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2023年4月 8日 (土)

新・私の本棚 「唐六典」「水行」批判と「倭人伝」解釈 三新 3/7

 初稿 2019/07/14 改訂 2020/10/19, 2021/12/27 補充 2022/09/26 2022/11/10 2023/04/08

*「水行」の前提
 水運が行われている河川には、諸処に川港があり、荷船は荷の積み下ろしをしながら川を上下し、荒天時は、随時寄港・退避します。
 「水行」では、大船を擁した地域ごとの業者組合(幇 ぱん)が強力です。日々の船舶運行予定が十分徹底されて、事故や紛争を防いでいたのです。条件ごとに運送料が規定されていて、槽運は船腹と船員を確保し、船荷安全と日程を保証し、船荷補償や遅延償金を請け負ったはずです。
 要するに、細目が規定された「公道」であり、「水道」を避けて「水行」と定義し、「おか」である「平地」つまり「陸」を行く「陸道」も「陸行」と定義したのです。もちろん、用語は、唐代になってにわかに制定したものでなく、古代、恐らく、秦漢代から維持されていたものと見えます。

*規定の起源

 そのように、「唐六典」の規定は、中原帝国の血流にあたるものであり、早ければ周代から運用されていた政府規定が、唐代に至りここに集約されたと見えます。王朝の変転を越えて、数世紀にわたって運用されていたはずです。

*規定外の辺境事情

 五世紀遡った未開の倭は、中国の圏外であり規定はなかったのです。
 後に、統一新羅となった韓国は、帯方郡管内時代、南北漢江と嶺東の洛東江が候補ですが、郡が水運を統御したという文献は見当たりません。
 もちろん、南漢江から洛東江に通じたわけはなく、特に、南漢江上流は、渓谷に嵌入蛇行の急流で航行できないのです。南漢江船便は、早々に陸送に転じて、小白山地の鞍部「竹嶺」を人馬で越えたと見ます。因みに、この経路は、弁辰鉄山の産鉄輸送に実用されたと見えます。

 以上は、現地を実地確認した上での見解ではないのですが、着実に考察すれば、実見に等しいのです。

*「水行」規定と「海運」の無関係
 この「唐六典」規定を、規定のない「海運」に当てはめるのは無謀です
 数字には、全て前提があり、無造作に流用すると大きな間違いを引き起こします。推定するに、大型の帆船を多用して安定した運行が可能な江水水運と、干満などにより、寄港ごとに中断される沿岸航行は全く異質です。

 まして、三世紀の東夷の地では、高度な造船業と運用が必要な帆船が得られず、手漕ぎ船に頼らざるを得ないと見られる半島多島海では、水運業者は成立しなかったと見えます。少なくとも、記録に残っていません。何しろ、帆船の前提である麻の帆布や麻縄が潤沢に手に入らなくでは、帆船航行事業は成立しないのです。
 倭地で、漕ぎ船が想定されているのは、理由があってのことなのです。
 因みに、大型の帆船で、帆布や麻縄の手に入らない漕ぎ船海域に乗り入れるのは、難船で帆を喪ったときに帆を再構築できないので、生還を期せない無謀な航海になります。まして、漕ぎ船海域の水先案内人は、帆船の操舵機能の限界を知らず、また、推進の限界も知らないので、とても、指示通りに侵入できないのです。言うまでもなく、大型の帆船が存在しない海域では、万一の難船の際に、代替の船腹は、いくら金銭を積んでも手に入らないので生還できないのです。

*倭人伝「水行」記事の独自性
 「倭人伝」に書かれている狗邪韓~対海~一大~末羅の区間は、それぞれが千里と里数が明示され、三度の渡海は、乗り継ぎなどの予備日を設定して都合水行十日と明記されています。いや、一字一句明記されていなくても、明快に示唆されていれば、明記に等しいのです。

 「倭人伝」の「水行」は海船による渡海であり、「唐六典」に見られる河川水運の長期間の「水行」と別です。半島に河川交通の記録はないのですが、辺境なので丁寧に説いたようです。史官は、宮廷調理人「庖丁」のように読者にあわせて「味加減」したのです。

 陳寿は、「倭人伝」道里行程記事に「唐六典」相当の「水行」規定を配慮したからこそ、正史外「水行」が、大河の槽運と混同されないように明記したと見えます。

 但し、正史道里は、悉く、当然、自明で、「陸上街道」「陸道」であり、従って、郡から倭に至る行程は、書かずとも、論証不要、自明の「陸道」ですから、道里記事の冒頭に「陸行」の断りはないのです。

