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2023年5月10日 (水)

古代ロマンの試み 「伊豫国宇摩郡邪馬台国説 こと始め」 半終止 2/5 追記 再掲

              - 2020/05/07, 05/08 05/10 2021/08/23 補追 2023/05/10, 11

*霊峰と神井の投馬

 時に、不彌国から「水行二十日」と解釈される投馬国に至る道里記事は、あくまで目安ですが、山越えの連絡を含め、さほどの見違いはないと見ています。

*「石鎚の山」、「伊予の海」 余談
 投馬の南に聳える石鎚山は、今日、西日本随一の二千㍍級高山ですが、弧峰でなく、競い合う高嶺を連ねた石鎚連峰となっています。

 高校野球の名門、松山商業の校歌は、冒頭で「石鎚の山伊予の海」と叙景していますが、松山から石鎚は見えず、して見ると、伊予の海も松山の前面に広がる伊予灘でなく、燧灘かと思うのですが、引き続く「金亀城頭春深し」は、名城松山城を謳うので、思い過ごしでしょうか。
 今回の改訂で言うと、伊予灘から石鎚の高嶺を目指していく行程とも見えるので、古代には、伊予灘は石鎚連峰の裳裾と感じていたとも思えるのです。

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〇豊穣の投馬国

 当地は霊峰のお膝元で、南方の太平洋からの熱く湿った海風が、高峰に冷やされて雨として、山肌に降りしきったものが豊富な地下水となり、小雨地帯である燧灘南岸でも、「神井」の掘り抜き井戸は自噴する「水の宝庫」であり、投馬国は、戸数の如く国力随一と思われます。

*水神 余談

 水田稲作は、期間を通じ、強い日射、温暖な気温と共に、潅漑水量が潤沢でなければならないのです。水の神に守られた投馬と言うことです。むしろ、夏季は、晴天日が多く、降水量の不足が懸念され、後世ため池が造成されます。「天の恵み」を願うなら、水の恵みと思うのですが、それにもかかわらず、水神が最高神でないのには不審を感じます。太陽の熱は、力強い男神に相応しく、水の艶は、豊かな女神に相応しいと思います。

 あるいは、男性の太陽神と女性の水神が、文字記録のない世紀を超えている内に交錯して、太陽女神が最高神、水神は壁の花になったのでしょうか。

〇斜馬国にいたる道

 続いて、特に難関もなく、くにざかいの丘陵を幾つか越えて、後世宇摩(馬)と呼ばれた伊豫東界につきますが、ここが、「斜馬」(邪馬)国と思われます。
 かくして、「邪馬台国」に到達したのです。特に轟音も響きませんが、漠然たる四国説ではないのです。難所を避けた「海路」を時代考察しているのは、実は、目新しいはずなのです。

*合わない勘定

 諸兄から、宇摩は、投馬のすぐ向こうだから道里記事に合わないと言われそうですが、書かれている水行十日、陸行三十日は、帯方郡からの全所要日数であり、投馬や不彌からの日数ではないと見る説に従うのです。或いは、行程道里で、榎一雄師が提言し、当方も「至言」、つまり、最終決着と見ている「放射行程」説、実は、伊都国終着説に背いて、伊都国から、奴国、不彌國を経由して投馬国に至り、其の向こうに「邪馬壹国」があるという地理観に従っているので、変節と見えるかも知れませんが、今一つの「解」を提示しているだけで、排他的な立案ではないのです。

 とにかく、辻褄合わせは難儀ですが、それは、別途考えることとして、話を進めます。

*伊豫の二つの顔、二つの名

 今日、伊豫は、大変字画が嵩張って、面倒がられている「愛媛県」ですが、盛時には、「四国」全島を「伊豫」と呼んでいたと想定しています。その時代、「宇摩」は、政治経済中心だけでなく、地理的にも、大「伊豫」中央と見えます。勿論、二、三世紀同時、四国全島を易々と支配していたとは思えませんから、多少誇張気味にそう称していたのでしょう。

*宇摩三嶋の由来
 後世に至るまで、伊豫三嶋神社として船人の絶大な尊崇を集めた大山祇神社ですが、暴風の高波でご神体の一部が流出し、燧灘の海流に乗って宇摩の海岸に辿り着き、祀られたのが、宇摩の「三嶋神社」の起源として伝わっているように、宇摩は、大三島と大変縁が深いのです。

                               未完

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