新・私の本棚 「唐六典」「水行」批判と「倭人伝」解釈 三新 5/7 資料編
初稿 2019/07/14 改訂 2020/10/19, 2021/12/27 補充2022/09/26 2022/11/10 2023/04/08
◯資料編
▢唐六典 卷三·尚書戶部 中国哲学書電子化計劃データベース引用
(前略)物之固者與地之遠者以供軍,謂支納邊軍及諸都督、都護府。
皆料其遠近、時月、眾寡、好惡,而統其務焉。
凡陸行之程: 馬日七十里,步及驢五十里,車三十里。
水行之程:
舟之重者,溯河日三十里,江四十里,餘水四十五里,
空舟 溯河 四十里,江五十里,餘水六十里。
沿流之舟則輕重同制,
河日一百五十里,江一百里,餘水七十里。
(中略)河南、河北、河東、關內等四道諸州運租、庸、雜物等腳,
每馱一百斤,一百里一百文,山阪慮一百二十文;
車載一千斤 九百文。
黃河及洛水河,並從幽州運至平州,上水,十六文,下,六文。
餘水,上 ,十五文;下,五文。
從澧,荊等州至楊州,四文。
其山阪險難、驢少虛,不得過一百五十文;
平易慮,不得下八十文。其有人負處,兩人分一馱。
其用小舡處,並運向播、黔等州及涉海,各任本州量定。
ちなみに、「步及驢」の「歩」は、農地測量に起用される一歩(ぶ)即ち六尺(1.5㍍)などでは無く、痩せ馬、つまり、人夫の荷運びと言う輸送手段を言います。車(荷車)の里数が少ないのは、荷車自体が、大変重いためでしょう。登り坂になると、荷車の負荷が途端に大きくなるためでしょう。実務上は、後押しを入れて乗り切ったのでしょうが、後押しは、タダではないのです。
「驢」(ろば)を規定しているのは、荷役に、主として驢馬を起用していた事を示しています。馬は、「獰猛」で荷役に適さず、また、騎馬疾駆の軍用に大変貴重であることから、荷役に、あまり向いていなかったので、専ら、従順な「驢」を利用したのです。
このあたり、牛馬すら、満足にいなかった三世紀の倭地の東夷では、思い至らなかったでしょうが。
「駄」、つまり本物の荷役馬(荷駄馬)、「驢」の荷は、二人で分けたようです。
そうそう、空船の回送にも里数規定があったのです。
と言う事で、全国一律というものの、「小舡」の利用や「渉海」(短い渡海)も含め、地域事情に応じた調整は、例外が許容されていたのです。
何しろ、全国制度から見たら「はしたのはした」ですから、目こぼししたのです。何しろ、ほぼ全ての「河川」は、橋が架かっていなかったので、渡し舟は、当然、必要不可欠だったのですが、「はした」なので道里、つまり、行程里数に数えなかったのです。
未完
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