新・私の本棚 「唐六典」「水行」批判と「倭人伝」解釈 三新 4/7
初稿 2019/07/14 改訂 2020/10/19, 2021/12/27 補充 2022/09/27 2022/11/10 2023/04/08
*「唐六典」趣旨
当規定は、唐朝が、軍用物資や税庸の輸送に際して、遅延を防止し、運賃高騰を抑え、一定とするために、一日行程と貨物種別の運賃基準を公布したものです。このような大規模な統制は、中原大国の「物流」の骨格ですが、この全国統制は、唐代に開始したものではなく、遅くとも漢代に確立され、以後、歴代王朝が維持してきた制度をここで総括したものです。また、漢代制度化の専売塩輸送も担当してきたでしょう。
いや、一説によれば、専売制度は、漢武帝が、匈奴制圧のための軍費が、国庫を枯渇させかけたため、それまで、帝室が私用に当てていた専売塩収入を、国庫に移管したものと見えます。つまり、秦代にも、塩専売は行われていたが、帝室の私的な収入であったので、正史に書かれていなかった可能性があるということのようです。
*細目確認
時代用語で言う「小舡」は、軽便小型帆船であり、時に、不審な「ジャンク」とされていて、随分古くから沿岸や川筋を帆走したとしても、ここに規定されているような、大型川船が、ほぼひっきりなしにに往来するような大河の「水行」による大量輸送には不向きで、里数、運賃の統制外となっていたと思われます。
川船の海船転用は、安全面も関係して、困難(不可能)です。
ちなみに、これら大河中下流には、遙か、遙か二十世紀に到る後世にも橋掛ができなかったので、南北「陸行」は、所定の渡し場、津(しん)から渡船渡河しました。もっとも、いくら大河でも、陸行日数や里程には計上しなかったものです。
ちなみにの二乗ですが、近代的な大都市が、大河や入り江の両岸に分かれて展開していて、両岸の連絡が渡船に頼ったのは、現代になっても、各地に残っていて、オーストラリアのシドニーは、深く入り江に分断されていて、架橋が困難であったため、渡船(フェリー)交通が残っています。
*時代確認
ここで復習すると、ここで、「唐六典」規定と対比しているのは、三世紀、しかも、中原世界では無く、中華文明域外である「外国」、魏志「倭人伝」の世界、つまり、朝鮮半島とその南方の九州北部の話であり、併せて、その間、海峡を三度の渡海船で越える破格の行程も含めています。
と言う事で、「倭人伝」の視点からすると、書かれている里数や運賃の数字は、別世界のもので参考にならないのです。時代の違いだけなら、三世紀を推定することもできそうなのですが、地域事情/インフラが違うため、まるで参考にならないのです。この点、よくよく確認いただきたいものです。
「唐六典」は、八世紀、奈良時代で、後期の遣唐使が荒れ狂う東シナ海を大型の帆船で越えて、寧波などの海港に乗り付けて上陸、入国し、官道を経て唐都長安に参上した時代ですから、まさしく隔世の感があります。
何しろ、後期遣唐使は、目的地を外して漂着するのはざらであり、難破して着けなかった事も珍しくないのです。遡って、初期遣唐使は「新羅道」とされている内陸街道を移動した上で、最後、古来渡船が活発に往来していた半島西岸から山東半島への渡海など平穏な行程を利用し、海上移動は、せいぜい二日間程度の極めて短期間で、したがって、荒天も避けられたので、随分、随分危険が少なかったのです。何しろ、黄海は、内海も同然で、ほとんど、難船、漂流などの危険はなかったのです。まして、この区間は、帆船が早期に導入されていたので、少数の漕ぎ手がね入出港の際の操舵の役で起用されるだけであり、手軽に運用できたのです。
安全極まりない「新羅道」を利用できなくなったのは、恐らく、百済支援で新羅を敵に回した事が、長年、切れそうで切れなかった両国の関係を、決定的に決裂させたのでしょうが、まことに、もったいない話です。この部分、一部、蒸し返しになりましたが、念のため書き留めます。
それは、さておき、そんな風聞の聞こえる「唐六典」時代の「日本」の「水行」事情は、奈良時代の国内資料を見なければ、よくわからないのですが、「倭人伝」専攻の立場では、五世紀後の資料の考察は手に余るので、ご辞退したいのです。
未完
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