の脳内に存在している幻宇宙であって、現実世界とのつながりが示されていないから、学術的な論考と主張するのは、断じて無理なのです。
 特に、史料引用などで、粗忽と言いたいぼろを頻発するのは、自身のロマンに溺れて現実世界が見えないためでしょう。もったいない話です。

*第一章総括 どんでん返しのカラクリ
 第一章の問題点を総括すると、一見、奈良盆地の壺中天に古代国家があって半島、大陸と交流があった』と論じている論考と見えますが、著者の暴走に付いてきた読者を、最後に否定的判断に放りだして、どんでん返しです。
 いわゆる「近畿説」の読者は、ここまで自説の裏付けと思っていたとしたら、読者をだましていて、最後にペロリと舌を出した体です。財布から金を出した読者に非礼です。

 以下の論議も、所詮うわべのもので、著者の真意は逆なのではないかと思わせる、不吉な出だしです。文章作法のイロハに反しているように思います。雑誌募集の懸賞論文でも、ここまで論文として杜撰であると、普通は許されないのです。

                               未完

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コメント

中島信文さん
 ご意見が聞かれなくなって寂しい思いをしていましたが、見放されたわけでもないようで、ホッとします。
 貴兄が論じられている「水」の古典用法については、常々敬服していますので、殊更、異議を言い立てるものではありませんが、倭人伝の解釋については、ちと素人考えを述べます。
 三国志「呉志」は、東呉孫権政権史官が書いた「呉書」をほぼ忠実に収録されているので「海」は、江東流Local語法になっていますが、当方の議論は、陳寿「三国志」の魏志東夷伝限定なので、無関係と見ています。(説明すると、その度に通行人や野次馬に揚げ足を取られるので、武断します)
 倭人伝の「水行」は、正史にて未聞の新語であり、そのため、「循海岸水行」、つまり、『海岸を盾にして進むことを【水行】という』と明確に定義する手順を踏んでいるので、『以下』、つまり倭人伝限定とは言え、【水行】即ち「渡海」が、同義の正史用語となっていると解しています。このようなLocal宣言は、当時の読者に難なく受け入れられたのです。よって、先行用例と関係ないと武断します。
 もう一つのLocal宣言は、倭人伝の里は、郡から狗邪韓国までの官道を七千里とする「道里」のLocal宣言であり、これも、読者に難なく受け入れられたと解しています。よって、Global道里と関係ないと武断します。
 最初の読者、つまり、皇帝及び知恵袋が、上申された陳寿完稿を「否」と判断したら、陳寿「三国志」は、私撰野史にとどまったはずです。
 古田武彦氏に始まる魏晋短里説は、陳寿が、倭人伝独特の世界観を多々含んだ原史料を、改竄することなく、しかして、正史の作法(さくほう)を逸脱しないように苦吟した寸鉄精細語法を読み過ごしたものであり、古田氏の論考に説得力があったために、復って後世に多大な労苦をもたらしたと見えます。
 当方は、「循海岸水行」はLocal用語の定義だけであり、公式行程は、「当然、自明の官道行程』を従するのであり、狗邪韓国で「大海の北岸」に至り、初めて、大海を渡海、即ち【水行】すると明記されていると武断します。
 【水行】が有効なのは、計三回の渡海の後、末羅国から陸行に復し、伊都国を経て女王国に至る行程の對海、一大、末羅、伊都と女王国の五ヵ国、女王国以北、女王国を含まないとすれば、列国四国に限定した方が良いと武断しますが、読者がどんどん引いていくので、長話は控えます。
 それにしても、読者が全て、当ブログを読み尽くしているわけではないので、しょっちゅう蒸し返しが要るのかと反省しています。
 以上、素人なりに、筋の通る理屈を用意しているので、異説はご不快でありましょうが、よろしくご容赦いただければ幸いです。
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>  
> 久しぶりに訪問したら、こんな文があったので、コメントを。
>
> 中国古典で「水」は淡水河川です。狭義では、河水(黄河)のような大河であり、広い意味では、つまり、「普通」は河川です。「水」で海を指すことは、まずないのです。
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>
> この点に関するブログを紹介しておきます。下記に。
>https://ameblo.jp/kokomadekitaka3

  
 久しぶりに訪問したら、こんな文があったので、コメントを。

 中国古典で「水」は淡水河川です。狭義では、河水(黄河)のような大河であり、広い意味では、つまり、「普通」は河川です。「水」で海を指すことは、まずないのです。


 この点に関するブログを紹介しておきます。下記に。
https://ameblo.jp/kokomadekitaka3

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