 そして、道中三度の渡海は、日数計上するので、『他の区間と区別するために、便宜上、渡海を「水行」と呼ぶ』と、『「倭人伝」限定の例外用語を明記した』のであり、対岸に渡った末羅国で上陸した本来の「陸道」を、言わずもがなの「陸行」と明記しただけです。このあたり、史官の厳格な「規律」に従ったものであり、史官「規律」の存在すら察することのできない二千年後世の無教養な東夷は、沈黙すべきです。

 このあたり、中国で太古以来成立していた諸制度の例外規定として、無理なく沿わせる工夫であり、史官の苦渋の選択を、ゆるりとご理解いただきたいものです。それにしても、「例外」と明記した「例外」に、先例を要求するのは道理を知らないものにしかできない、法外な無理難題であり、くれぐれもご容赦頂きたい。

                                未完

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コメント

 この動画を見てください。
https://www.youtube.com/watch?v=zjmqRfv7pWg

中島さま
 早速提言をいただき、感謝します。

 苦言に苦言を返させていただくと、小生が提言しているのは、
あくまで「倭人伝」(道里記事)と言う特殊な文脈の解釈であり、
「三国志」全体どころか、魏志全体に通じる意見ではないの
ですが、拙考を御再読いただけないでしょうか。

 陳寿は、伝統的な史官の修行を経ていますから、定義無しに
「新規概念」を導入して読者を混乱させ、「三国志」全体に
混乱を波及させるなどと言う破格の書法は取っていないのです。
 まずは、「循海岸水行」と述べて「水行は、渡海のことである」
と前触れして「読者」、つまり、三世紀雒陽の至高の教養人を
憤激させない手順を踏んでいたとみるものです。念には念を
入れると、正史の道里記事は、陸上街道であり、その「常識」
に対して、丁寧に新規事項を加える定義であったと理解する
のが、順当と見るものです。もちろん、この解釈は、一解で
あって、排他的なものでは有りません。

 「読者」は、その場で目前の倭人伝を再読して陳寿の深意
を解したはずであり、現に、倭人伝道里記事が混乱している
との非難は見えないのです。
 いや、そのような正史道里記事の常識を学んでいない、
纏向志向の後世東夷の轟々たる非難は別儀ですが。

 当記事の主題は、『唐六典の「水行」は、倭人伝道里記事
の考証に採用してはならない』とする愚見であり、貴兄は、
「余談」の下りに苦言を呈されているので、愚見に同意
いただけるか、どうか知りたいものです。

 以上、貴兄のご厚意に対して遠慮のない率直な回答を
提示するのは、貴兄の度量への誠意ある敬意の表れと善解
いただければ幸いです。

 因みに、論客が自説の保守、維持に注力するのは当然
であり、それを非難されてもどうにもならないのです。
 貴兄が、論争を説得の手段とお考えでしたら、この
ような最終兵器は、最後の最後まで取って置かれた方が
良いものと愚考します。
 因みに、小生も、「つけるクスリがない」とか「ダイ
ハード」とか、冗談半分の曲球を投げますが、相手を
追い詰めないように、逃げ道を与えているつもりです。

以上

>
> あなたは
>  ”*「水行」規定と「海運」の無関係
>この唐六典規定を、規定のない「海運」に当てはめるのは無謀です。”
>
> と言っていながら、『三国志』の水行については特殊扱いにして
>
> ” 「倭人伝」の「水行」は海船による渡海であり、「唐六典」に見られる河川水運の長期間の「水行」と別です。半島に河川交通の記録はないのですが、辺境なので丁寧に説いたようです。史官は、宮廷調理人「庖丁」のように読者にあわせて「味加減」したのです。”などと述べるのは、
>
> いまだに、自説に凝り固まり真実が見えなくなっているようですねー。 陳寿が独自に「水行」の定義を換えたなどと言うのはあり得ないのは分かっているはずですがね(陳寿が独自に定義を換えたら、当時の読者は理解できない)。
>

 あなたは
  ”*「水行」規定と「海運」の無関係
この唐六典規定を、規定のない「海運」に当てはめるのは無謀です。”

 と言っていながら、『三国志』の水行については特殊扱いにして

 ” 「倭人伝」の「水行」は海船による渡海であり、「唐六典」に見られる河川水運の長期間の「水行」と別です。半島に河川交通の記録はないのですが、辺境なので丁寧に説いたようです。史官は、宮廷調理人「庖丁」のように読者にあわせて「味加減」したのです。”などと述べるのは、

 いまだに、自説に凝り固まり真実が見えなくなっているようですねー。 陳寿が独自に「水行」の定義を換えたなどと言うのはあり得ないのは分かっているはずですがね(陳寿が独自に定義を換えたら、当時の読者は理解できない)。

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