新・私の本棚 古田武彦 「倭人伝を徹底して読む」 里程・戸数論 4/5 追補改訂
大塚書籍 1987年11月 ミネルヴァ書房 2010年12月 2020/10/30 追補改訂 2023/04/21
私の見立て ★★★★★ 必読書 批判するなら、まず読むべし
*領域外形は不要
領域外形を表現する際には、混乱を避けるために、東西里、南北里を書き出しますが、これは領域の「国力」とは無関係です。領域の広がりは、中心地から四囲主要地の道里を知れば十分ですから、滅多に起用されないのです。
現代人偏愛の地図は、農業本位の古代のメシの種にならず無用です。
*「倭人伝里」の物差し
と言う事で、当記事到着点は、『「倭人伝」里程解釈に、「魏晋朝里」も「倭人伝里」も不要で、実態把握していた郡狗七千里の「物差し」で十分』と言うだけです。持ち運びできない物差しと言うなかれ、どの道、四百五十㍍に上る物差しなど一切実用にならず、里を三百分割して、歩を取り出す事などありません。
〇国力指標としての戸数
「戸数」は、行政最小単位である「戸」の数を言うのであり、戸籍台帳を積算・集計すべきものです。戸籍は、戸の家族構成の明細を言いますが、ここでは、戸に付与された地券を併せています。つまり、戸は、家と耕作地もあわせて言うことにしています。
それぞれの国で、戸主に耕作地が付与され、それは、直裁的に収穫量と戸に対する貢納(納税)義務を表現しています。
国にとって、戸数は、各戸の動員可能兵力を示す意義があります。大抵は、大家族ですから、まずは、一戸あたり最低一名、戦時には、更に追加した軍務、徴兵が可能と明示していることになるのです。
*服従の形象
君主から見て、戸数は、国内の動員兵力、農業生産を示すと共に、基礎となる戸籍を把握し、宗主国に服従を示すときに献呈するのです。戸数が示されないときは、服従関係が成立していないという事です。
魏志に表示されている戸数は、魏領内の該当地域の農業生産を示すものであり、各地領主の格付け、上納の多寡を示すものでもあります。漢代以来、耕作物自体を貢納する事は廃れて、地元で耕作物を売却した上で銭納していましたから、戸数は銭納金額の指標になっていたのです。
倭地に銭納はなく、牛馬の労役がないとくると、各国は収穫物を楼閣まで、人出で担いで行ったのでしょうか。
*蜀志、呉志の戸数不記載の意義
古田氏は、三国志蜀志、呉志に戸数記事が乏しいと指摘していますが、両国は魏に不服従で戸籍を献じず、魏制戸は存在しなかったのです。三国志の蜀志稿、呉志稿に両国の戸数は書かれていたでしょうが、それは、三国志を総括する過程で、全土が魏の天下であったとの大義に反するとして、削除したと見られるのです。(三国それぞれ独立した国志を立てているのに、戸数だけ、魏の主権が及ぶかのような改訂は、史実に反するのと同時に、編纂の全体方針に反するのです)
言い方を変えると、魏の国家公文書に記録されていたのは、魏皇帝に戸数、口数を報告していた魏領のものだけであり、陳寿が、魏志を編纂する際の「史実」、つまり、公文書資料には、呉蜀の公文書は含まれていなかったのです。
このあたり、魏志の編纂過程について、色々誤解が出回っていますが、魏志を正しく考察するには、正史の編纂過程を理解する必要があるのです。
*蜀、呉の戸数管理
呉蜀両国は、元来後漢朝の地方勢力であって、当然、後漢官制の戸籍を継承維持していたと見られます。ところが、両国は、後漢朝が曹操の私物と化したのに反発して離脱したものの、魏朝の正当性は認めていなかったから、服従せず、後漢戸籍を変えることは無かったのです。
*晋書の両国戸数記事
両国が、魏朝ないしは、後継の晋朝に降伏した際、両国は領土、人民、版図を献じたので、戸数、口数は、実数で確認され、晋書に収録されていますが、両国が戸籍を維持していなければ献上できないのです。と言う事で氏の戸数論も、根拠が不確かです。
*「倭人伝」戸数の意義
倭人伝道里行程記事の「戸数」の意義について、諸兄姉の注意を喚起しておきます。
まず目に付くのは、対海国以降の主要行程上の諸国、大海、一支、末羅、伊都の諸国の戸数が、千戸(家)単位で書かれていることであり、普通に考えると、これら諸国には、戸籍管理がなく、概数が申告されていたと解するものでしょう。ただし、この際考慮すべきなのは、行程外の「余傍の国」である奴国が「可二万余戸」、投馬国が「可五万余戸」と、詳細不明と書かれているものであり、これでは、全国戸数の計算で、千戸、百戸の桁は、計算に無関係となり、不適切なものと見られかねないのです。実際、倭の全戸数は七万戸程度とされていて、大半が、戸籍未整備の後進地域となっていて、一種奇観を呈しています。
従って、行程上、女王国以北、「周旋五千里」の「主要諸国」伊都、末羅、一大、大海の四ヵ国の戸数は、実数表示は避け、敢えて、一千戸単位の概数にとどめたと見えます。一方、「主要諸国」は、一大率の巡回指導を受けて、戸籍整備が進みつつあったのを示唆しているものとも見えます。
「主要諸国」は、道里が明記されているように、定期的に文書通信が行われていて、一大率の巡回指導と相俟って、当時としては、緊密な連携が成されていたものと見えます。女王共立の事態の際も、これら諸国は、書面連絡に基づく参政が可能であり、「余傍の国」は、傍観せざるを得なかったものと見えます。
このように、戸数表記だけ採っても、「主要諸国」と「余傍の国」の差異は明解なのです。
未完
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